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幕末〜明治初期に来日滞在した幾多の西洋人訪日記に残された異文化=江戸人の実相。そこから国民国家や湿っぽいロマンではなく、風土と歴史の積分上に立つ因縁の自覚から、前代「文明の滅亡」(隠蔽)を土台とした近代化という「文化の変容」を表す。
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「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。
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江戸時代の終わりに日本を訪れた外国人の記述から当時の日本を振り返った作品。確かに先人たちが生きた古き良き日本は美しいです。
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ちょうど去年の年越しをともにした一冊。
祖母宅の掘りごたつで、眠気と戦いつつ
読んだ本。
3色ボールペンで、書き込みしたなー。
日本史を勉強しておくと良い。
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江戸時代の日本人は好奇心が旺盛でよく笑い社交的だったそうだ。
そんな失われて久しい江戸文明の美しさに気づかせてくれる良書。
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江戸と明治は地続きではなかったことを思い知らせてくれる本。豊富な史料と硬派だが親切な文章で、鮮やかに江戸の人々をよみがえらせてくれます。
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現代の日本人から見た過去の日本の姿とは、どのようなものか。
近代化を経た現在の日本人に最も近い感覚を有する過去の人とは、幕末から明治初期に日本を訪問した外国人(西洋人)であり、彼らの遺した見聞録がカメラ・アイとして用いられる。したがって著者の資料選択が偏頗であるという批判は短見であり、著者の意図への無理解に基づくものである。
本書は歴史記述としてではなく、「過去へと遡るサイエンス・フィクション」として読めばよいのであり、その限りでは読んで楽しく、愛すべき読み物である。
礼儀正しく、笑顔を絶やさず、子供を慈しむ。本書には、そうした日本人の、今は失われた美質が生き生きと描かれている。何となく惨めで、貧しく、暗い時代だったと想像しがちな近代以前の日本にも、このような日常があったのだと、著者は哀惜をこめて語る。しかし本書に描かれている日常は、多くの場合、その場に紅毛碧眼の西洋人がいるという一点で、当時の日本人にとっては非日常でもあったのではないかとも思う。
混浴についてはさておき、礼儀正しくせよ、笑顔を絶やすな、子供を慈しめ、と現代の日本人に注文をつけたがる人々が本書を持ちまわるのが鬱陶しい。
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「幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった。それはその成員の親和と幸福感、あたえられた生を無欲に楽しむ気楽さと諦念、自然環境と日月の運行を年中行事として生活化する仕組みにおいて、異邦人を讃嘆へと誘わずにはいない文明であった。しかしそれは滅びなければならぬ文明だった。」p568
彼が幕末の異邦人の言葉を紹介しながら描き出す、当時の『文明』。
前工業化社会で最高峰に達していたともいわれる『文明』。
その姿への関心もさることながら、ひとつの安定した社会システムをつくりあげる日本の力に誇りを感じます。
これからもそうであることを信じます。
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この本だけでもないが
江戸時代などについて書かれた本を読むと
何故日本が今のようになったのかについて
考えてしまう
逆に近代工業国にならなかった国もたくさんあるのに
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成果主義すらも相対化され、日本が歴史上はじめて西洋社会の後を追おうとしている(先進国としての存在が新興諸国に凌駕されようとし、人口は減りGDPは減少の一途をたどるであろうこの歴史的な)フェーズにおいて、この本を読むことには一定以上の意味があるように思う。そこにあるのはせいぜい百何十年か前の日本人のリアルな生活であり、実在していた人生、その塊である。
人々にとっての満足とか、美徳とか、人生に向き合う姿勢とかは何であったろうか。
綿々と、そして繰り返し繰り返し語られるその文章を読み続けるうちに、静かにそして確実に説得され続けているような、そんな感じになってくる本。そのためには、文庫でもこの厚さ・そしてこの文字の小ささが必要なのだろう。この分厚さに負けずにこの本を書店で手に取った時点で、もうすでにスイッチがオンされる準備は整っている。受け入れる準備をしているところにじわじわ来られるそんな感じでw
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これまでも幾つかの幕末や明治時代に訪れた外国人による紀行文を見てきたが、本書は正に在りし日の日本を映し出す集大成だと思う。
一つ一つの項目において日本人の生活する息吹きや平穏で穏やかな様子、豊かな自然美などが目の前に美しく浮かびあがる。
思わず少し笑ってしまうような日本人の様子や豊かな日本人の姿を目の当たりにして切なくなってしまったり…ただの紀行文を集約したものではなく、美しい日本人、日本の残影を彩る。
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ここに書かれているような夢の国がかってこの同じ日本にあったとは信じられない。ずいぶん前に亡くなった明治生まれの祖母に、今想えば微かに古き良き日本人の残像が見られたのだろう。
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そうであってくれ、本当のことであってくれと願いながら読んだ。
この伝聞がずっと伝わるといい、と思う。
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藤原正彦の「名著講義」で題材にされていた本。どうしても読んでみたくなった。(2010.9.20)
600ページにも及ぶ大作である。手にした瞬間、はたしてこんなものを読み切れるのだろうかという大いなる不安に苛まれたが杞憂だった。
とにかくおもしろい。
幕末から明治にかけて、日本に滞在した外国人からみた日本人や日本の社会を、彼らの記録や紀行文などから紹介しているのだが、現在のわれわれからは想像もつかないような、陽気で素朴で温かくあっけらかんとした日本人像が生き生きと描かれていて本当に驚かされる。
単なる「お江戸礼賛」だとか、学術的考察が全くなされてないとか、いろいろ批判する向きもあるようだが、当時の日本人をこのように観ていた外国人がいたことは間違いない事実なのだし、ここに描かれている日本人像があまりに微笑ましく、また誇らしく、すべての日本人に当てはまる訳でなかったとしても、こんな素晴らしい時代があったんだということが心から嬉しい。幕末や明治の日本に戻って暮らしてみたくなる。
同時に、当時の必然であったのかもしれないが、失われてしまったものの大きさに、いいようのない悲しさをも覚えずにはいられなかった。
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-2008.06.03記
著者渡辺京二は、幕末から明治にかけ来日した多くの外国人たちが書き残した記録や文書、邦訳されているものだけでも130にも及ぶ夥しい資料を踏査、彼ら異邦人たちなればこそ語り得た、この国の姿、庶民たちの生活実相を、12の章立てで本書を構成、近代日本の夜明け前の風景が一大絵巻の如く眼前にひろがる感がある。
1. ある文明の幻影
-まずは本章の最後に置かれた著者の言を引く。
私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ、ひとつの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通じてこそ、古い日本の文明の奇妙な特性がいきいきと浮かんでくるのだと私はいいたい。そしてさらに、われわれの近代の意味は、そのような文明の実態とその解体の実相をつかむことなしには、けっして解き明かせないだろうといいたい。
-また、本章半ばあたりに展開される論
文化人類学の青木保によれば、翻訳-interpretation-不可能性の自覚こそ、異文化の核心に近づくための前提である。
Singular-風変わりな-とかstrange-奇妙な-というのは、理解不能あるいは理解の必要のないものとして対象を突き放す-そういいたければ差別する-態度の表白でもありうるが、おのれの異質なものに接した驚きを起点として、おのれの文化的拘束を自覚し、他文化をその内面に即して理解しようとする真摯な努力に道を開くものでもありうるのだ。
◇オズボーン-Sherard Osborne、1822~75-と、オリファント-Laurence Oliphant、1829~88-はともに、
1858-安政5-年、日英修好通商条約締結のため来日したエルギン卿使節団の一員。
Osborneに「A Cruisein Japanese Waters」、Oliphantに「エルギン卿遣日使節録」などの著書がある。
Os-
「この町でもっとも印象的なのは男も女も子どもも、みんな幸せで満足そうに見えるということだった」
「衣服の点では、家屋と同様、地味な色合いが一般的で、中国でありふれているけばけばしい色や安ぴかものが存在しない。ここでは、上流夫人の外出着も、茶屋の気の毒な少女たちや商人の妻のそれも、生地はどんなに上等であっても、色は落ち着いていた。役人の公式の装いにおいても、黒、ダークブルー、それに黒と白の柄がもっとも一般的だった。彼らの家屋や寺院は同様に、東洋のどこと較べてもけばけばしく塗られていないし、黄金で塗られているのはずっと少ない」
「あらゆる階級の普段着の色は黒かダークブルーで模様は多様だ。だが女は適当に大目に見られており、その特権を行使して、ずっと明るい色の衣服を着ている。それでも彼女らは趣味がよいので、けばけばしい色は一般に避けられる」
Ol-
「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見えることは、驚くべき事実である」
「われわれの最初の日本の印象を伝えようとするには、読者の心に極彩色の絵を示さなければ無理だと思われる。シナとの対照がきわめて著しく、文明が高度にある証拠が実に予想外だったし、われわれの訪問の情況がまったく新奇と興味に満ちていたので、彼らの引き起こした興奮と感激との前にわれわれはただ呆然としていた。この愉快きわまる国の思い出を曇らせる嫌な連想はまったくない。来る日来る日が、われわれがその中にいた国民の、友好的で寛容な性格の鮮やかな証拠を与えてくれた」
◇ブラック-John Reddie Black、1826~80-は、1860年代初めから15年を超える滞在。著書「ヤング.ジャパン」
「思うに、他の国々を訪問したあとで、日本に到着する旅行者たちが、一番気持ちのよい特徴の一つと思うに違いないことは、乞食がいないことだ」
◇いわゆるジャパニーズ.スマイルについて-フランス人画家レガメ-Felix Regamey、1844~1907-著書「日本素描紀行」
日本人のほほえみは、「すべての礼儀の基本」であって、「生活のあらゆる場で、それがどんなに耐え難く悲しい状況であっても、このほほえみはどうしても必要なのであった」。それは金で購われるのではなく、無償で与えられるのである。
このようなほほえみ、後年、不気味だとか無意味だとか欧米人から酷評される日本人の照れ笑いではなく、欧米人にさえ一目でわかったこの古いほほえみは、レガメが二度目の来日を果たした1899-M33-年には、
「日本の新しい階層の間では」すでに「曇り」を見せ始めていた。少なくともレガメの眼にはそう映った。
◇リュドヴィク.ボーヴォワル-Ludvic Beauvoir、1849~1929- 1867-慶応3-年来日、著書「ジャポン1867」
彼にとって、日本は妖精風のLilliput-小人国-であった。
「どの家も樅材で作られ、ひと刷毛の塗料も塗られていない。感じ入るばかりに趣があり、繊細で清潔且つ簡素で、本物の宝石、おもちゃ、小人国のスイス風牧人小屋である。‥日が暮れてすべてが閉ざされ、白一色の小店の中に、色さまざまな縞模様の提灯が柔らかな光を投げる時には、魔法のランプの前に立つ思いがする」
「漆塗りの小さな飾り物、手袋入れの箱、青銅のブローチ」など、「つまらぬものだが可愛い品々」、この「こまごまとした飾り物」こそ彼が発見した日本だった。彼はそういったものに「眼がまわらんばかりに酔わされた」、漆器にいたっては、彼の魅了されぶりは「まさに熱病そのものであった」
◇エミール.ギメ-Emile Guimei、1836~1918-世界有数の東洋博物館として知られるギメ博物館の創設者。1876-M9-年来日、滞在3ヶ月。著書「1876ボンジュールかながわ」
「東京日光散策」日本の第一印象は「すべてが魅力にみちている」、古代ギリシャのような日本人の風貌や、井戸に集う「白い、バラ色の美しい娘たち」や、ひと目で中を見通せる住居の、すべてが絵になるような、繊細で簡素なよい趣味や、輝くばかりの田園風景について、惜しみない讃嘆の声をあげる。サンパンの漕ぎ手たちが発する「調子のとれた叫び声」、重い荷車を引く車力が一引きごとに繰り返す「ソコダカ.ホイ」という歌に似た叫びや、漁師たちの櫓のひとかきごとに出す「鋭い断続的な叫び」、ホテルの窓の下を通る「幅の広い帯を締め、複雑な髪を結った」女たちの笑い声や陽気で騒々しい会話や、宿屋で見送りの女中たちが叫ぶ「サイナラ」という裏声にいたるさまざまな音に心奪われ、ギメにとって日本はなによりもまず、このような肉感的な物音のひしめく世界として現れた。
彼は、鎌倉の八幡宮や大仏を見��あと、片瀬の宿屋に泊まった。床について灯りを消すが、耳慣れぬ物音が続いて眠れぬ夜を過ごした。
まずは波の音-海が震えている、その規則正しい音に混じって、ジ.ジというリズミカルな「一種の鳴き声が家の周りを走る」。そして「木から木へ飛び移る恐ろしい呻き声」、その正体は、風が聖なる杉林を揺り動かし、山が震え唸っているのだ。「星がきらめく夜空の下で、山が海に応え、陸と海とが」二重唱を歌っているのだった。日本の夜にはさまざまの霊や精が呼吸していて、人々はその息吹に包まれて眠るのだと感じて、感銘を覚えずにおれなかったのだ。
◇チェンバレン-BasilHall Chamberlain-1873-M6-来日、1911-M44-年までの長きを滞在。-著書「日本事物誌」「明治旅行案内」
「古い日本は妖精の住む小さくて可愛いらしい不思議の国であった」。しかし「教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている」
◇ポルスブルック-Dirkde Graeffvan Polsbroek、1833~1916-オランダ商館員。-著書「ポルスブルック日本報告1857-1870」
「私の思うところヨーロッパのどの国より高い教養を持っているこの平和な国民に、我々の教養や宗教が押しつけられねばならないのだ。私は痛恨の念を持って、我々の侵略がこの国と国民にもたらす結果を思わずにいられない。時がたてば、分かるだろう」
◇エドウィン.アーノルド-Edwin Arnold、1832~1904-1889- M22--年来日。原書「Japonica」
「地上でParadise-天国-あるいはLotusland-極楽-にもっとも近づいている国だ」と賞讃し、「その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のように優しい性質はさらに美しく、その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙虚ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることもない。これこそ日本を、人生を生き甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
「あなた方の文明は隔離されたアジア的生活の落ち着いた雰囲気の中で育ってきた文明なのです。その文明は、競い合う諸国家の衝突と騒動の只中に住むわれわれに対して、命を甦らせるようなやすらぎと満足を授けてくれる美しい特質を育んできたのです」
「寺院や妖精じみた庭園の睡蓮の花咲く池の数々のほとりで、鎌倉や日光の美しい田園風景の只中で、長く続く荘重な杉並木のもとで、神秘で夢みるような神社の中で、茶屋の真っ白な畳の上で、生き生きとした縁日の中で、さらにまたあなたの国のまどろむ湖のほとりや堂々たる山々のもとで、私はこれまでにないほど、わがヨーロッパの生活の騒々しさと粗野から救われた気がしているのです」などと、歓迎晩餐会でスピーチをしたが、
翌朝の主要各紙の論説は、彼が日本の産業、政治、軍備における進歩にいささかも触れなかったことに、日本の軽視であり侮蔑であると憤激した。