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東京タワー オカンとボクと、時々、オトン みんなのレビュー
- リリー・フランキー (著)
- 税込価格:1,650円(15pt)
- 出版社:扶桑社
- 発行年月:2005.6
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紙の本
マザコンに対する考え方が変わった
2005/10/30 12:46
13人中、13人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:RIKA - この投稿者のレビュー一覧を見る
この書評コーナーや雑誌やらラジオやらで絶賛されているこの本。私も絶賛します。なぜなら1冊通して全然退屈な部分がないから。
リリー・フランキーの自伝ということにも驚くけれども、それが自伝かどうかということは、この際どうでもいい。というか、作品の良し悪しや読後感を左右するものではないということ。リリー・フランキーへの興味で読む人も、普通の本好きでも、あまり本を読まない人でも絶対に読んでよかったと思うはずです。そしてそういう本は、たくさんあるものではありません。
主人公「雅也」と、息子を女手ひとつで育てた「オカン」。風来坊で破天荒な「オトン」。筑豊の風景。小説は子ども時代から始まります。ごくごく日常のエピソード散りばめられていつのまにか雅也は大人になって東京で働いている。好きな女の子ができてそれを母親に知られたくないとか、親不幸と思いながらも母親が必死に働いて貯めた金を遣ってしまう、無心をしてしまう。誰もが抱えるであろうそうした葛藤があり、それでもオカンはいつも、いつも、とにかく優しいのです。心を打たれます。
そして、東京で生きていくということについて。きらびやかでスノッブで高飛車な街。街の冷たさやいい加減さに疑問を感じながらも、東京に惹きつけられてしまうという不条理。美大→留年→イラストレーターという、いかにも東京的な大人である雅也が感じることは、東京以外の場所で生まれ育ち東京で働く人たちは誰しも共感するのではないでしょうか。
私は女なので、これまで正直言って「お母さん大好き」な男性(結構多い)の心理がいまいち、わかりませんでした。でも、この本を読んで変わりました。こんなに細やかな愛情を注いでもらっている男性を私はただ羨ましく思っていただけなのかもしれないと。恋人を愛しても、母親には勝てないという事実を、心のどこかで面白くないと思っていただけなのかもしれないと。
この本は、親が子どもを愛するという素晴らしさを教えてくれました。切ないけれども、とても希望に満ちた本だと思います。
紙の本
自分の姿を見ている気がした
2005/12/23 11:21
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みやこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
バラエティ番組などにもよく出演しているリリー・フランキーさん。
淡々とあまり表情を変えずに変な発言をする人、という印象があります。
エッセイなども今まで色々出版していて、どれも面白いのだけれど、読んでいて「この人はマジメに生きてるんだろうか、人生ふざけっぱなしなのでは?」と思ってました(失礼!)。
でも、この「東京タワー 〜オカンと僕と、時々、オトン」を読んだら、なぜリリーさんがああいうスタンスでいられるのか少しわかったような気がします。
子どもにとって、“お母さん”という存在は、とても大切なもの。
お母さんが守ってくれるから、安心して“子どもらしく”していることができるのだと、私は思っています。
リリーさんのお母さんは、明るくてやさしくて、とても強い人だったんですね。
お父さんが、“家族のお父さんとしての役割”を果たさない家だからこそ、自分の力でリリーさんを守ろうとしたのでしょう。
「お母さんとずっと一緒にいると、負担を増やしてしまうのでは」
そう考えて、東京に出る決意をしたリリーさんですが、学費や生活費はお母さんに頼っているわけですから、実際は余計に負担を増やしているわけです。
それは自分でもわかっていて、迷惑はかけたくないと思っているのだけど、やっぱりどこかでお母さんに甘えてしまう。
自立したい、でも甘えたい。
私自身も、母や父との距離のとり方がわからなくて、いまだに試行錯誤しています。
だからでしょうか、気持ちのバランスがうまくとれないリリーさんの姿に、自分の姿が重なりました。
子どものころから現在までのエピソードが、淡々とつづられていて、時に突然話が違う方向に飛んだりするので、読み始めはとまどいました。
でも、読み進むうちに、リリーさんがそばで語っているのに耳を傾けているような、そんな気持ちになっている自分に気づきました。
この構成のあり方が、読者とリリーさんの距離を縮めてくれています。
しみじみと、あたたかい気持ちにさせてくれる本でした。
紙の本
母親がいる、ということ
2006/05/15 14:07
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:佐々木 なおこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
遅ればせながら、この話題作を読んだ。
「たっぷり泣いてね」と友達が貸してくれた。
半分くらいまでは平気だったのに、後半部分はここ数年これくらい泣いたことがないというくらい泣けた。
リリーフランキーさんとオカン、そしてオトンの話。
オカンの居るところに、ただ居る。
それだけが心のよりどころだった。
事情があってオトンとは一緒に暮らせなかった子ども時代、
オカンはありったけの愛情でリリーさんを育てた。
その後、進学のためにリリーさんは1人上京する。
その頃のオカンの人生は十八のボクから見ても、
小さく見えた。
それはボクに自分の人生を切り分けてくれたからと、リリーさんは思う。
「おなかすいたやろう、いっぱい食べなさい」
久しぶりに東京から帰ると、
テーブルいっぱいの手料理で迎えるオカン。
なにくれとなく世話を焼く姿が本当にうれしそうだった。
そしてリリーさんが東京で働き始めるようになってしばらくして、
東京にオカンを呼び寄せて、また一緒の暮らしが始まる。
大きくて、やわらかくて、あたたかだったものが、
ちっちゃく、かさついて、ひんやり映る時がくる。
子どものために愛情を吐き出し続けて、風船のようにしぼんでしまった女の人の姿をリリーさんは、こう表現する。
その後、オカンは病を得て壮絶な闘病の末、帰らぬ人となった。
オカンの遺書は
「マー君
長い間どうも有難う」
から、始まる。
いろんな感謝の思いが綴られているなか、
「ただ一度たりとも
自分のことをお願いしたことはありません」の箇所を読んだとき、
涙がそれまでの倍となって流れた。
オカンは神仏にいろいろとリリーさんやリリーさんの彼女の幸せを願うのに、いつも自分のことは無なのだ。
それがオカンなのだ。
東京の雑踏の中でリリーさんは思う。
「当然のことながら、そのひとりひとりには家族がいて、
大切にすべきものがあって、
心の中に広大な宇宙を持ち、
そして、母親がいる。」と。
紙の本
五月にある人は言った。「オカンは偉大なんだ」と。
2006/05/24 22:51
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:由季 - この投稿者のレビュー一覧を見る
泣きました。
あの、ただのエロおやじ(失礼^^;)は、ただのエロおやじではなかった。
淡々と丁寧に書かれた文章は、うまさというよりもオカンのことを本当に思った愛の溢れた文章の集合体、という印象を受けました。
リリー・フランキーの決して順調ではない壮絶な半生、家族の不可解な形、そして何よりオカンの素晴らしさ、愛おしさが何度も何度も涙を誘います。
私はこれを読んで、家族、そして何より「お母さん」を大切にしなきゃいけないということを、言葉で教えられるより、テレビドラマで見るより、ずっと深く、自然に思うことが出来ました。
もう絶対買います!!!
紙の本
少し見方が変わりました
2005/09/28 23:20
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:瀬尾みずは - この投稿者のレビュー一覧を見る
私はリリー・フランキーさん自体をまるっきり知りませんでしたが、この本によって知ることができ、収穫でした。前半、オカンが東京に来るまでの作者の生活は私には腹立たしいものでした。オカンを大切に思っているのなら何故貧しいのが分かっているのに送金を頼んだり、留年したりするの?!と感じたりした訳です。でも、作者は申し訳ないとは思っていて、その気持ちを感じることができたから最後まで読む事ができたんだと思います。
やはり素晴らしいのは後半。東京でのオカンとの暮らしの記憶。この人は正直だと思う。大好きなオカンであることは分かっていても、やはり人間。所詮、子供。母親と一緒に暮らすことによって煩わしさも感じる。自分の少ない稼ぎから生活費を催促される度、苛立つこともある。その反面、オカンには幸福でいてもらいたいという子の願い。そういう一筋縄ではいかない感情を丁寧に書いている。それが、より一層胸にギュっとくる。
好きなシーンはたくさんあるけど、皆でハワイに行った時。オカン達は恐れ多くも「アメリカ人がステイタスとしている高級リゾートプール」で頭にスーパーの袋を被ってキャワキャワと騒ぎアメリカ人は冷た〜い視線・・・でも作者は恥ずかしいとは思わないのである! これには「偉い!」と一言! 私ならきっと外聞を気にしてとめるだろうから。そしたら、きっとオカン達は(子供に申し訳ないことをした)と萎縮してしまう。せっかくの楽しい気分を台無しにしてしまうだろうな。私はこのエピソードでまず引き寄せられちゃったかな。
まぁ、こんな感じで後半は一瞬一瞬がとても大切な、美しくも生々しい記憶でいっぱい。
読むべし!です。
紙の本
七夕の夜 東京タワーはライトダウン
2008/07/07 21:14
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る
どこかに出かけた帰り、ナビのとおりに運転できず六本木あたりで道がわからなくなってしまった。迷っていると、突然、目の前に東京タワーが現れた。夜空にライトアップした東京タワーは光り輝いていました。ゆっくり眺める余裕はなかったけれど、その姿は美しかった。
書評を読み、「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を購読しました。本を開くと、新宿の高層ビルが写っている写真が。あっと思い、裏をみると東京湾が写っていました。そうかぁ、これは東京タワーの展望台から見た景色だわ。本のカバーは白、上下のふちはゴールド。題名の東京タワーの文字の『京』の字の『口』の中に東京タワーの絵が。その文字は手で触るとかすかに盛り上がっています。カバーを取ると本の色は東京タワーの色です。なんて、おしゃれな本でしょう。装幀・挿画・撮影は中川雅也、リリー・フランキーさんです。
オカンとボクとオトン。オカンとボク。オトンとボク。オカンとオトン。小倉のばあちゃんとボク。筑豊のばあちゃんとのボク。3歳からのリリーさんの人生が書かれています。私には二人の息子がいます。子どもの成長とともに母親にならせてもらいました。息子たちは大人になり、相次いで家を出ていきました。オカンの嬉しさもさみしさも共感できました。
オカンはガンで壮絶な死を遂げます。そのことを書き綴っているリリーさんはすごい。すごいという言葉しか思い浮かびません。
「オカンが死んだら開けて下さい」とかかれている箱。
ママンキーのひとりごと。日記に間に挟み込まれてあった紙切れ。オカンが亡くなってから届いたオトンの手紙。涙がとまりません。
最後に本文より、
五月にある人は言った。
「どれだけ親孝行をしてあげたとしても、いずれ、きっと後悔するでしょう。あぁ、あれも、これも、してあげればよかったと。」
紙の本
日本民族の風俗史
2008/06/13 19:36
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kumataro - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京タワー リリー・フランキー 扶桑社
読み始めの2ページで、圧倒的な魅力に惹(ひ)きつけられます。自叙伝ですが、私自身も、ひとつひとつの出来事が自分自身の体験と重なります。複雑な親族関係、酒乱の男たち、頻繁な転居、貧困、花札、性風俗、暴力。読みながらなつかしくて涙がにじんできます。かつ笑えます。事実の列挙→著者の考え→事実の列挙という繰り返しの記述方式がまるで音楽を聴いているようです。
自分の親の世代、祖父母の世代の生活もよみがえってきます。自叙伝を超えて、日本人という民族の研究書にまで発展しています。
著者の母親に対する愛情は格別なもので、著者は病死した母親の遺体と布団で一夜を過ごします。
著者の生き方は私からみれば虚無的で、いささかいいかげんで、私にとっては対角線上 にある個性の人です。しかし本来私は著者と同じポジションにいたかった人間だとは思います。 距離感を感じつつ羨望(せんぼう)のまなざしで、作者を本来の人としてあるべき姿ととらえるのです。
紙の本
母は偉大
2009/05/01 22:41
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:龍. - この投稿者のレビュー一覧を見る
母は偉大です。
今の自分の存在は、母なくしては語れません。物心がつく前からそばにいてくれ、物心ついたあとにもそばにいてくれた唯一の存在。
大ベストセラーになるには、訳があります。
この物語は、どんな家庭環境の人でも共感できる内容のものだからです。
家庭環境が複雑であっても、そうでなくても子供にとって母の存在は変わりません。
また、だれしも母の死に向き合う時が必ず来ます。
そんな大切な存在である母の死のときも、世の中はなにもなかったように昨日と同じ時間が流れている。
その象徴が東京タワー。
リリーフランキーの軽妙な文章と不思議とマッチする内容でした。
龍.
http://ameblo.jp/12484/
紙の本
母を想う子の思いは万人に共通していて
2007/05/30 23:50
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ココリコミラクルタイプで毎週見る変なオッサン。リリー・フランキーの印象はそんな物でした。
ドラマ化されても映画化されても、「原作を読むまでは」と頑なに観ませんでした。
そして漸く読んだ原作。
最近知り合いのお母さんが亡くなって、危篤の時を知っているだけに、後半はあまりに酷似していて読むのが辛かったです。
母を失う気持ちを少し実感しました。現実と思いたくない気持ち、何もかも嫌になる気持ち。
リリーへの印象が変わりました。
紙の本
ついにドラマ化!
2007/01/10 20:39
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:タワー - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京タワーを読んでとてもおもしろかったです。
ドラマ化にもなって今後も売り上げが上がるでしょう
紙の本
故郷を遠く離れた人へのバイブル
2008/04/12 13:24
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ばー - この投稿者のレビュー一覧を見る
一番は原田宗典の『しょうがない人』であった。
何がというと、「読んで泣いた本」の順位だ。
今回の読書で、『東京タワー』は文句無しのトップに躍り出た。正直な話(恥ずかしい話でもあるのだが)、「ずっと」、冗談ではなく「ずっと」、涙が止まらなかった。「このまま読んでいったら間違いなく涙が出るのでもう読みたくない」なんて、大げさだが思ったりもした。
リリー・フランキーという人は、今では充分知名度があるけれど、おそらく、普通の人は(私含む)、この本が売れに売れて、本屋大賞を受賞して、初めて知った、のではないだろうか。特別テレビドラマ化、テレビドラマ化、映画化までもされ、以降は順当により多くの人の涙を誘っていった。私は先に大泉洋主演の特別テレビドラマを見て(その時もおおいに泣いた)この作品を味わうことになった。大泉洋の好演はもちろん(オダギリももこみちもなんだかイメージが違いすぎる)、ビギンが歌う主題歌『東京』は、頭の中でしばらくリフレインしていた。ドラマなんて滅多に見ない私だけど、あのドラマは良かった。
私はいわゆる「家族もの」に弱い。泣いてしまう。それも、「家族全体」よりも、「父と子」、「母と子」などの方が涙腺を刺激する。
『東京タワー』はまさしくそういうタイプだ。「家族全体」よりも、「父と子」、「母と子」。さらに、「父と子」よりも、「母と子」。タイトル通り、中心にはオカンとぼくの関係があり、それに多くを割き、その二人だけの話に時々オトンが顔を出す。だから、原田宗典、志賀直哉のように「父越え」の話ではなく、水上勉のような「母執着」の類型に入る。家族という、どうしようもない程自分が付き合っていかねばならないものに素直に向き合い、ストレートに接した家族小説だ。
東京にはどうやらより多くの悲喜こもごもがあり、それはそれでどうしてなかなかタイヘンな土地だと伝え聞く。私のような田舎者には、いつまでたっても永遠の憧れみたいになってて、「いつか東京で一旗挙げてやるぜ!」思想は、この先多分無くならないだろう。田舎がある限りそれはずっとであり、日本だけでなく、世界中のあちこちで、東京のような憧れの土地は存在し続ける。人間が人間である限りは、そういう羨望のような胸のもやもやは無くならない。
だからかどうか知らないが、そんな「国の中心」を描いた都会小説は今までたくさん生産されてきた。そこは書きやすいし、選ばれやすい土地だ。本当に昔の小説の舞台が京の都であり続けたように。そして、いつの時代でも都会者、田舎者は二極として存在し続けるように、都会「側」、田舎「側」は存在し続ける。
『東京タワー』は、舞台は東京でありながら、視点は明らかに田舎側だ。郷里の母という田舎者が、東京という都会側で生活する所にどうしようもないノスタルジーがある。母と子という関係が、都会というあやふやで怖い所に至っても崩されないイメージに広がる夢がある。
母と子は最後まで母と子であり、どこまでいっても田舎側。都会的なウィットもソフィスティケートもドライもないけれど、スノッブなんかじゃない。
都会で繰り広げられるこの夢物語は、ありがちのようでありがちじゃなく、すごく、「ええなあ」って思う。
リリーさんの渋い声がずっと頭の中で音読してくれていて、それと同じくしてビギンの『東京』がエンドレスに流れる。私のような田舎者、それでいて故郷を離れた者は、郷愁にむせび泣くしかなかった。