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三島由紀夫が死んだ日 続 あの日は、どうしていまも生々しいのか みんなのレビュー

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みんなのレビュー2件

みんなの評価4.0

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紙の本

正編より続編の方が優れている、という珍しい本である。

2006/01/23 16:23

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ジャンルを問わず、続編が正編より優れているというケースは珍しい。しかしこの書物に関してはその珍しいケースであると断言できる。実は正編は出たときにすぐに買って読んだのだけれど、所詮は三流どころの文化人が三島という超一流をダシに使って本を出版しただけ、という印象を禁じ得なかった。だから続編は買うのをためらっていたのだが、やはり三島本ということで気になる気持ちを抑えきれず、出て2カ月ほどたってから入手して一読してみたところ、これがなかなかのものだったのである。
 沢山の人間が三島へのオマージュを披露しているのだから、むろん出来にはむらがある。今回、私が特に面白いと思ったのは、高橋睦郎と島田雅彦の文章である。詩人と小説家。いずれも実作者であるところが共通している。これは偶然ではあるまい。
 たしかに正編にも実作者は一応入っていた。瀬戸内寂聴である。しかし彼女の書く文章は人畜無害をもって特徴としているので——瀬戸内は新聞や雑誌によく寄稿しているけれど、私は内容に感心したことは一度もない——当然ながら三島の持っていた毒と多面性には肉薄し得ていなかった。単に昔三島と多少の付き合いがあったおばさんの文章というに過ぎないのである。
 実は続編でもそうした側面はないでもないので、辻井喬の文章は瀬戸内に類したものである。つまり、昔三島と付き合いがあった物書きというだけでは三島の本質に迫ることはできないのであって、まさにこの点こそが人選をした編者の見識が問われるところなのである。
 三島を論じるには、では何が必要なのか。学識ある実作者たること、である。三島自身、東大法学部を出て大蔵省に勤務した人間であったことを忘れてはならない。彼の評論をある程度読んでいれば、その博識と論理性には十分気づくはずなのだ。つまり三島を十全に理解するには、単なる本人との交際経験だとか、美意識やイデオロギー上の親近感だけでは駄目なのであって、感性と幅広い知識との融合こそが欠かせないのである。
 高橋睦郎は、生前の三島との交友にも多少は触れているが、三島作品に描かれている華族の寄食根性に言及したり、両性愛的な資質がないと作家として大成しないと指摘するなど、実作者としての勘と多方面への目配りから来る慧眼はさすがと言うしかない。
 島田雅彦は、三島が単なる純文学作家ではなく、エンターテインメント小説を書いたり評論をものしたり、また映画・演劇・写真集にと幅広く活躍していた事実に注目する。また外国人の日本文学観も三島の活躍に多くを負っているので、今日の日本作家たちはいわば三島の築いた礎の上にいるからこそ容易に海外で理解を得られるのだという指摘を行っている。これに比べると韓国には三島に当たる存在がいないので、韓国文学はなかなか外国人に受容されないというのだ。いずれも三島をよく読みなおかつ調べた上での発言であり、教えられるところが多い。
 このほか、最近『春の雪』を映像化した映画監督・行定勲の文章も面白い。私もこの映画を観てなかなか良くできているのに感心した口だが——ただし聡子役の竹内結子だけはミスキャストだと思ったけれど——、三島作品を映画にする場合の留意点や工夫が書かれていて、なるほどと思うことしきりであった。三島の政治性を無視しようとするところが多少気になるが、三島が自決したときにはまだ2歳だったという若い世代の三島受容として心に留めておきたい一文である。

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紙の本

三島由紀夫は何故あのような壮絶な最期を遂げたのか?11名の論者が多角的に解明

2005/11/26 17:38

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る

今年も11月25日が巡ってきた。そう、三島由紀夫が自衛隊市ヶ谷駐屯地に乱入し割腹自殺した日である。あの衝撃的な死から今年で三十五年経つが、今なお生々しい出来事として立ち上がって来て、私たちの心を激しく揺さぶる。
本書は、三島と生前親交のあった作家・芸術家や三島の作品に関心を抱く比較的若い世代の文化人11名が、没後三十五年を機にそれぞれの立場からこの作家について論じた寄稿文を収録している。
本書を読むと、三島が自決した11月25日のことを未だに鮮明に憶えている人が多いことに驚く。多くの人に当日のことをこれほど鮮明に憶えさせているのは、やはり三島の異様な死と、この時期1970年を境に日本が大きく様変わりする分水嶺にあたっていたからであろう。
事実、三島自身、亡くなる少し前にこれからの日本のことを『無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、或る経済大国』にしかならないと予言している。三島の死後、日本がこの通りの道を辿ったことを思うと、三島の鋭敏な洞察力には今更ながら驚きを禁じ得ない。
先にも触れたように、寄稿者たちは、本書の中で様々に三島の死について語っているが、有力な見解は概ね次ぎの三つに分けられるようである。
第一は、三島の作品に登場する主人公は存在感が希薄なことに悩んでおり、それはそのまま三島にも通じ、あの切腹という異様な死は存在回復の究極的な試みであったとする見方である。
第二は、三島の生涯の課題は「日本の美しい伝統」を復興させることにあり、それが「悪しき現代化」へ邁進する日本ではもはや無理と悟り人々に「覚醒」を促すために敢えて反時代的な最期を遂げたという見方である。
第三は、三島文学の中には暗い底流があって、日本文化のもう一つの側面である「死と血」の美学に深く影響されており、それが生来のサドマゾへの嗜好と相俟って、切腹という極度の苦痛に満ち血塗れの死を選ばせたという見方である。
いずれも、興味深いものがあるが、このような見方はこれまでにも指摘されてきたことであり、特に目新しいものではない。
そうした中で、比較的若い世代の論者たちの中に、その死を含めてもっと多面的に三島について迫ろうとする新鮮な見方があるように思われる。
紙面の関係で、詳しくは触れることは出来ないが、三島の死は昭和40年代という弛緩した時間に楔を打ち込む演劇的な儀式であったとする四方田犬彦氏、『春の雪』を映画化する中で三島と向き合った日々を語る映画監督行定勲氏、同じく三島文学について各界の著名人が語るインタビュー映画『みやび 三島由紀夫』を演出する中で自己と作家との関わりを辿っている田中千世子氏、などの文章が印象に残る。
三島について論じられた本は無数といって良いほどあるが、本書はそうした中で、三島を神格化しようとする見方から解き放つ試みとして一定の評価はできる。これを嚆矢として、三島の作品及びその生と死についてもっと多角的な観点から解明が進むことを期待したい。
なお、本書の冒頭には三島由紀夫が被写体となった伝説的な写真集『薔薇刑』(撮影 細江英光)の一部が載せられているが、これは今見てもかなりインパクトのある写真である。この写真を見ても三島は、一筋縄で捉え切れない作家ということが窺える。やはり三島は、時代を経ても特異なオーラを発する作家であり続けるようである。

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