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悪質なデマーゴス。教科書編集などにも関わるのであれば、学習指導要領や国語教育の研究成果がどのような方向に向かっているか知っているだろうに、国語教育を道徳と断罪するのは、何かしらのバイアスをもっていると疑うべき。不勉強であるだけならば、国語教育に真摯に取り組む人間に対する冒涜であるのでこういった無用な批判は控えてもらいたい。
ただ、こういう言説がウケルのは、教師自身が国語教育に対する勘違いをして、それを実践しているという不勉強があるから。
非常に根の深い問題がある。
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カバーに書いてあるように「現在の国語という科目の目的は、広い意味での道徳教育」であり、読解力を養うための教育ではないと指摘。教科書を批判する事を通して、文章の読み方も指南している本。
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[ 内容 ]
戦後の学校教育は子供の人格形成を使命の一つとしてきた。
現在、その役割を担っているのが国語である。
「読解力低下」が問題視される昨今、国語教育の現場では何が行われているのか?
小・中学校の教科書、なかでもシェアの高いいくつかの教科書をテクストに、国語教科書が子供たちに伝えようとする「思想」が、どのような表現や構成によって作られているかを構造分析し、その中に隠されたイデオロギーを暴き出す。
[ 目次 ]
第1章 「読解力低下問題」とは何か(国語教育をめぐる「誤解」 「読解力低下」の一人歩き PISAの「読解力」試験とはどういうものか 新しい科目の立ち上げ)
第2章 自己はどのように作られるのか―小学国語(自然に帰ろう 父の不在の意味 自己と他者に出会う 他者のいない情報 二つの定番教材)
第3章 伝える「私」はどこにあるのか―中学国語(強いられるコミュニケーション 「道徳」の方へ 「わたしたち」というレトリック なんのための豊かさか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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国語の教科書の意味合いについての本。今まで小学校で習ってきた国語の教科書のタイトル、取り扱っている内容にはさまざまな方面で吟味をされており、その中から選りすぐりのものを選定していることがしっかり書いてある。
そこには、ひとつひとつ製作者の思いというものもつまっており、今までなんとなく受けてきた自分を省みるよい機会となった。
国語の先生になりたい人にはおすすめの一冊。
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教科書の論理は実は突拍子もない。
平和で万人に平等だと思いきや「思想的」なんだと思う。
ちょっと作者の論法も攻撃的な気が。
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国語の教科書が自覚的・または無自覚に読者の内面化させていく価値観をさまざま収録教材を例に読み解いていく本。
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正しいことばかりをかいてる「モノ」
正しいことばかり言いつのる「輩」
には
「鵜呑みにするな」
という
最大限の知性を
常に
自分の中に
温存しておきたい
自己啓発の本が
大量に出回る「現在」だからこそ
しっかり
自分の中に
生きていく処方箋として
持っておきたい
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自身の国語教科書の分析をテクスト論的構造分析だの言うのは少々大袈裟だが、つまらない教科書に付き合ってたら大仰なことも言いたくなるのだろう。最近の教科書を知らないので、その点興味深かったが、矢張り、教科書のイデオロギー性を今さら暴露したところで…という感しきり。そしてこの著者、結局は国家とか資本主義とか体制は批判するのだろうけれど、教科書をたっぷり浸している戦後民主主義に対しては牙をむかない訳で、また本当の「批評」を教える国語教育をと謳っているが、本当の批評ができる人間は教科書なんて丸めて嫌いな奴をどつくものくらいにしか考えないだろう。結局戦後民主主義的な「幼稚」さが詰められた教科書ということになるが、矢張り、問題は教科書ではなく「教師」という代物(イデオロギー性云々だけではなく、キョウイクシャの一般的な教養・学問レベルの質ということだ)だということに言及する警世家は現れない。
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日本語の国語は、言語教育というよりは、道徳教育に傾いているということが筆者の主張であり、主張を裏付けるいろいろな分析(言説分析・構造分析)がなされている。
国語の文学とは1つの読み方があるわけではなく、いろいろな読み方があるというのが前提だとは思うが、本音と建前の関係のように、日本の国語教育は建前の部分で展開されることが多い。これを明らかにした点はよいと思う。そのうえで、PISA型の読解力は日本で言われている読解力とは異なるものであるので、この能力をどのように伸ばすべきかを検討していくべきだと思った。
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かつて学生だった頃を思い出すと、確かに国語は道徳教育だったと感じる。
高校時代の夏休みの課題作文で教師から、私が書いた作文は表現などは良いが内容が道徳的でないとの事で、惜しいけど作文展への出品は別の生徒の作文を、と言われた事をふと思い出した。
個人的にかもしれないが、社会に出てから必要な国語能力は正確な読み書き能力であると感じる。書店ではビジネス文書の書き方についてのコーナーもあり、社会人には文書の書き方で不足を感じている人も多いのではないだろうか。
塾講師をした経験からすれば、現在の中高生はカリキュラム上、特に「書く」事が不十分だと感じる。小論文に苦手意識を持つ生徒も多い様に思われる。他人に自分の考えをなるべく正確に伝えるという事は、教育上必要な事だと思われるのだが…
ただ、国語においてリテラシーのみが必要というわけではなく、文化を理解するために文学もある方がいいと感じる。だから私は筆者のいうような、国語をリテラシーと文学に分ける事には賛成である。
なお、私は時々古典を読むので、中高生のときに習った古典は今も役立っていて、古典も有用だと感じる(より現在の日本語を理解できるという面も)。
ただし、これら(ライティングも含めるとして)を1人の教師が行うには労力が大き過ぎる事は確かで、生徒が受ける授業時間も大きくなり過ぎる。
筆者の案を導入するとしたら削るカリキュラムをよく選ぶ必要があり、大幅な教育改革になるだろう。
しかし、もしこのような教育改革を行い、しかもそれがうまくいけば、日本の発展にとって有効なのものになるのではないだろうか。
以上、読後の独りよがりな感想でした。
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近年はPISAの「読解力」に踊らされたり、最近の作家の作品を入れた結果、方向性を見失っているなんていう話であった。
教室における国語教科書というのは完全無欠で純粋な日本語・日本思想のバイブルである…ような気がしていた。『理想の国語教科書』という齋藤孝が編集した書籍があったが、結局は時代に迎合することなく古典の名作中の名作を掲載していればよいのだと思う。言いすぎかな。
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国語教科書には隠された意図があるというのが筆者の考えである。それは道徳的な色合いが濃く、しかもその道徳とは政府の意図する回顧的保守的性格が強いというのだ。
全面的に認めることはできない。そもそも文章の多くは保守的な内容を持つものであり、子供向けのものとなれば自然体制の維持を前提としたものになるのは当たり前だからだ。
ただ、筆者の言う国語の目的を道徳ではなく、リテラシーに置くべきだという意見には大いに賛成したい。中途半端な意見の押し付けより、自身の読みを形成し、それを他と比較して時に批評する力はいまの子どもたちにもっとも伝えるべきスキルである。
そうすると、国語が目指すものに対する見直しにともなった入試問題が出題されるべきであるし、さらには社会全体がもとめる国語能力のあり方が変わるべきであると思う。そのような国語をめぐるさまざまな問題が、小学校や中学校の教科書のあり方と関わっていることに気づいた。
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小学校や中学校で使われる国語の教科書にテクスト分析の手法を適用することで、そこに働いている権力のありようを解明する試みです。
ただし本書は、「学校」という空間の権力分析をおこなう理論的著作ではなく、もっと論争的な意図を持って書かれた本というべきでしょう。イデオロギー装置としての現代の国語教育に対して、著者ははっきりと反対の態度を表明し、あるべき国語教育について積極的に「提言」をおこないます。「あとがき」によれば、「道徳教育で押さえ込むのをやめて、「批評」活動を通して「個性」を育てる方向へシフト・チェンジしなければ、日本はもう世界で生き残れないのではないだろうか」という思いが本書を書かせたということですが、やや性急に「国語教育への提言」へと踏み込んでいるような印象も受けます。
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現代日本の国語教育の危うさ、アンバランスがよくわかった。小学校、中学校の教科書の内容が懐かしく感じた。
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2005年刊。
義務教育期間に国語科が身につけさせるべきとしているのは、読解力でも表現力でもない。まして批評能力でもない。
それは道徳的正しさだ。
この観点で、国内で高い採用シェアを占める教科書の記述を解析していく。
やや独善的解析、舌足らずな説明もないではないが、光村図書の小学五年(下)での書籍全体の構造分析など、十分納得できる点も多い。
なにより国語の授業が読解とは程遠かった意味・理由を的確に言い当ててくれた点を評価したい。
ちなみに、PISAの結果での記述問題等に「無回答」が多い点が(国語)教育の問題点を雄弁に物語るよう。