投稿元:
レビューを見る
神戸の酒鬼薔薇事件の少年A、その社会復帰を機に被害者である土師淳くんのお父さんがまた手記を発表しました。
前回の『淳』は読んでいて本当に胸が痛かったです。なんで自分の息子がという思いが痛かった。
逆に『「少年A」この子を生んで……』は加害者少年Aの親による手記ですが、これは読んだとき、「母親はAのことを気付いてあげられなかったのかな」と思ってしまいました。少しだけ、同情してしまいました。謝罪などはここに書かれていましたが、土師家への直接の謝罪は無かったらしいです。
『淳 それから』を読んで、Aの母親が土師に謝罪をするより先に言い訳でもするように手記を発表し、しかもその際、被害者への許可も何もなく、その印税等で賠償金を支払うということを知って、憤りを感じました。最近になって、Aに「本当にお前が殺したの?」と聞いたらしい事実にも閉口です。
加害者は人権保護の名の下に守られているのに被害者の側はマスコミにさまざまなプライバシーが晒されて蹂躙される。
そんな被害者の二重にも三重にも重なっていく悲しみを少しでも理解してその都度措置できるような法律ができていけばいいと思いました。
投稿元:
レビューを見る
神戸連続児童殺傷事件の犯人が出所しました。少年だから、という理由で、どこの地区で出所したのか、現在の居住、新しい名前、全て被害者にさえ教えてもらえません。
しかも、彼がまた罪を犯したとしても、前科があるとされないそうです。
少年法の理不尽さと、マスコミ被害。著者の苦しみは終わることがない。
投稿元:
レビューを見る
殺された人は帰ってこない。
でも、殺した人は生きている。
少年と言うだけで、罰も受けずに社会に出ていることを考えると理不尽だと思うけど、これが今の日本の法律の下にある現実なんだなと思う。。。
投稿元:
レビューを見る
少年Aは歳月を重ねて 実社会に復帰してきた。
淳君は もう 戻らないのに。
被害者遺族からの出版に情熱を感じる。
少年法とは?更正とは?
何故被害者サイドなのに、何も情報がもらえない?
『あすの会』参加によって、時代の流れを変えていく土師氏。
少年Aは 淳君の事を想うことはあるのだろうか?
投稿元:
レビューを見る
月日がたったからといって憤りがおさまる事件ではありません。加害者とゆうより加害者親の無神経なご都合主義的内面は特に不快な気にさせられます。今回の一連の事件に関しては加害者の親にも同様な刑罰がないのが悔しいです。
不幸にも被害にあわれた方々や地域住民の方々の心が少しでも平穏となりますことお祈りいたします。
特に被害にあわれた方のご兄弟の精神的ダメージが和らぐことをお祈りいたします。
投稿元:
レビューを見る
以前、「淳」を読んだとき、被害者の親とはこうなるものなのか、、と思い知らされた。この本は、その後の気持ちと行動について、リポーターの本田氏と共著の形で書かれている。
犯罪被害者等基本法ができたことは彼らの運動なしにはありえなかっただろう。
被害者家族にとっての少年法は高いハードルになる。
が、簡単に低くするのはまだまだ問題が多いだろう。子どもの犯罪の責任は、本人とその親だけの責任ではなく、その背景には社会があると思うから。
投稿元:
レビューを見る
前作より8年後、犯人少年Aが医療刑務所を出所することが決まりました。
しかし、またもや少年法の壁が立ちはだかります。
「いつ、何処に、出所し生活するのか」も被害者には伝えられません。
そしてこれで、あの「酒鬼薔薇聖斗事件」の前科も帳消しなのです。
8年の月日は被害者側にも、加害者側にもとても長く短い年月。
是非加害者の少年にもこの本を読んで貰いたい。
そして聞きたい、あの事件を今どう思いますか?
投稿元:
レビューを見る
少年法、被害者へのケア、事件ののち、辛さを抱えながら、それらと向き合う被害者の父。
今、少年犯罪は毎日のように報道されている。少年Aを神のように崇める人まで現れ、被害者家族は辛い思いをし続けていると思う。
いろいろ考える。
なぜ少年は人を殺めることを選ぶのか、ふつうとは?倫理観とは?命の尊さを重さを、かけがえのなさを。
投稿元:
レビューを見る
凶悪犯罪の遺族がどのように苦しみと向き合ってきたか。完璧に理解するのは無理だが、状況や感情の変化が伝わり、少しでも理解できた気になる。日々の暮らしの中で、いつ巻き込まれてもおかしくない犯罪。他人事ではない。
凶悪犯罪の加害者が賠償に応じるのは14%に過ぎず、命を金に換えるという世間の批判の目、訴訟費用の負担も大きく、提訴を諦める被害者もいるらしい。土師はそれでも民事訴訟に踏み切る。マスコミや加害者家族からは詳しい状況が伝えられず、その事に不快感を強める。そうした延長線に、追い討ちをかけるよう、加害者の両親が手記を出版。気分が悪く、中止して欲しかったと。
少年 Aの『絶歌』も読んだ。光市母子殺害事件の遺族である本村洋氏に関する著作も読んだ。衝動的、いや計画的であれ、遺恨なしに他人を無差別に殺害する人間は、何かしらの欠陥があるとしか思えない。事実として、社会には確率論でそうした危険因子が存在する事。また、人間は万能では無いからこそ、更生に限界がある事を謙虚に認める法制度が必要ではないか。つまり、死刑反対と同レベルでの不完全さを論拠に、という事だ。そういえば、サムの息子法の日本版はどうなったのか。この国はまだまだ、被害者に対し、不条理だ。
投稿元:
レビューを見る
お子さんを亡くした後の心情を読んでいると苦しくなる。そこから少年法改正に向けて活動され、心が打たれた。私なら復讐のことしか考えられない。