紙の本
疾患・症状というものへの見方が変わる
2015/08/22 23:40
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投稿者:march - この投稿者のレビュー一覧を見る
何と言っても読みやすく、そして面白く、あっという間に読み終わりました。一般的に「問題」とされやすいその人の疾患や症状、行動特性を、その集団の中で活かすという発想がわたしにとっては目から鱗でした。読んで良かったと感じる1冊です。
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独特な活動を行っているぺテルの家
当事者が仲間の助けを借りて自分を研究するという独特な取り組みが成果を上げている
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当事者研究のキャッチフレーズは「自分自身で、共に」。
読んでいて、なんだかわくわくする本だった。
苦しんで、悩んでいる当事者の言葉を読んで、わくわくするというのは失礼かもしれないけど、なんだろう、とても魅力的な当事者ととても魅力的な医療者の姿に心が躍ってしまった^^
本文より
◇ある関係に寄りかかってしまうと、自分は他人のために何ができているか、どんな役割を果たしているか、それがうまくいっているかいないか、そういうことで相手や自分の存在が重くなったり軽くなったりしてしまう。そういうことではなく、お互いが微妙な自立の雰囲気を持ちながら、きちんとお互いを必要として、特別に意識しないで助け合う。その程度の関係が、いちばん力を生みやすいのではないのでしょうか。
◇突きつめると、私は一生自己研究の対象。一生求道者。一生一病者であり、一哲学者(悩みつきぬ存在)であるだろうと思います。でもそれは決して悲観的な捉え方ではなくて、「一生情けない自分とつきあえる特権」とすら感じられます。それが当事者研究で得られた宝だと思うのです。
◇人間は、元来、多様で複雑です。歪みも含めて、そのいろいろな部分を受け容れていく。というか、有り体に言ってしまえば「割り切ってしまう」ことが重要なんだと思う。
◇「名古屋で元気でいるよりも、浦河で病気をやっていたほうがいい」
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私は、うつ病を患い、休職・退職・再就職を経て、現在にいたっている。再就職して半年たつが、「はたして治っているのか」、「再発しないのか」、「この職場でやっていけるのか」と言う不安はつねにつきまとう。
半年たっても、仕事上のミスはなくならない。
自分に今も、「病前性格」的なものがありつづけることを自覚している。
偶然読んだ「べてる本」だが、自分をエンパワーしてくれる。
自分の「当事者研究」を続けていこうと思うようになった。
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レポート作成に使用。
初めに、当事者研究の簡単なルールが書いてある。自分でやってみる時に便利。
事例が数多く載っていて興味深い。
爆発型のところだけ拾い読みしたが、共感できる部分が多々あった。
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ソーシャルワーカーの向谷地生良〈むかいやち・いくよし〉はべてるの家を設立した一人でそのユニークさが異彩を放つ。浦河べてるの家は労働・生活・ケアを共有する精神障碍者のコミュニティである。自治を病状の寛解に結びつけた稀有な試みで、「先進的な取り組みがなされており、世界中から毎年2500人以上の研究者・見学者が訪れる」(Wikipedia)。
https://sessendo.blogspot.jp/2017/11/blog-post_63.html
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【人はそれぞれの人生の主役】
「デタラメ」な言葉に満ち溢れている。
注)「デタラメ」とは「常識や既存の考え方に捉われず、より良いものを求めること。
それがとても心地よい。
病気になった「当事者」が
治療や反省ではなく「研究」なのである。
その当事者研究で人との繋がりを得て、幸せそうに生きている。
自分たちの『苦労』の中で生きている。
満員電車に揺られ、会社でお金のだけのために働き、笑顔がない人々よりも、ずっとずっと人間らしい、ずっと良い『苦労』をすることができている。
「幸せ」をお金とか権力に求める人には分からない繋がり。
そんな繋がりを持つ人達が浦河町にいるのだ。世界から羨ましがられているのだ。
そのエネルギーを体験したい。浦河町に行く!
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当事者研究は、「自分という人間の生きる足場を築き、生きる主体性を取り戻す作業」。
キャリアや生き方においても、専門家に任せてしまうと、「自分の苦労の主人公になる」ことができていない状況もあるのではないか。それを、仲間とともに考えることで不確実性への耐性をつけ、生きる主体性を取り戻すことができるようになるのではないか。
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支援者としても当事者としても勉強になる本でした。支援者目線では、読んでいて自分の支援を反省する良い機会となりました。ストレングスモデルで支援をしたいと思い、SWとして支援を続けてきたはずでしたが、最近の私はできないことを整理して対策を考えて、直していくことに重きを置いていたかもしれません。もう一度改めて、病も含めた個々の良いところに目を向けていきたいと思いました。当事者目線としては、今の自分でいいんだと自尊心が高まるような気持ちに読んでいてなりました。障がいを治そうとする必要はなく、障がいに関連する症状も自分の個性や良いところの1つとして、付き合っていけるように心からなりたい。そうすればもっと自分らしく、楽に生きていけるのかなと思いました。
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日頃、病気になった人にしか分からない感情や理論があるよなぁ…って感じる事が多いです。
病を抱えて生活する人のこころに関しては、恐らく本人達が決めて生きていくことを支持し見守る姿勢が、支援者として一番求められる事なのは分かっているつもり。です。
しかし、これが結構難しかったりする。医療側で話し合っても「おしつけ」にしかならいよなあ…。
そこが患者同士集まると不思議な変化をもたらすのだなと最近勉強になった本。患者さんや支援者さんとの対話と考察の繰り返しがバームクーヘンみたいでガチガチの濃密度。もうこれは治療なの?と思えるような世界が広がっています。
例えば、現場が怖くて逃げ出してしまうリーダーの話。社会ならクビなのかも知れないけど、皆んながまた逃げちゃったんだ、、でも逃げたときは私達でまとめようと努める場面、でもリーダー役を任せる場面、そんなリーダーもいるね!と言って笑う場面。許すという言葉があるけど、ちょっと違う、、なんか対等で助け合ってる感じは安心するだろうなと読んでいて感じます。
実はこの患者同士というのは、健常者(だと思っている人)も含まれていて、実際の社会にも生かせる気がします。いかに自分たちの問題として相手を受け入れられるのか。もしかしたらこれから先、withコロナで在宅になったら?勤務スタイルが変わったら?
この考えがあれば全然普通に働いていける、、。って思います。
居てくれるだけでいい、生産性から何から概念がひっくり返る話です。
全部が全部受け入れられなくても、会社の仲間が落ちこんでいたり、もし鬱になってしまったら、私達はこれからも一緒に働くためにどんなことができるだろうか。そのヒントが沢山載っているような気がします。
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p.106
「被害妄想」がなぜ起きるのかはわからない。苦労の多い現実の世界では自分の居場所を失い、具体的な人とのつながりが見えなくなるた、「幻聴の世界」は、どこよりも実感のこもった住み心地のいい刺激に満ちた「現実」になる。それは、つらい、抜け出したい現実であっても、何ものにも変えがたくら抜け出しにくい「事実」の世界だった。
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「どうしたら摂食障害になれるか」「幻聴さんにジャックされる人、されない人」「安心して逃亡できる職場づくり」…脱力感あふれる研究の数々は、どれも精神病を抱える本人(当事者)が自分自身を題材として始めたもの。
自分の抱える問題に名前をつけ、どこまでも客観的に見つめることから生まれる笑いと希望。世間から見てマトモじゃなくても、ちゃんとしてなくてもいいじゃない、生きていくってそれだけでもう大事業なんだから。心からそう思えてくる。