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紙の本
期待に反し、寄せ集めの論文集に終わっている。
2006/04/06 11:32
6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近、帝国論がブームになっている。米国が唯一の超大国として地球上の様々な地域の様々な問題に介入していることがその原因の一つだが、他方、ネグリとハートの『帝国』が定式化したように、グローバル化がもたらす世界の〈帝国〉化も議論の対象になっている。つまり世界が経済や政治においてネットワーク化することによって、かつての国民国家が持っていた権力性は失われ、同質性が増大しつつも「文化」によって他者との境界を鮮明にしようとする動き(宗教原理主義の台頭もその一つ)も強まっていくのであって、こうした状況下では米国といえども世界に君臨して権力を振るう存在と位置づけることはできない、という見方である(ネグリとハートの主張は本書の第3章冒頭に手際よく要約されている)。
本書は、以上2つの帝国論の潮流をふまえ、前者(米国が唯一の超大国という議論)を「帝国」、後者(ネグリとハートの議論)を〈帝国〉と表記することで区別しつつ、「帝国論の中間決算」を試みたものである。7人の論者が登場し、それぞれの専門を活かした視点から帝国を論じている。
さて、一読した印象を一言で言うなら、寄せ集めの論文集だな、というに尽きる。これは編者も分かっているようで、「はじめに」には「私は編者として、寄稿者に対して、特定の編集方針への同意をあえて求めなかった」とある。その理由として、大半の寄稿者が編者より年長であること、また編者も一読者として「この人の帝国論を読んでみたい」と思ったからであることが挙げられている。しかし、これはいささか無責任ではないだろうか。非市販で業界内部でしか流通しない専門家向けの論文集ならいざ知らず、「講談社選書メチエ」という、新書よりは専門性が高いとはいえ廉価で大部数が一般読者に提供されるシリーズの一冊としては、章ごとの内容の統一性や、想定される読者レベルに合わせた執筆法が強く求められるのは当然だろう。
中で比較的安心して読めるのは、第2章の「『規則帝国』としてのEU」と第3章のモンゴル論だろう。これらはいわば地域研究としての性格を持ち、また中立客観的な視点と一般読者を意識した比較的平易な論述が貫徹されていて、教えられるところが多い。
これに比べると第5章のロシア帝国論は、現在のロシアを読み解くのではなく研究史であって、それなりに面白いところもあるが、一般の読者にはあまり食指が動かないのではないか。また著者がハーヴァード大学のウクライナ研究所に学んでいた頃の人の動きなどにも言及があるが、そういうことを敢えて書くなら米国におけるロシア研究の歴史をちゃんとたどる程度の作業はやってもらいたいものだ。
こうした地域研究があるかと思うと、最後の章に編者が載せているウォーラーステインの世界システム論に対する批判のように、歴史の流れや地域の関係をどう捉えるべきかという、一種大がかりな哲学めいた議論もある。しかし私の見る限りでは「ああも言えるしこうも言える」という域を脱していないようだし、また、世界史において近代の国民国家は一時的な例外現象でありむしろ何らかの意味で帝国主義下にあった時代の方が圧倒的に長かったと訳知り顔で言うだけでは説得性が薄い。フランスの思想家などから出ている「グローバル化の暴力から個人を守れるのは国民国家の法と権力だけ」という議論をふまえた考察が望まれるところである。
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