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テヅカを中心に皆考えすぎなんじゃないの、というスタート地点から、自分なりにマンガ史を書こうとしている感じか?とりあえず、いろいろな評論とかを下敷きにしてるから、門外漢が読むとつらい。タイトルが大仰なので手にとっちまった。東「動物化するポストモダン」がどう面白いのかがようやくわかった。でも後半はよく分からん。
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手塚治虫中心主義からの脱却という感じで、読んでいてとても面白かった。
だけど、難しくて理解しきれないところもあるので、他の書評とかを読みつつもう一度精読してみようと思う。
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何もそんな難しい表現にしなくても、という部分はあったけど、読み応えはあった。
あと、図もわかりにくいものが多くて、入れなくても良いよーと思ったり。
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なぜマンガはつまらなくなったのか、その表現・評論史を紐解く。その過程の「フレームの不確実性」「キャラ/キャラクターの両分」「マンガのサブシステムの概念」は発明だと思う。
「フレームの不確実性」と「キャラ/キャラクターの両分」については、コマ割りの効果や変化とは、キャラ立ちとは何かが発端となって、単にマンガを読むだけでもその一角は発見できると思うが、マンガのサブシステムの概念に関しては非常によくできていて感動した。評論の世界というのはこういうものなのか!と。
こういう本は大抵、その歴史をけったいな文章で固有名詞を散りばめて進んでいくが、本書はそうではなかった。マンガのサブシステム〜だけでなく、全体を通して、ひとつの評論のありかたを問う一冊として完成している。それでいて分かり易く工夫されているので、評論一般への入門書としても働くと思う。
評論といえば固くてよく分からなくてつまらない、という印象を持ちがちだけども、評論はマンガをより刺激的なものにしていると感じた。マンガの「語り」はもっと面白くなっていいのだろう。少なくとも本書自体が刺激的だった。描く人も読む人も、もっと楽しくなるはず。
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【目次】
まえがき
第一章 変化するマンガ、機能しないマンガ言説
1−1 なぜマンガ言説は、現状に対応できないのか
1−2 「読み」の多様さとシステム論的分析の必要性
1−3 マーケット分類とジャンル分類のあいだ
1−4 『少年ガンガン』にミル言説の断絶
1−5 誰が子供のマンガを「殺した」のか
1−6 キャラクター表現空間のなかで
第二章 切断線を越えるもの──いがらしみきお『ぼのぼの』
2−1 いがらしみきおの認識
2−2 『ぼのぼの』と『動物化するポストモダン』
2−3 「切断線」としての『ぼのぼの』
2−4 「切断線」はどのように見いだされたか──マンガ表現をシステムとして見る
第三章 「キャラクター」とは何か
3−1 「キャラ」とリアリティ
3−2 『NANA』は「キャラ」は弱いけれど、「キャラクター」は立っている
3−3 「キャラ」とはなにか
3−4 「キャラ」から見るマンガ史
第四章 マンガのリアリティ
4−1 マンガにおける近代的リアリズムの獲得
4−2 「コマわり」とは何か
4−3 『新宝島』と「同一化技法」──竹内オサムが抱えたマンガの「近代」
4−4 フレームの不確定性
4−5 映画的リアリズム、「同一化技法」ふたたび
4−6 少女マンガと「映画的」ではないリアリズム
第五章 テヅカ・イズ・デッド──手塚治虫という「円環」の外で
5−1 手塚治虫という円環
5−2 より開かれたマンガ表現へ
あとがき──マンガ・イズ・ノット・デッド
参考文献一覧
索引
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2011 9/16読了。筑波大学中央図書館で借りた。
@sakstyleがザ・インタビューズで激奨していた本(http://theinterviews.jp/sakstyle/757318)。
キャラ・キャラクター概念の区別と「キャラ」の発見など、書名はよく知っているけど読んだことがなかったので、中央図書館に行った機会に借りてきた。
マンガ表現論の確立、あるいは現代のマンガを批評する方法の模索的な話?
sakがよく引くというガンスリ論とか、序盤や終盤で指摘されるガンガン系マンガが無視されている問題とかが面白かった。
ていうかこのあたりをなんでゼロアカ以前に読んでなかったんだって話でもあるがレディネスがなかったんやとか言い訳しておく。
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パンクを感じさせる香ばしいタイトルなので、興味を持った一冊。
文体は非常に落ち着いていて引用も多いので、決して「我々だけが正論だ」とは言ってないのでご安心を。
戦後漫画の起源を手塚とするのが、果たして正解なのか検証が挙げられている。
ほか、漫画表現論とは何か? また、どう読むのか?
突き付けられたテーマはすぐには回答は得られないが、今後の時代の変遷と共に意識しなければならないだろう。
ただし、「漫画読み」を自認する人に限るが…。
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手塚中心に語られてきたマンガを捉え直そうという試みはおもしろかった
巻末の参考文献の羅列が表すように、多くの既存の主張を土台にしているので知識の無い身としては読みづらさも感じた
なので、勉強し直してから読み返したい
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2014年11月23日読了。「最近のマンガはつまらなくなった」というマンガに対する言説・マンガ論への問題意識から、マンガを語る際に支配的な「手塚以前/以降」という枠組みを疑問視・解体する本。刺激的なタイトルだが、内容は決して手塚の業績を否定するものではなく、「偉大なテヅカ先生」を前にして思考停止しているマンガ論者に思考の切替を促すもの。面白い議論が展開されてはいるが、中盤から「手塚が『映画的視線』すなわち『同一化の視点』を発見した」という説の検証に拘泥しすぎていて、それらをめぐる過去の言説に知識もこだわりもない一読み手としては読むのがつらかった。東浩紀の「動物化するポストモダン」は本書を読むにあたっての必読の書か。
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「キャラ」「キャラクター」の分類を代表に、「た、確かにその通り!」というブレイクスルーのオンパレード。
挑発的なタイトルには、手塚信者の僕としては鼻白むところはあるけれど、批判は実に建設的・生産的で、先人たちに対する敬意にあふれている。
新たな表現論の地平を拓くという著者の試みは、かなりの程度成功しているように見える。
これからマンガを語るうえで、必読の書であることは間違いない。