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映画エクソシストの企画が持ち上がるまで、そして撮影時のエピソード、最後は当時を振り返るブラッティとフリードキンのインタビューが載ってるんだけど、これ、さ…… 。
悪魔祓いについての記事を読み、悪魔が存在するなら天使も神も、永遠の生命も存在するに違いない。信憑性のある記事にしてまとめれば、神の存在に疑問を持つ者たちに一石を投じて、疑問を解くことができるのでないだろうか、という信仰厚い青年ブラッティの思いから、全てが始まるんだよね。
そうして、ブラッティの小説「エクソシスト」が書き上がる。友人のシャーリー・マクレーンが映画化しようと言い出し、いろいろあった末に若くしてオスカーを受賞したフリードキンが監督に抜擢される。あの、フリードキンだ。
フリードキンはブラッティの脚本を「不必要に凝りまくっている」ために、撮影を拒否するのだ。代わりに原作小説に立ち返り、アドバイス?をするのだが……
この本は、フリードキン×ブラッティである(間のは深読みなしで)。映画のためならさらっと嘘の宣伝もする。撮影、果てはエクソシストを上映する映画館に対しても一切の妥協を許さない、狂気じみたフリードキンの言動に振り回され続けた原作者のブラッティの苦悩の25年間を主に描くのである(ちなみにエクソシスト公開当時のフリードキンの話は、同監督作品「BUG」の特典映像でたっぷり聞けます。あの徹底ぷりは恐ろしいぞ。)
ブラッティがどんなにオリジナル・エンディングをおしても「いらん」とばっさり切り捨てるフリードキン。彼が映画エクソシストをあくまで映画として作ろうとする以上、心の救在を残したいブラッティは妥協しつづけねばならない。それでも離れない2人の関係が読んでいて非常に興味深いんです。
最後の方まで「あぁ、ブラッティ哀れ」と思っても、カタルシスが訪れるんですねーきちんと。おおおお!と声をあげたくなりましたよ。それに、何だかんだ仲は良いんだよね。撮影当時の2人が肩組んでる後ろ姿の写真とかに、きゅん、としちったよ。