紙の本
この本、ダメでしょ
2006/03/26 18:25
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
刺激的なタイトルに誘われて、買ってはみたものの、あからさまな失敗だった。実質50ページちょいでそれと同じくらいの訳者解説。それで\1300は高すぎる。
いや、それでも内容が面白ければ良い。しかし、実際にはウンコな議論というのの対象をはっきり定めてくれるわけではないし、実生活上で出会った場合の見分け方にもならない。
切り口によってはいくらでも面白くできるんじゃないかと思われるのに、こうなってしまったのは残念。
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知らないことを知ってるかのように話す人、或は知る努力をしないで話す人たちをウンコという。僕はウンコだ
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訳者買い。本文と訳者のあとがきが同じくらいの分量あるという面白い本。中身といえばうんこな議論を哲学するという固い本。面白くは無い。
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タイトルから考えられないぐらい中身は道徳哲学しちゃってます。といっても俎上に載せるのは「ウンコ議論」なんですが(笑)。この本が出たおかげで、世にはびこる「ウンコ議論」に一言浴びせかけられるようになりました。曰く、「あんたの議論、ウンコですな」ああ、もうこう言われたら終りです。実際ある女史に「あなたの議論はウンコです」と言ってやった経験あり。
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タイトルだけ見ると、かなりくだけた感じの本かと思いきや、中身はいたって大真面目な哲学・形而上学の本でした。原題の On Bullshit からそれ程かけ離れた邦題ではないけど、この本が書店のベストセラーコーナーなどに並べられてタイトルだけから判断して、笑えそうな内容かなと思って購入するとえらい目に会います。帯に「爆笑必至の解説たっぷり付」と書かれているけど、爆笑というのは少し違うかも。
構成は、前半が翻訳、後半が解説になっておりほぼ半分が訳者の考察・解説になっています。個人的に哲学を専攻していたとか、その方面に特別興味があるわけではないが、10年以上前に何かのきっかけで古本屋で購入して呼んだ形而上学の本の事を思い出しました。この手の学者はいつもこういった観点で物事を考えているんでしょうが、四六時中そうだと正直ちょっと疲れます。でもそういった考え方を学ぶのも悪くはないでしょうが...
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「ウンコ議論や屁理屈は、知りもしないことについて発言せざるを得ぬ状況に置かれたときには避けがたいものである。
〜人々はしばしば、自分がそこそこ無知であるような事物について、あれこれ語るように求められる。
〜民主主義における市民はどんなことについても〜見解を有する責任があるという広範な気目付けも、ウンコ議論生産の大きな要因である。
〜現実には物事の真実として見極めるべき本質がないと思いこんで、自分らしさに忠実たらんとする。
〜しかしながら、その他すべてのものについては決定性がありえないと想定しておきながら、自分自身だけは何か確固として決まった存在であり、したがって自分については正しい記述や間違った記述が存在すると想像するのは、ばかげたことである。」
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口が達者な人って、けっこう「ウンコな議論」が得意な”だけ”だったりしますね。
「揚げ足取り」とか「屁理屈」とか「話のすり替え」とか。
全然議論としては的外れなんだけど、何だかうまい具合に言いくるめられちゃったり。
本書を読んで、「ああ!今までこんなインチキでやられてたのか!」と思って頂くのがまず一つ。
あとは、「ウンコな議論」を自分が利用しよう!と逆に利用しようと考えるのがより良いかと。
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この表現いただきました。
おかしなロジック、ポジショントーク、ただの感情論が横行してるから
そんな時には「題名」ですな。。。と言いましょう。
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ええ、書名に惹かれて手にとってしまいましたよ! それが何か! な一冊。そして、その事実を訳者解説にて指摘され、驚愕した一冊。
↑あと表紙になんかキモイのが描かれています。
『ウンコな議論』は約30年前に出回った「怪文書」を出版したものです。のちになって、フランクファートさんが自分の著作であることを発表し、出版となったらしい。原題は『On bullshit』。直訳すれば、まあ、そういうことですけど、「bullshit」は「出鱈目」とかそんな意味の慣用表現としても用いられるとのこと。訳者の山形さんはそれを「ウンコ議論」と訳したわけです。
しかし、元が30年前の文書ということもあり、当時は「出鱈目」とは若干ズレのある解釈だったようです。本書における「ウンコ議論」は、ひとまず「屁理屈」・「ふかし」・「ごまかし」・「一時しのぎのでまかせ」と考えていればOK! まったく同義かといえば考えるところですが、類義語であることは間違いありません。その「ウンコ議論」の定義を考えると共に、なぜそれが発生したのかを考えるのが『ウンコな議論』なのです。たとえば「ウンコ議論」と「嘘」の違いに関する言及なんかは興味深いです。意識しといた方がよさそう。
さらに、本書は表題である「ウンコな議論」と並び「訳者解説」が付いています。ページの割合的にはほぼ1:1。つまり「訳者解説」も、本書の内容を理解するためのものとして大きなウェイトを占めているのです。本編「ウンコな議論」では定義づけに留まり、「訳者解説」でさらに掘り下げるといった感じでしょうか。「ウンコ議論」の効能やいかに付き合っていくか、などが考察されています。
全編通して読んでみると、僕も「ウンコ議論者」なのかもしれないなあ、と思った。それ自体がいけないことかどうかは議論されるべき問題だと思うけど、「今、自分は『ウンコ議論』を展開しているぞ」と頭の片隅で考えておくだけでも何かが変わるかも。何が変わるかはまだわからないですけどー。
個人的には、評論・論説だったら、小学3年生に理解できるくらいの文章が至高だと思うのですが、難解な文章はいつまでも生産されつづけるのです。その理由が本書で少しわかった気がします。本書も僕には難解でしたけどね。まだまだ理解しきれない部分も多かったです、読み直さねば!
【目次】
ウンコな議論
訳者解説
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フランクファートと山形浩生ファン以外は、読んでも楽しくないんじゃないかと。
これすらも面白がらなきゃいけない山形ファンは大変だと思います。
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20101218読了。
会話におけるウンコな発言についての本。
ウンコな発言とは、嘘には至らないが思わせぶりな言葉や行動を通じた誤解を招くような歪曲表現のこと。
このような発言について、哲学的なアプローチで精緻に広い可能性を考慮しながらウンコな発言とはどういった代物かを言及していく。
タイトルとは異なりかなり本格的に述べられた良書。
また、訳者の解説が良い。
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プリンストン大学名誉教授にして道徳哲学の重鎮である著者が、世にはびこるウンコ議論の正体について考察する。
本文と同じくらいページ数のある、楽しい解説も必見。
ウンコ議論について語る本文自体がウンコ議論である感は否めない。
しかし、反現実主義、反知性主義、文化相対主義に対する批判など、私の蒙を拓いてくれる有意義な読書となった。
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真実への配慮の欠如。物事の実態についての無関心がウンコ議論の本質。ウンコ議論は知りもしないことについて発言せざるを得ぬ状況において避けがたく、スピードと多様化の現代にあってその数を増している。しかもこれらを不要なウンコとして流し去ることさえも許されない場合がほとんど。ウンコ議論を読み、そこから自在に情報を引き出す能力は、社会における技能の一つとして極めて重要。ウンコに惑わされることなく、真実に基づく羅針盤をしっかりと抱き、この世を埋め尽くすウンコの海を力強くかきわけていきたい。
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職場ではこの手の議論が多いです。このような議論から自在に情報を引き出す能力を高めていく必要があると感じた。
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2013年1冊目。
107頁。
≪本文引用≫
p.29
真実への配慮との関連欠如 - 物事の実態についてのこの無関心ぶり - こそまさに、吾輩がウンコ議論の本質と考えるものなのである。
p.39
ウンコ議論の本質はそれが誤っているということではなく、それがまやかしだということだからである。この相違を理解するためには、偽物やインチキというのがいかなる点でも(正真性を除けばだが)本物に劣るものである必要はないという認識が必須である。結局のところ、それは正確な複製であってもかまわぬ。偽物のだめなところはそれ自体がどういう物かという点ではなく、それがどう作られたかということなのである。
p.46
その目は正直者や嘘つきの目のように真実のほうを向いておらず、単に自分の発言で切り抜けるにあたって有益なときだけ事実のほうを見ている。自分の発言が現実を正しく描いているか気にしない。目的にあわせて適当に選び出し、あるいはでっちあげるのみである。
p.73
人はどんな欲望を持ちたいかという欲望を持つ。