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サンカとは他称であって自称ではない。
柳田がサンカのもうひとつの聖行として乞食(物乞い)をあげている。サンカに向ける柳田の目は、山中を漂泊する山美とに共感を抱く詩人の芽でもなければ漂泊民に好奇の目を向ける学者の目でもない。むしろ治安対策の必要性を訴える国家イデオローグの目、ないし凶悪なサンカの存在に怯える小市民的な目である。
農村を追われた流浪の民の多くが都市に流入したととらえている。これらの人々もまた下層民となってサンカの一翼を担った。
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[ 内容 ]
サンカとは何か。
それは実像なのか、虚像なのか、幻像なのか。
これらの問いに正しく答えられる人物は、おそらく一人しかいない。
山窩小説家、サンカ研究家として知られた三角寛である。
三角は昭和初期にサンカに注目し、その存在を世に知らしめた。
その後、サンカに関する情報を「独占」した彼は、昭和三〇年代にサンカの消滅を見届け、その歴史の終結を宣言した。
これまでに語られたサンカ論の系譜を丹念にたどりながら、消えた漂泊民サンカ、そして三角寛という人物をめぐる謎に迫る。
[ 目次 ]
序章 抗議する三角寛
第1章 サンカとは何か
第2章 説教強盗と三角寛
第3章 犯罪集団としての「山窩」
第4章 柳田國男が見た幻影
第5章 サンカの発生
第6章 三角寛、その知られざる一面
第7章 『サンカ社会の研究』を読む
終章 戦後の三角寛とサンカ研究
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[ 参考となる書評 ]
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サンカという言葉を知ったのはたぶん「風の王国」を読んでからだろう。その時にまた父から三角寛と山窩小説の話も聞いたのだと思う。最近、宮崎学のヤクザに関する書物を読んで、最下層民、周縁社会、被差別部落などの興味から読んだ弾左衛門、中世の非農耕職民などの書物から、サンカに対する漠然としたイメージを持っていたが、この本を読んで、自分の中で体系的に理解しなおすことができた。
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流浪の民「サンカ」自体マイナーな存在だが、その「サンカ」にスポットライトを当てた民俗研究の怪人「三角寛」の視座を追うという相当にマニアックな本。PL教団の前身「ひとのみち教団」信者としての戦後日本に対する批判的な態度が、三角のサンカ研究に影響を与えているとする著者の仮説はそれなりに説得力があった。
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まず「サンカ」という存在がいたということ、
そして「漂泊民」という言葉があったこと、
この両方を知ったことだけでも、世界が広がった。
民俗学という分野は全然わからず、まだまだ興味のフロンティアは広がります。
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実証的な民俗学の手法を大きく超え出て、自由な思索と想像力を駆使して漂流民「サンカ」をえがいた三角寛を紹介した本です。
また、三角寛が「説教強盗」を追い詰めた事件や、「ひとのみち教団」へのかかわりについても、立ち入った考察が展開されます。著者は、三角が「野放図な想像力」によって「ひとのみち」の教義とサンカとのあいだの共通性・類似性をつくりあげたという一面的な見かたをしりぞけ、三角がサンカとのかかわりを通して、「ひとのみち」の教義や組織論をサンカ社会に浸透させていったのではないかという見かたを提示しています。
こうした著者の視点は、「福田蘭童剽窃事件」についての見解にも一貫しています。この事件は、三角が創造しサンカ社会に輸入されることになったサンカ用語を、福田が勝手に用いたことに対して、サンカ用語の独占的使用権を主張したものですが、著者の関心は、三角の「虚構」を批判するよりも、そうした三角とサンカの関係の実態を明らかにすることに向けられているように思います。