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紙の本
躊躇しながらも、強靱に思考するために
2006/04/08 02:31
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:半久 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルからは、これは世間に蔓延る「ウソ」を暴いてくれる本だろうと予期できるし、一応「そういうもの」に反論する形になっている。
しかし、暴かれた「ウソ」を肴に溜飲を下げたいだけの読者には、この本は向いていないかもしれない。
確かに登場する「ウソ」は根拠薄弱なものであり、直裁にウソと切り捨てて良さそうなものも含まれている。
だが、著者は第5章で《いままで議論してきた全ては、簡単に「ウソ」といってすまされない問題や、様々な結論を引き出せるかもしれない問題である。》と述べて、自分の見方を絶対視しない。私はこれを、著者の誠実さの表れであると感じた。
《(略)あることが「ウソ」であるかどうかというのは、立場なり、視点なり、価値観なりによって変わってくるのがむしろ普通であることがわかる。(中略)
個人的意見としては、スパッとわかることより、なかなかわからない方がよいと思っている。頭が良くてさっと結論をだせるよりも、なかなかパッとはわからなくて、ああでもない、こうでもないとしている方がよい。(中略)
もちろん、だからといって、全てをあいまいにしておくべきだというのではない。十分に根拠がなくても判断しなくてはならないことも少なくない。「政治的決断」は、しばしばそうしてなされる。しかし、多くの知識や事実は、しばしば複数の解答が考えられるということを忘れないでおくことも重要ではないだろうか。》
著者は、ポストモダン的な「相対主義」の洗礼を受けているなあと思う。最後の方で《ポストモダンとか脱構築という時代である今日》と書いているので、やはりそうかと思った次第。
「ポストモダンなど既に過去のもの」という人も多いが、素直には頷けない。本書がいい例だ。本書は実証的な論考を核とするが、ポストモダン的な解釈も加味して、「複数性の中の【変わりうることに自覚的な】主体的自己」の確立をも射程に入れる。それを説明する結論部がやや弱いが、本書の意図の8割方は成功していると思う。
次に、メインディッシュ(1〜4章)の紹介を簡単に。
著者が俎上にのせる言説は4つ。少ないようだが新書としてはちょうど良いボリュームだ。
第1章『統計のウソ--ある朝の少年非行のニュース評論から--』
「少年の非行は凶悪化している」といった世間受けする論調が、実態とは乖離していることを指摘。
《「統計」は、常に「ある種の意味」を前提につくられる》のであるから、その意味や隠された意図を、《少し後ろに「引いて」見つめる必要がある》と説く。
第2章『権威のウソ--『ゲーム脳の恐怖』から--』
『ゲーム脳の恐怖』の信憑性のなさと、やたらと権威を利用する議論の危うさを指摘。
第3章『時間が作るウソ--携帯電話の悪影響のうつりかわり--』
時間がたつにつれて事態が変化しているのに、その変化を問うことなしに、以前の結論に固執することから生じる虚偽を暴く。
第4章『ムード先行のウソ--「ゆとり教育批判」から--』
OECDの学力調査を鵜呑みにして、『学力低下がおこっている、これも「ゆとり教育」のせいだ』といったような、短絡的な議論の「過ち」を指摘。
最後に著者の「ウソ」(と言うほどのものではないが)に、一点もの申したい。
《現代の社会生活をおくるのに不可欠になってしまった携帯電話やインターネットやメールという道具》
これは「まず結論ありき」の論述に陥っていると思う。確かに、マス社会的には「不可欠」かもしれないが、個人レベル(上の文章はそれも包含しているはず)での事情は様々だ。私は携帯電話は持っていないが、特に不自由していない。高齢者層を中心に、インターネットの非利用者も存在する。
「不可欠」は、別の解釈・可能性・実状などを封ずる言葉でもあるから、気をつけて使う必要があると思う。
紙の本
不思議な実感
2011/09/23 08:41
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Genpyon - この投稿者のレビュー一覧を見る
「議論のウソ」というタイトルどおり、四つの時事ネタを俎上に乗せ、そのウソを分析していく。しかし、この種の他の著作に比べ、その切れ味は意外なほど鈍い。
実は本著では切れ味の鈍さをこそ売りにしているところがある。前書きの副題として「躊躇するという強靭さを求めて」という句があるのだが、その句こそが著者が本著で述べたいことを端的に示している。
「分かりやすい言説を直ぐに飲み込むことなく、判断を保留し、議論を重ねることが大事」と、言葉で書けばこれだけのことを、著者は、俎上に乗せたネタを躊躇しまくりながら切ってみせることで、実演してみせる。
あまりに躊躇しまくるその実演は、読む者に、分かりやすい言説への渇望を引き起こすほどで、読者はその渇望を内省することにより、この社会が、いかに分かりやすい言説に飛びついてしまいがちであるかを、自分自身の実感として知ることができる…
著者の意図がどうだったかは分からないが、本著は、そんな不思議な実感を読者にもたらす著書となっている。