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みんなのレビュー106件

みんなの評価4.1

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紙の本

『ぼんくら』『日暮らし』とは全く異なる意味での傑作です。もしかすると、宮部作品だけでなく、近年の日本文学史上の金字塔かもしれません。その全てが「ほう」の造形にあります

2005/07/29 21:38

22人中、17人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

さあ、問題のミヤベ作品です。書きたいことが次々と沸いてきて、どう纏めるか、書評家泣かせの話です。ま、違う意味で、私は泣いてしまいましたけれど。
上下巻で800頁を超えますから、『日暮らし』とほぼ等しい長さです。そして、人間の業(ごう)を感じさせる点でも似ています。
でも、二作品の印象は大きく異なります。江戸と四国という舞台の差だけではありません。それが「ほう」の存在です。この10歳になる少女には、いわゆる知恵というものがありません。人と遊ぶこともできません。遊ぶということ知らないのです。
覚えた字も、すぐに忘れてしまいます。疑うことも知りません。騙され、苛められ、脅かされ、裏切られ、自ら「ほう」は、阿呆の「ほう」ですと無邪気に、いやどこか自分に名前があることをすら恥らうかのようにいい、それでも、ひたすら働き、信じます。何を?そう、人を、です。
そして、与えられるのです。それが「方」で、「宝」です。その意味は読んでもらうしかありません。こういう喩えは全くナンセンスなのですが、小野不由美『屍鬼』のやるせなさと、ダニエル・キース『アルジャーノンに花束を』の感動を併せ持つ、とで
もいうのでしょうか。
祖父母の悪意で里子に出された「ほう」は、ただただ叱られ、肉体労働を強要され、家畜のように捨て置かれながら何とか育ちます。そして8歳の時、実家に続く不幸を払うためという一方的な都合で一旦家に戻され、すぐに金毘羅参りに出されます。そして、同行した女中に虐待され、金を奪われ、行半ばで捨てられます。
自分の名前すらろくに言えない少女が、人並みに暮らせるようになったのが、四国は讃岐国、丸海藩の「匙」である井上家です。彼女に親身に接してくれたのが井上家の長男で後継ぎの啓一郎先生と妹である琴江でした。ほうは二人から、生まれて初めて読み書き、勘定などを教わります。でも、学ぶことの意味すら分からない「ほう」は、教わる先から字も数も忘れていきます。そして、ほうが十歳の時、井上家に、丸海藩に不幸が襲い掛かります。
事件に翻弄される「ほう」のことを心配し続けるのが17歳になる宇佐です。藩士ではありませんが町役所から幾ばくかのお給金をもらって捜査にあたる引手の見習をしています。ただし、女、ということで仲間からは一段下に見られています。そして彼女が密かに想いを寄せるのが、啓一郎先生です。
ほかにも匙の井上家の当主である舷洲、同じく匙ながら新参者の砥部、町役所の同心で琴江のことを好きな渡部一馬、物頭である梶原家の娘美祢、藩医である香坂泉、引手で宇佐の仲間である花吉、鬼と呼ばれる加賀、その鬼の世話をする石野、琴江の許婚者である船奉行の保田の次男、山内家の老下男の茂三郎、塔屋のおさん、もっと出てきますが、ともかく見事なまでに描き分けられています。
ほうは、いわゆる善人ではありません。善悪を超越した無垢です。知恵によって善たらんとする人間、或はその性格が温厚であるがゆえの善良、という今までの小説に登場した主人公たちとは大きく違います。絶対的な無垢は、どのような形で世に受け容れられるのか、それを問う話といっていいでしょう。
予想もしないほど夥しい血が流されます。人が死に、街は焼け、人の心がささくれます。その果てに現れる光景、それは美しいとしかいえないものです。ただし、芸術的な美しさではありません。まったき穢れなさを前にしたときの、自分の心が陽光にさらされ、心の隅々までが洗われてしまう、そういう穏やかな美しさです。
ばななも小川洋子も、ここまでの無垢を描くことはありませんでした。そういう意味で、この小説は宮部作品の中だけでなく、日本文学のなかでも孤高のものとして屹立する、そういえるでしょう。

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2005/06/30 15:08

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