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現代の「外見至上主義」の暴走、
アンチエイジングなどの化粧の変化、
自分の中の美意識など、
「美」に対する現代の志向を考察した本。
どの章も興味深く、面白い。
400ページ近い分厚い本だが
一気に読めた。
ただ難点を挙げるとすれば
ジャーナリストの石井氏と化粧文化論者の石田氏の2名が
章ごとに執筆しており、
時折「石田さんの言われている〇〇は〜」とか
「石井さんの△△について〜」と
双方の主張を引用している箇所があり、
ちょっと混乱しそうになるところか。
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タイトルと表紙のインパクトがすごいんで、手にとってみたけれど、イマイチ本質はよくわからなかった。
いわゆる一般論を肯定するわけでもないし、否定するわけでもないし。
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なぜ「美しい=いいこと」なのか。
なぜ「醜い=悪いこと」なのか。
石田かおりが『化粧』の定義を広げすぎていて、しっくりこなかったり。
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<メモ>
・ 日本人女性は外見を含め自己評価が低い
・ 化粧を、マイナスをゼロにするもの、欠点を隠して人並みになるものと 捉えている
・ 「この外見的に輝いている一瞬の自分を残したい」と大量に写真を撮る 若者→四六時中自分の外見を意識している
・ 老いを受け入れるより若さを求める方が前向きな生き方であるという発 想が広がっている
・ パリ万博以降の近代、ファッションリーダーが上流階級の30~50代の 夫人から10代後半~20代前半の娘にシフト(コルセットからの解放、ボ ーイッシュなギャルソンヌ)
・ 化粧は男のものであり、権力の富の象徴だった。
・ しかし、現在は連れて歩く女をどれだけ着飾ることができるかがステー タスになっている(若くて美人なら尚可)
・ 江戸時代の女性の化粧は夫・舅・息子に仕えるための礼儀
・ 古代の化粧自体の意味は他人や神・自然とのコミュニケーション
・ オレ様化する子供たち→教育は顧客サービスに
・ 「消費者」とは物質・商品を消費することで自己実現ができると信じている人たち
・ 制服によって集団を統制する ex. オウム、中国の軍服
・ 化粧品会社のメイクアップ指導は「ゴールデンプロポーション」に沿って顧客の顔を補正するという考え方→個性を無くすもの
・ 自己表現としての化粧に必要性
・ メイクしてる顔と素顔、どちらが仮でどちらが本当の自分の顔か
・ 顔は誰のもの?社会?
・ 美を求めるとき同時に愛も求めている
・ 「人の価値は外見で決まる」「中身である」という価値観の同居
・ 近代化は若さと健康を求める
男性の美容熱が高まってきた原因は
・ 労働が肉体労働からコミュニケーション主体へとシフトした
・ 男が女に選ばれる時代になった
・ 情報化社会で外見も価値を持つことになった
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「人を外見で判断してはいけません」というのは、かつて当たり前の価値観としてあった。ところが、現代は「見た目も大事」と言ってはばからない。いやむしろ、「見た目がイケてないやつは、結局ろくなヤツじゃない」というところまで進んでいるのではないか? こうした社会の変化を、化粧、ダイエット、美容整形などを通じて考えていこうというのが本書。
あらゆる手段を使って「美しくありたい」と思うことは、ほんとうに「善」なのか。自らも顔面にアザを持ちNPO法人ユニークフェイス代表として活躍するフリージャーナリスト石井と、化粧文化研究者の石田が、交互に意見を交わす形式で互いの問題意識をぶつけている。
「キレイでいたい」という欲望が「善行」としてはびこる現代社会。そしてそれをサポートする手段は、よりどりみどり。だから、努力しない人は、怠慢怠慢! それが社会の風潮なワケ。では、「キレイじゃない自分」は、自分ではないのか? 「キレイな自分」というイメージを際限なく消費し尽くしていくと、結局は「一部の勝ち組と、その他大勢の負け組」という社会(なんつーか「見た目格差社会」だね、ソレ)ができかねないぞ、と著者2人は警告する。
消費社会の中で、肥大する一方のセルフイメージ。その危険を自覚し、「ありのままの自分」、「ひとそれぞれ・年それぞれの美しさ」を大事に、という結論は、安心できる。反面、なんというか予定調和でちょっとしらける面もある。
「結論ありき」で社会を観察しているかのような石井の論調が、ちょっと気になった。しかし、個人の体験をベースにした部分はかなりの説得力を持っている。
一方、それを受け止める石田のパートは、思想や歴史ベースの教養の深さが感じられ、落ち着いて読めた。が、そのぶん「あたりまえ」感は否めない。
「キレイな人が好き」という感情は、いうなれば遺伝子レベルで組み込まれている感情である。鳥が囀り、蝶が着飾るのと同様、人間も「若く美しい」相手を求め、自分もまた「美しくあろう」とつとめる。この本では、「かつてはそれほどじゃなかったけど、今は外見至上主義だ」という立場をとっている。でも「そんなことない」と思う人だっているはずだ。昔から美人はトクしてたし、カッコイイ男が総取りしてたよ、と。論の射程として、そういう人たちにこの本が届くとは思えないのも、ちょっと残念。次に著者が本を出すとしたら、そういう「本能レベル」の考察も、ぜひ加えてもらいたいと考える。
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自分も身だしなみとして「加齢」を気にせざるを得ない年齢になり、はてさて困ったものだ、と思っていたところにその概念がある種の「社会的病理」である、と指摘されたことはある面とてもスッキリしたものの、別の面では怖くなった。イマドキは「初対面の印象は見た目で8割」というコトバに誘われてか、「嫌われたくない」症候群の現代人はこぞってそれに倣い「小綺麗」を心がけ、本書にもある通り「誰が誰だかわからない」無個性化の中に埋没しているかのようだ。自分が自分でいられない世の中、これはあまり歓迎したくない状況だ。
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生々しい本。
現代の日本における美醜感覚、その評価から外れた人たち。若さと老い。社会の構造。
人は見た目が全てと言っても過言ではないと思うし、見た目が少しでも良くなるように努力する。自分の気分がそれで良くなることを通り越して、社会が求める美しさを追って自ら首を絞めていく。
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それほど興味があったわけではないけどたまたま読んでみました。
本書でに「現象学」は自分の知っている現象学とは違う気がしてならない。そもそもこのタイトルが自分には意味不明。