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熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き みんなのレビュー
- ジョン・マリー (著), 亀井 よし子 (訳)
- 税込価格:2,200円(20pt)
- 出版社:ソニー・マガジンズ
- 発行年月:2005.1
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紙の本
「小説」や「言葉」の限界を押し拡げていこうという文学的野心ではなく、医師として紛争地帯で見聞きした体験にこだわり「転身」や「転心」を書いた7篇。
2005/03/09 15:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
池に石が放り込まれるように人の命が沈んで行き、そのあっけない幕切れを子どもと言わず大人と言わず見守るより他にない——そういう場所で医療活動に従事してきた人にしか書けない「閾」がここにはある。そこに達した人には、「書くとは何か」「どのように書いていくべきか」という文学的実存を掘り下げるより先に、見聞きしたことを書くのが当然という確信があるに違いない。
では、なぜノンフィクションではなく、小説というフィクションの形を取ったのだろうか。本書には、事実の再現ではすくい上げ切れない「体験」の人生への広がりを各篇に読み取ることができ、それこそが作者の書きたいことだったのではないかと思えてくる。
「人間が変化にどう対処するか」という点が作者の関心なのだそうである。「変化」をもたらすのは、やはり「体験」の仕業であろう。
90年代に、実地疫学者として中央アフリカ諸国で医療体制システムの確立に従事した経歴があるそうだ。収められた7作品すべてが、医師や医療に関わる物語というわけではないが、「世界中の川をみんな集めて」「白い粉」「ワトソンと鮫」「ヒル・ステーション」などに医療に関係する人たちが出てくる。
「世界中の川をみんな集めて」は、家族を離れ海で自由に生きる父親を連れ帰りに行く息子の話だが、訪ね先で思いがけず出会うのが難民キャンプで看護師をしていた女性であった。彼女は、キャンプ地で遭遇した「生か死か」の選択について話す。その選択は、今も彼女の根に問いを投げかける。
「白い粉」は、これも家族を捨てた父親の話。彼はインドのスラムで病院を開業するわけだが、そういう価値判断を全く理解できない母親が対比的に描かれている。
「ワトソンと鮫」では、ずばりアフリカ中央部にあった難民キャンプが舞台になり、凄惨な外傷を次々に治療していく生々しい医療活動が衝撃的だ。「国境なき医師団」ような取り組みが、とても生易しい良心だけでは継続していけない事実が明らかにされている。医療技術だけでは医師としての仕事は成り立たないようだ。
「ヒル・ステーション」は研究室で細菌研究に従事していた女性研究者が、研修先のインドでコレラ患者の家族と接する話。
実は、表題作「熱帯産の蝶に関する二、三の覚え書き」も、語り手は蝶の収集家であるが外科医であり、蝶への熱意を理解してくれない妻は精神科医である。主人公の日々の葛藤の合い間に、蝶のために死んだ祖父の伝説的存在が明滅する。
医療や科学への興味、体験により変化を経ていく人物たちの内面についての分析や観察力といった資質が特徴的な本書であるが、もうひとつ大きな特徴はカットバックの手法である。「体験」と「変化」を明瞭に表していくのに効果的なのだろう。物語は過去から現在へ、現在から明日へと時系列に進行していかない。今の行動や内面を追うなかに、するりと過去の出来事や思いが入り混じる。実験的な作風の小説のように決してトリッキーではないのだが、ところどころで人物の過去を読み込むことを強いられる。「ワトソンと鮫」は、その手法でも印象を強く残す1篇である。物語は過去のある時点で閉じられ、おそらくは作家に一番の変化をもたらした体験のあった場所に読み手は置き去りにされる。追体験としてはとても受け止めきれない、深い内面世界に置き去りにされる。
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