近世史最大の民衆反乱を最新の研究成果に基づいて解明!
2005/12/13 11:47
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投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
島原の乱は、江戸時代初期(三代将軍徳川家光治世の頃)に九州天草・島原地方で起きたキリシタンによる大規模な叛乱である。江戸時代を通じて民衆による一揆は多数起きているが、この乱のように何万もの農民が一斉に蜂起しそれを鎮圧するのに十万を超える幕府軍が投入されたことは他に例を見ない。
このように時の幕府を震撼させ後世にも大きな影響を与えた出来事にもかかわらず、一般向けの書物は今までほとんど出版されていない。これは、島原の乱の主な担い手がキリシタンであり、この乱の深層を解明するには宗旨の研究が必要不可欠であることがその主な要因であるように思われる。
戦後歴史学は、多大な成果をこれまでに挙げてきたが、戦前の皇国史観の反省から宗教的な領域は避けてきた傾向にあった。そうした研究上の動向が、この乱の宗教的な側面の解明を立ち遅らせたのであろう。
そのような中にあって、本書は島原の乱について一般向けに書かれたおそらく最初の纏まった書であると同時に、宗教的な面にまで踏み込んだ意欲的な書である。
本書の中でとりわけ注目すべきは、最新の研究成果がふんだんに盛り込まれていることである。それは、例えば当時の農民像やキリシタンが乱に立ち上がった要因を解明してところに窺える。
この当時は、徳川幕府の基礎も固まりつつあり、兵農分離もすでに終わっていたと思われていたが、本書によると戦国の余燼は各地に残っており、農村はまだまだ武力を蓄えていたという。それ故、乱の勃発時に在地の村々は、キリシタン側につくのか幕府側につくのかは独自に情勢判断をして決めたと当時の史料は伝えている。
これは、通説を大きく覆す見解で、江戸時代の農民というと「生かさず殺さず」と言われるように領主側に生殺与奪の権限が握られていたように一般的に思われていたが、少なくともこの当時の農民はそのような唯々諾々となる存在ではなかったようだ。
島原の乱でキリシタンが一斉蜂起したことについては、厳しい宗教弾圧は乱が起る十年前ものことであり、何故その時に立ち上がらずに年数を経て叛旗を翻したのかということが大きな疑問とされて来た。著者はこの疑問に対して、一揆の指導者はその時の宗教弾圧に耐え切れずに一度棄教して乱の前に再び信仰に立ち戻った「返りキリシタン」が多いということから、飢饉にもかかわらず厳しい年貢収奪が行われたことは信仰を棄てた報いと捉えられており、そうしたことを背景に宗徒たちは不退転の決意で蜂起したのではないかとしている。
著者は、終章で、島原の乱がかくも大規模で容赦のない殺戮を伴うものになったのかということについて、当時の武士を初めとする一般庶民の宗教観を挙げている。当時のキリシタン以外の日本の宗教は、概ね仏道と神道ということになり、それを貫くものとして「天道思想」があるという。この天道思想は「天を恐れぬ所業」とか「天に恥じぬ行い」とかに使われる天の謂いである。この天道思想は、当時の武士や民衆にも広く共有されており、一方のキリシタン側でも一般民衆に教義を広める際に至高神を天道と表現していたと言われている。つまり、両者とも同じコインの裏側とも言える側面があり、それだけに至高神を巡るヘゲモニー争いは熾烈を極め、あのような血で血を洗う凄惨なものになったのではないかとしている。これは、宗教学的にも文化的に見てもはなはだ興味深い見解である。
以上、読みどころと思われる点を幾つか紹介したが、総じて言えば、本書は通常の新書にないような斬新な見解が盛り込まれており、乱の歴史的な経緯ばかりではなくキリシタンを初め当時の人々の宗教観を垣間見ませてくれる優れた近世史の書物と言うことが出来よう。
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[ 内容 ]
大坂の陣から二十年余りを経た一六三七年、天草四郎を擁するキリシタンが九州の一角で突如蜂起し、徳川幕府に強い衝撃を与えた。
飢饉と重税、信仰への迫害が乱の原因とされるが、キリシタンが「異教徒」に武力で改宗を強制した例もあり、実情は単純ではない。
本書は、戦乱に直面した民衆の多様で生々しい行動を描き、敬虔な信者による殉教戦争というイメージを一新。
民衆にとって宗教や信仰とは何であったかを明らかにする。
[ 目次 ]
民衆を動かす宗教―序にかえて
第1章 立ち帰るキリシタン
第2章 宗教一揆の実像
第3章 蜂起への道程
第4章 一揆と城方との抗争
第5章 原城籠城
第6章 一揆と信仰とのつながり
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一つにはこの歴史的事件の概略を知るに手頃な著作ということ。それ以上に、最後部で記される、近世初期の民衆の宗教意識について気づかされた。また勉強したいテーマがひとつ増えた。
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伴天連追放令の理由…1.宣教師による信仰の強制、2.キリシタンの行う寺社の破壊と僧侶への迫害、3.宣教師の習慣である牛馬の肉食、4.ポルトガル人による奴隷売買。
キリシタン弾圧の激化と乱の発生までの時間差の考察とか、当時の宗教観とか、キリシタン一揆に巻き込まれた住民とか、興味深く読んだ。
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2005年刊行。著者は東洋大学文学部教授。キリスト教徒の迫害殉教・為政者の苛斂誅求に島原の乱の発生根拠を求める通説に対する批判的見地から論を展開する。しかしながら、?は多い。著者がC教への反駁思想としてあげる「日本宗」だが、これを慶長19年の伊勢踊りにその民衆意識発生の根拠とするが、些か牽強付会に過ぎないか。仏教の宗派が神道や他の宗派と先鋭な対立関係は少なかったというのは理解できるし、乱時に仏教各派信徒が島原・天草に在住し、時に反C教主義であった点は否定しないが、余りに大掴みすぎないか。
また、天道=神道かの如き理解・解説もそれを所与の前提として論を展開している感なきにしもあらず。本地垂迹の解説を丁寧にしないと説得力を欠く。さらに、乱主導側が南蛮と連絡し後詰で期待していたというのはいかなる根拠でいうのか不明。一方、詳細な島原の乱の経緯と、同乱におけるC教殉教一辺倒への批判(もっとも、乱ないし一揆における宗教的紐帯の軽視という疑問は残る)、乱の動員が戦国期との類似性を持つ点、乱の推移にてC教信徒が仏教徒などを迫害した事実適示は興味深い。
また、秀吉・家康政権下のC教禁教令は、個別領国内において、為政者や地域により徹底度合が違う(為政者の個人的属性のみならず、住民統治にC教弾圧が得策でない場合も)点も同様。
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2018年には原城(天草四郎たちが籠城した場所)も世界文化遺産に指定されるのではないかと期待して読了。島原と天草に土地勘が無くても(私は長崎県南島原市出身ですが)、地図が冒頭についているのでそこは親切。
島原の乱が蜂起した理由が通説とは一致しないことを、多くの文献により立証しようとしており丁寧な仕事の本です。
ただ島原の乱の初心者が読むには大変ですね。天草四郎がなぜ首魁に持ち上げられたのかという理由が全く触れられていないのは残念
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天草四郎のカリスマ性と島原の乱を知りたくて読んだが、籠城に至るまでの平民の信仰心(身を守るための改宗)や大名の利益にページが割かれていたため自分の目的とは主題が違った。
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大分前に読んだ者の再読だが非常に深く勉強になる。宗教一揆なのかそうでないのか、これは色々解釈させて面白いと思う。再読したい。宣教師も一筋縄でいかない。大友宗麟は結構ひどいことをしているがこのあたりからある意味中世日本を宗教的に克服していく核としてキリスト教が果たした役割は大きかったのではないかなどとやや俗説めいたことをおもってしまった。
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江戸時代にあった事件だが、避難民が城内に逃げ込むなどの戦国時代との連続性がある。キリシタンの決まりが人民の生活に入り、背く者への制裁が伴うようになっていた。
現世利益は日本人の宗教観の基礎かもしれない。
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「島原・天草一揆」(通称・島原の乱)がどのような性質のものであったかを探った好著。苛政と弾圧への反乱というだけでなく、中世の千年王国に似た宗教運動であるという。人は何かを信じて生きるということを考えさせられた。