投稿元:
レビューを見る
20代中頃に読んで、心に響いた作品。
周りと比べたり自分に苛立ったり・・・。
そんな私に喝をいれてくれました。
''駄目なことの一切を 時代のせいにはするな"
"自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ"
何度読んでも背筋が伸びる作品です。
投稿元:
レビューを見る
表題の作品、がつんと流れを変える威力がある。言葉には力がある。「ばかものよ」と言われて、怒りではなく、力が湧いてくる。そうだ、と。誰のための詩でもない。私のための詩なのだ。刺繍と詩集、夏の声、知命が好き。
投稿元:
レビューを見る
時代を生き抜いたひとりの女性が発する言葉は、
強く、逞しく、雄雄しく、
そして冷静だ。
「私が、私で生きる」ことを、
傷つきながら貫いたのだろうと感じる作品集。
当然ながら、
自分の感受性くらい
は、素晴らしい。
投稿元:
レビューを見る
だめなことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
その通りです。ほんとうに、その通りです。そして戦争の時代をくぐり抜けてきた方の言葉だからこそ、説得力がある。
こんなに叱咤されても世界に惑ってしまうわたしは本当に愚かで弱い。
投稿元:
レビューを見る
カウンセラーの先生から聞いた言葉。
「自分の感性ぐらい自分で守れ
ばかものよ』
インパクトあったな。
本がでてるのは、知らなかった。
読みたい!
投稿元:
レビューを見る
やっぱり表題作が印象的。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
他にもドキッとする言葉が満載。
投稿元:
レビューを見る
この前に読んだ戦争の詩集が頭をよぎる。「自分の感受性くらい」の表題作も印象が強くて頭に残っている。
でも、他の詩は特に知らないので、詩集を手にとってみた。
詩というよりは、呼びかけというか、叫びというか、エッセイでは弱いし、主張というべきか。言葉は難しくなく、意味もよくわかるし、絵本とか物語とかそういうような詩とはかけ離れていて、力強い、言葉。
投稿元:
レビューを見る
最近、この詩とよく出会う。胸のどまんなかに真っ直ぐ飛んでくる。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
◻
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
◻
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
#自分の感受性くらい #茨木のり子 #読書記録
投稿元:
レビューを見る
何年も前に手にした詩集が、先日書店に並んでいるのを見て、背筋がぞわっとした。アノ本ハ持ッテイル。「ぱさぱさに乾いた心」に、この言葉の浸透力はヤバい。「みずから水やりを怠っておいて」何をいまさら、だが。
投稿元:
レビューを見る
本屋さんで見たときから、なぜか、どうしても欲しくなった本。初めて買った詩集。
お気に入りは「自分の感受性くらい」「知命」「友人」「殴る」
センチメンタルな気分になっているとき、励ましの言葉とか歌を求めがちだけど、茨木さんの詩は、言葉の勢いや圧が強くて、叱られているようにも感じる。今まであまりよくわかっていなかったけど、本を読んでヒリヒリするって、こういうことなのでしょうか?
「自分の感受性くらい」が特にそう。でもなぜか鬱陶しくない。
もっともっとこの人が生み出した詩を読みたい。そんな気持ちになりました。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりにもう一度読んだ。
思い通りにいかないことを、なにかのせい、他人のせいにして生きていっちゃだめだなと思った。
はっとさせられる詩。かっこいい。
投稿元:
レビューを見る
「100分で名著」を読んだ後に図書館で借りてきて読んだ。
自分の感受性くらい、知命、鍵の3篇は、なるほど紹介されていることが頷ける作品だと感じた。
他に、詩集と刺繍、波の音、木の実、が、自分は好きかな。
投稿元:
レビューを見る
自分の感受性くらい
自分で守れ
馬鹿者よ
全体主義・同調主義に鋭いナイフを差し込んだ様に私は感じました。
自分の感受性を守るためには、個人主義を持つことが必須だと感じました。
私はコレが、好き・嫌い。その場で口にしなくても、後で理屈をつけてもいいから、自分の違和感は見過ごしません。
投稿元:
レビューを見る
詩というのは馴染みが無くまともに触れたのは初めてかも知れない。
サクッと30分くらいで読み終える内容。
なので繰り返し読むところに意味があるのかも知れない。
投稿元:
レビューを見る
なんと言っても、「自分の感受性くらい」という詩が圧巻である。
『詩集と刺繍』同じ発音で、女性に関係あるものであるが、本屋で尋ねたら刺繍のコーナーにつれていかれた。なるほど。茨木のり子はいう「天下に隠れもなき無用の長物 さりとて絶滅も不可能のしろもの」と言い切る。
『癖』いじめっ子にいじめられて、卒業の時に小さな紙片を渡された。「ワタシハアナタガスキダッタ」と書いてあった。なんで、今頃。そしていじめられるって、好きな時にもあるんだと納得する。
『自分の感受性くらい』
パサパサに乾いていく心を ひとのせいにするな。
気難しくなってきたのを 友人のせいにするな。
苛立つのを 近親のせいにするな。
初心消えかかるのを 暮らしのせいにするな。
ダメなことの一切を 時代のせいにするな。
自分の感受性くらい 自分で守れ バカものよ。
ふーむ。このバカものという言葉の新鮮さ。鮮度もいい。切れ味もいい。
詩に、バカものという言葉を使う 茨木の子の勇ましさ。
『知命』
解けない小包の紐、こんがらがった糸の束、
巻き込まれ、振り回されたけど、いつも たくさんのやさしい手があったことを知る。
青梅街道には、以前は馬糞があったけど、現在は排気ガス。いつも忙しく生きている。
『左官』のいなせとファッショナブル渾然融合。油断のならないいい感覚。
「奧さんの詩は俺にもわかるよ」と言われて舞い上がる。
いくじなしのむうちゃん。
「いくじなしは いくじなしのままでいいの 泣きたきゃ泣けよ
いくじなしの勁さを貫く方が この国では はるかに難しいんだから」
という言葉は、実に含蓄がある。遠回りして見つけたような いくじなし。
『孤独』孤独が孤独を生み落とす。
モグラは、土の中で生きるのだ。
なぜかがまぐちはいつも空っぽだった。どこに行ったのだろうか。
北斗七星の下あたりに 底なしの柄杓があった。
万世一系の家系を繰り返し覚えさせられたけど、日本にあるものは、万世一系のものが多い。
文学方面はあまり研究していないという言い訳が、笑える。
生き急ぎ、死に急ぐ人々の群れ。
平凡な言葉の中に、重みをうんとかけて、キラキラ表現する。うまいなぁ。
バカものよ!