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戦前、日本人の鎮魂曲であった『海ゆかば』の作曲家・信時潔。
本書は、文芸批評家、新保祐司氏による信時潔へのオマージュであると同時に、「代表的日本人」の偉業を通して、歴史を正す試みである。
●「近代日本の正統」と題した文章の中で、河上徹太郎の『日本のアウトサイダー』を論じて、私は「河上が、『ざっと見渡しても、明治の文学者・社会運動家その他文化界一般の代表者の殆ど全部が、一度はキリスト教の門をくぐってあることは、私の今までの列伝を見ても明らかである。』といっているように、キリスト教、あるいはキリスト教とのぶつかりは、近代日本の軸なのである。」と書いた。
そして、その「軸」を「正統」といいかえるならば、近代日本の「正統」は、キリスト教とのぶつかりに淵源を有していて、それは、「日本のアウトサイダー」の最も典型的なものとしての内村鑑三の「基督教」の中に、頂点として現れているのである。これが、近代日本最大の逆説である。
信時潔も、やはりキリスト教とぶつかった人間であった。そして、バッハのコラールに「親炙」した音楽家であった。だから、『海ゆかば』は、「讚美歌」のようにひびいたのである。「日本主義」がすぐ連想されがちな『海ゆかば』は、実は「日本的な余りに日本的な」日本人によって作られたのではなかった。キリスト教とぶつかった日本人によって作曲されたのである。にもかかわらず、ではなく、だからこそ、『海ゆかば』は、近代日本において、最も典型的に「日本的」なのである。ここにも近代日本のクリティカルな核心、すなわち、近代日本の正統の所在の逆説性が現れている。『海ゆかば』は、近代日本の正統からひびくコラール、いいかえれば、正統が音楽と化した曲であり、近代日本の「国のささやき」の正統に他ならない。●
七十歳以上でなければ、信時潔の『海ゆかば』といっても聞いた経験がほとんどない今日、信時潔への誤解を避け、信時潔の真価、核心を表現した稀有な一冊である。