紙の本
古書を巡る愛書家たちの喜悲劇を描いた短編小説のアンソロジー。
2005/06/07 00:36
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
編者の紀田順一郎によれば、本好きには読書家と愛書家の二通りのタイプがあるという。読書家は本の内容を読むことに無上の喜びを覚える人種で、他方、愛書家は書物の「読むだけの道具ではない何か、物神性というだけでは説明できない何か」の魅力に惹かれる人種だという。
現在に至るまで、本を巡って様々な小説が書かれて来たが、この二通りのタイプのうち描かれているのは圧倒的に愛書家が多いようである。
これは、曰く言いがたい書物固有の魅力にとりつかれた愛書家たちが繰り広げる日常を越えた喜悲劇に作家が強く惹かれるからであろう。
本書は、日本編に引き続いて、このような愛書家たちを描いた海外の短編小説を集めたアンソロジーである。
以下、これから読む方の興を削がない範囲で、収録された短編小説のうち印象に残ったものを紹介することにしたい。
1.『愛書狂』(ギュスターブ・フロベール)1835年
フロベールは、言うまでも無くフランスの文豪で、『ボヴァリー夫人』などの写実主義小説の創始者として有名である。この作品は、実際に起こった愛書家殺人事件を基にしており、古書を何としても手に入れようとする男の姿がリアルなタッチで描かれている。
皮肉な結末は人生の苦味を感じさせ、僅か15歳足らずで書かかれたとは思えない好短編となっている。
3.『シモンズの遺産』(オクターヴ・ユザンヌ) 1985年
あまり知られていない作家だが、愛書家の本に取り憑かれた姿を刺激の強いブラックユーモアで描く手腕はなかなかのもの。異色作家を好んで取り上げている生田耕作が訳しているだけあって、一度読むと忘れがたい独特の印象を残す。
4.『クリストファスン』ジョージ・ギッシング 1906年
ギッシングは、『ヘンリー・ライクロフトの私記』の著者として知られ、一時期はよく読まれていた。収録作品は、古書の収集に狂奔するあまり人生を誤った男の零落した姿が共感を込めて描かれている。貧しい境遇に耐える貞淑な妻のけなげな姿も心を打つ。
7.『目に見えないコレクション』(ステファン・ツヴァイク)
1924年
ステファン・ツヴァイクは、『ジョセフ・フーシェ』、『マリー・アントワネット』『エラスムス』などの伝記小説で知られているが、優れた短編小説の書き手でもあったことはこの作品が証明している。収録作は、本アンソロジーの中でも屈指の出来栄えであるだけでなく、古今の短編小説の中でもトップクラスにある。
ストーリーに具体的に触れることができないのが残念であるが、老残の身にあって過去の素晴らしいコレクションの追憶に生きるコレクターと、あわよくば折からの美術品ブームで一山当てようとする古美術商との対比が見事で、文学作品を読む醍醐味を存分に味あわせてくれる。読後、旧き良き文化を圧殺する俗世間への著者の抗議の声が聞こえてきて共感を覚える。この一作を読むだけでも本書を買う価値は充分あると断言できる。
以上、収録作品の一部について簡単に印象を述べて来たが、本書が日本編と異なっているところは、大半が戦前以前の作品ということである。よく言えばセピア色の小説ということになろうが、日本編と同じように、最近の作品をもう少し収録して欲しかったと思われる。
また、日本編が古書業界の内情を描いた作品が多かったのに対して、海外編は古書の魅力に取り憑かれてデモーニッシュな情念の虜になった人たちを描いている作品が多いのも特徴と言えよう。同じ『書物愛』と銘打たれていても、両者はそれぞれ趣きがやや異なり、これは編集者の紀田順一郎の選択眼が反映しているからであろう。
総じて、『書物愛』日本編・海外編は、様々な書物を巡る世界が描かれていて、本好きにすれば至福の時が過ごせる得がたい贈り物となっている。
投稿元:
レビューを見る
題名どおり、書物をテーマにしたアンソロジー。
その海外篇。
収録作品
・ギュスターヴ・フロベール
・『薪』アナトール・フランス
・『シジスモンの遺産』オクターヴ・ユザンヌ
・『クリストファスン』ジョージ・ギッシング
・『ポインター氏の日記帳』M・R・ジェイムスン
・『羊皮紙の穴』H・C・ベイリー
・『目に見えないコレクション』シュテファン・ツヴァイク
・『書痴メンデル』シュテファン・ツヴァイク
・『ロンバート卿の蔵書』マイケル・イネス
・『牧師の汚名』ジェイムズ・グールド・カズンズ
ちょっと期待してたのと違ったかなぁ。
もっとキチガイっぽいのが載ってると思ってた。
個人的お気に入りは、
『愛書狂』
自分が狙っていた本をオークションで取られてしまった男。
その相手の家が火事になってしまい、その本を火事場から盗み出したが……
『シジスモンの遺産』
長年ライバル同士の古本コレクター。
その片割れが死に、そのコレクションを買い取ろうとするが、
遺言でそれは許されていなかった。
その管理を任せられたのは彼の従姉妹で、しかも本を嫌っており、
そのコレクションをすべてダメにしようとしていた!
『目に見えないコレクション』
成金にどんどん商品を買われてしまったアンティーク屋。
そこで、以前のお客から、いくつか品物を買い戻そうと考える。
先代のお得意様の銅版画コレクター。
彼のコレクションは今や、物凄い価値になっている。
その家に行くが……
『書痴メンデル』
オーストリアのとある喫茶店に、何十年も通っている古本の行商人メンデル。
彼は本のことにしか興味がなく、しかも恐るべき記憶力を誇っていた。
その彼が戦争のために受けた悲劇とは?
あたりかな。
中でも『愛書狂』が一番好き。これが15歳のころの著作か……
それと『書痴メンデル』のメンデルは憧れる。
投稿元:
レビューを見る
このアンソロジーは[日本編]と対になっているが、グーテンベルグの活版印刷による聖書の刊行以来、本を愛することにかけて西洋には歴史がある。それ故ビブリオマニア(愛書狂)について書かれた本も枚挙に暇がない。その中でも「書物固有の魅力を知りつくした作家による、選り抜きの作品」ばかりを収めた[海外篇]はさすがに読みごたえがある。
まず、「愛書狂」などという題名からもうかがえるように、物狂いの程度が半端ではない。書物蒐集のためなら放火殺人も辞さぬといった思い入れの強さは日本篇ではちょっと見られない。愛するにしても憎むにしてもその振幅の度合いが大きいのだ。
また、聖書のことをThe Bookと呼ぶことからも推して知られるように、キリスト教文化圏には世界を一冊の本として見る見方がある。知識を封じ込めた書籍に寄せる思いには、世界をまるごと所有したいという欲望が潜んでいる。稀覯本の蒐集家といっても、単なる趣味や投機的な目的のために集める者ばかりではない。それだけに、自分の人生を消尽するまで古書蒐集に賭けてしまう悲劇が起きるのである。
少年時代のフローベールが実際にあった事件をもとに書き上げた「愛書狂」は、かつて白水社から出た生田耕作編『愛書狂』でも巻頭に置かれていたビブリオマニアを描いた物語では外すことのできない傑作。火事にあった書店から消えていた世界に一冊しかない聖書が競争相手の書店から見つかった。弁護人は罪軽減のため、それが世界で一冊でなかったことを証明しようとするが、それを聞いた被告人は絶叫する。蒐集家の心理を突いたアイロニーにみちた一作。
セーヌ河畔に家政婦と猫と暮らす学士院会員シルヴェストル・ボナールは、一冊の古写本を訪ねてイタリアまで旅に出る。老人は旅先で出会った貴婦人に、探し求める本が皮肉にも一足違いでパリに戻った話をする。帰仏した老人は、早速古書店に出向くがそれは競売で人の手に落ちてしまう。失意の老人にある日薪が届く、とその中には……。アナトール・フランスの「薪」は「情けは人のためならず」を地でいったフランス風のエスプリが効いた洒落た一編。
しかし、本アンソロジー中いちばんの掘り出し物は、シュテファン・ツヴァイクの「目に見えないコレクション」と「書痴メンデル」の二作だろう。前者は版画の蒐集に一生を費やし、今は盲人となった男が、コレクションを見に来た古美術商に見えないはずのコレクションを喜々として説明するという話。老妻と娘が古美術商に懇願したこととは何か。戦後インフレのもたらした悲劇を静かに告発した傑作。
後者は、ヴィーンのカフェの片隅にいながら、出版された本の題名、著者、刊行年を一冊残らず暗記しているという本の生き字引ヤーコプ・メンデルの消息を描く。ネット検索のなかった時代学者や学生が頼りにしたメンデルだったが、本以外には興味を持たず新聞も見ないという極端な生活ぶり。それが災いして敵国である英仏に書籍を注文したことから収容所送りに。かつての顧客であった著名人の嘆願で無事出所したのだったが、強制的に現実に向き合わされた結果、帰ってきたメンデルはかつてのメンデルではなくなっていた。市井に生きる書物愛をしみじみとした筆致で描いた名品。読後に静かな余韻が残る。
アンソロジーを読む愉しみは、自分の読書傾向とは異なる作家の作品にめぐり逢えることである。「愛書狂」や「ポインター氏の日記帳」のように既読の作品に再会するのも愉しいが、ツヴァイクのように読まずにきた作家の作品に出あって感銘を受けるのはそれに倍する悦びである。他にO・ユザンヌ「シジスモンの遺産」、ギッシング「クリストファスン」、H・C・ベイリー「羊皮紙の穴」他二掌編を収める。いずれも愛書家の悲喜こもごもを描いた逸品ぞろい。生田耕作をはじめ、選りすぐりの訳者揃い。翻訳物はどうもという人にこそ読んでもらいたい一冊。