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900万人しかいないスウェーデンで75万部売れたという、スウェーデンの田舎の村の青春小説。いや青春小説ってのはダメだ。そんな軽薄な作品じゃない。自伝的小説らしいので、作者の子ども時代がずっと描かれていて、外国の子どもの微笑ましく、またうらやましい感じで話が進むんだけど、ある意味マジックリアリズム的なところ(まあ、俺はマジックリアリズムがなんだか知らんのだが)がある。それはスウェーデンのフィンランド国境付近の村の自然と風習とが、いい味を出してるから。でも、煙に巻かれる感じは全然しない。それは、語り口もあるのかも。最後ににやりとさせるような一言で締めくくるから、むしろ作者像が出てくる。とにかく、田舎のガキがバンドでもやったんだろ、スウィングガールズみたいなやつだろ、とか思うのはやめなさい。むしろ、俺のイメージではファンタジー系の冒険小説(エンデのジム・ボタンみたいな)に近い。それを一人称語りで文学にしている感じ。いやーうまく言えないなあ。とにかく俺は子どもを主人公にした小説にやられるってことがよく分かった。これはやられる。子どもの目というフィルターを通すことにすごく興味があるんだわきっと。遠いものが神秘化されたり、手の届かないものがなぞめいたり、解釈は自分本位で、だからこそ自由。そして、気持ちが素直。とりあえず、現時点では今年のベスト候補。
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舞台は1960年代、スウェーデン北部の小さい村。
主人公の僕と親友ニイラのおかしくてほろ苦い青春の日々が描かれてます。
小さな子供時代の2人が巻き起こす珍騒動の数々が素晴らしい。
ユニークすぎる出来事を真面目に語っているところが、また妙にツボにハマってしまうのです。
「プクク…」と含み笑いしてしまう箇所がたくさん出てきて、最後はしんみりとしてしまう。
どんな年代の方にもオススメしたい、極上の青春小説です。
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かわいい表紙とは裏腹に、もっさりしたエピソードが満載の小説。田舎の暮らしのおかしみが読むにつれ身にしみてへんな感動に変わる一冊。寒い季節に読んだほうが気分がでていいです。
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物語の舞台は‘世界の果て’。 けれど奈良の田舎町で育った僕の少年時代にもなぜかずいぶん似てるんです。
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ゆったりと、重たい時間が流れる小説。
いっきに読み進められないくて、時間をかけてちょっとずつ読んだ。
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思っていたよりも真面目にぶっ飛んだ本でした。
北欧の昔話が入り混じりつつ、彼らの生態系もうかがえて・・・
ただ、あまりにも現実とおとぎ話が交差して途中わけわからなくなったけど
その部分がちょうど登場人物たちが酔い潰れるところだったので、演出として良しかなと
思いました。
最後のしめくくりが妙に大人びた書き方で、そこがより
少年たちが大人になった現実を出してて、しんみりしてしまいました。
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北欧スウェーデンの片田舎に住む少年の自伝的エッセイ。
どこにでも居る思春期の少年の心の動きと、北欧の風土、歴史、習慣の新鮮さがあいまって結構面白かった。
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1960~70年代、少年マッティの幼い頃から思春期までを描いた小説。
舞台は、都市文化からはるか遠く離れた北極圏に近い村、スウェーデン北部トーネダーレン地方パヤラ村。
村の慣わしとなっている独特な風習や、そこに暮らす人々の頑なで素朴な気質を織り交ぜながら、時におかしく、時に切なく、時にお下品に、物語は進んでいきます。
ある日、親友のニイラがロンドンに住むいとこから1枚のレコードをプレゼントされます。それがビートルズ。
ニイラとマッティは、“ぶっ飛ぶような”衝撃を受けます。
実はビートルズについてはこのあたりで触れられるだけで、あとはほとんど登場しない。
最初は二人で、そのうち友だちと4人でバンドを始めるのだけれど、これが笑っちゃうほど下手くそだったりします。
男の子たちの無鉄砲さや愛すべきおバカさ、正直すぎるほどの感情の動きなど、結構笑えて、同時に心がしめつけられるような感じもします。
知られざる北欧の、とある一面を知ることができる小説。
映画にしても面白そうです。
"My Life As a Dog"のような感じで作ってもらえるといいかも。
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思ってた以上にビートルズ云々はでてこない。特別大きな事件はおこらず、出てくる女の子はみんな、ませていて男たちはみなケンカや酒、噛み煙草を好んでしている。
原書は読めないから訳がどれくらい忠実かわからないけど、文章が好き。読みやすかった。
始め、「ライ麦畑でつかまえて」を思い起こさせる何かがあって、自分が男の子だったらまたおもしろいだろうなと思った。
赴任してきた先生(名前忘れた…)の登場のおかげで、少し明るさを感じ、村に風がふーっと入って来たように感じた。
ネズミの場面はご飯の前に読んでしまい、相当後悔したけれど。。
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北極圏に近いスウェーデン北部の村で生まれた少年は、ある日無口なニイラと友だちになる。それが、はじまりだった。雪と氷の世界の果てにも、音楽はやってくる。ロックとの出会い、はじめてのバイト、女の子。寒い地域のお話なのに心温まる、ボーイ・ミーツ・ミュージックな成長物語。
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スウェーデンの北の果て、北極圏の小さな村「トーネダーレン」で育った作者ミカエル・ニエミの半自伝的小説。
もっと全編バンドとロックンロールの話かと思っていたらそうでもなくて、スウェーデンの自然だとかアルバイトの話だとか、おじさんの婚礼の話だとか、友だちや家族のことだとか、多様な話題がユーモラスに語られている。
そう、語り口にユーモアがあって、コメディ映画を観ているよう(実際2004年に映画化されているとか)。
おじさんの婚礼のときのご馳走がおいしそうだったなぁ…
「若い娘のほほのようになめらかな甘いロールパン、白くぱりっとしたカンゴス・ビスケット、みごとなパヤラ風クリーム菓子、しっとりしたスポンジケーキ、アイシングをかけた菓子パン、はっとするほど美しい北極地方のラズベリー入りロールケーキ…
それだけでなく、ボウルいっぱいのホイップ・クリームと、太陽と黄金の味がする温めたばかりのクラウドベリー・ジャムも添えられていた。
(略)
コーヒーに添えるために、冬用のタイヤほどもある黄金のチーズが転がされてテーブルの上に置かれ、甘いお菓子の中央には、メインである固くて茶色い干したトナカイ肉のかたまりが置かれた。塩気の強いトナカイ肉を薄く切ってコーヒーに入れ、さらにチーズをひとかけかき混ぜながら加え、くちびるに白い角砂糖をはさむ。そして全員が震える指で肉とチーズを混ぜこんだコーヒーを受け皿に空け、それをすすって天にも昇る美味を味わった。」(P130…デザートタイムの記述)
父親が大人になる心得として話す内容が、身につまされたというかなんというか…
「憂鬱な思いにふけるのも、心を病む原因のひとつだった。ものごとをあまり考えすぎてはいけない、できるだけ考えないようにしろ、考えるっていうのは、すればするほど心を傷つけるからな、と父さんはぼくに忠告した。その毒を消すには、きつい肉体労働が効く。雪かきをしたり、薪を割ったり、クロスカントリー・スキーをしたりするのが一番だ。なぜなら、ソファに座ってだらだらしたり、なにかに寄りかかって休んだりしているときに、人は考えるってことを始めがちだからだ。
(略)
とりわけ大切なのは、宗教についてくよくよ考えないことだ。神と死と人生の意味なんていうのは、若くて傷つきやすい心にはきわめて危険な問題だ。うっそうとした森のように、たちまち道を見失って、最後には深刻な狂気の発作に襲われる。そういうのは歳をとるまで安心して放っておけばいい。そのころにはおまえも頑固になって強くなっているし、ほかにたいしてすることもないだろうからな。
(略)
なによりも危険で、なによりも警告したいものがある。それは読書だ。そのせいで、大勢の不運な若者がたそがれの狂気の世界へ追いやられた。このけしからん習慣は、若い世代のあいだに広がっているようだが、ぼくがその傾向をまったく示していないことが、言葉では言いつくせないほどうれしい、と父さんは言った。精神病院は本を読みすぎた連中であふれている。その連中も、昔は父さんやぼくと同じように、強い体を持ち、率直で、快活で、バランスがとれていた。それなのに彼らは本を読みはじめた。」(P207)
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最近読んだ本で一番面白かった。作者は北極圏の出身。スウェーデンの領内だが、フィンランドとの国境の村なので、フィンランド語を話す。作者の自伝的小説。子供の頃から思春期までの物語。村の子供達は殴り合って生きていて非常に粗野。ロッタちゃんと同じ国の話と思えない。
自然の描写も美しい。色とりどりのオーロラ、凍てつく川。村の人々の結婚式の場面は面白かった。豪華なごちそうの後、両家親族の自慢大会になって、腕相撲したり、皆で裸になってサウナに入ってがまん大会をするのだ。また近所のおばあさんのお葬式をしたあと、相続をめぐって親戚一同の大げんかが始まったり、学校の先生が自転車でスクールバスと競争したり、ギターを買うためネズミ退治のアルバイトをしたり、奇想天外な転回になって読者を惹き付けてやまない。
村の因習も困難な歴史の背景も作者のユーモアのセンスで重苦しくならず、面白く読めた。さすがスェーデン人で12人にひとりが買った本だけある。映画もあるそうで、観てみたい。
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スウェーデンの北部トーネダーレンの小さな村で生まれ育った著者の自伝的小説。
都会から来たいとこが貸してくれたビートルズのレコードに衝撃を受けて友達とバンドを組んだり、隠れて子供同士の飲み会を開いたりありきたりだけど女にもてあそばれたりとか、幼少期から青春真っ只中までがつづられている。
こんな青春を送りたいなではなくこんな風に自分に起こったことを描けたら素敵だなあと思った。
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人が進んで足を運ぶことのないようなスカンジナビアの極北の村を舞台に、少年達が本場のロックンロールに憧れ、成長していく物語。全体としては笑い、虚しさ、色々な感情で彩られているが、そのどれもが筆者の生い立ちがなんとなく関わるようで痛々しい。作家は自分のバックグラウンドに根差す形でしか小説が書けないが、そういう意味でもこの小説は、人間の限界とその内側で何ができるかを教えてくれる。この筆者があってこの物語という小説。
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Rock ’n’ roll meant it was real; everything else was unreal. (John Lennon)-ロックンロールだけが本物で、あとはすべてウソっぱちだった。 (ジョン・レノン)
ビートルズの名が付いた邦題だから、ロックの名曲とか数々のロックミュージシャンへのリスペクトが次から次へと出てくるような展開を当初は期待していた。
確かに12ページ目にさっそくELVIS PRESLEYがいい感じで登場する。-「ギターを弾くハンサムな若者が描かれているつやつやのレコードジャケット」という記述や「これが未来だ。未来っていうのは、こういう音がするんだ。道路工事の機械のうなりに似た音楽」という記述から、たぶん、“Blue Suede Shoes”のことだろうか?
この箇所は、この作品のなかでも特にいい描写だ。主人公はエルビスの歌に衝撃を受け、道路工事の機械のうなりに似た音楽と例え、そのまま外に目を向け、当時未舗装だった地元の道路が次々と舗装工事が進められていくのを目の当たりにする。そこで見えるのは、「黒く光る革のようなアスファルトではなかった。油で固めた砂利だった。」というクールな表現に続く。つまり、自分たちのまわりにできあがっていくものは、新しいものに見えるけど、実は「バッタ物」なんだってこと。
そのなかで、ビニールのシングル盤に写し出されたロックンロールだけが、本物をそのままパッケージしたものだったって思えたこと。単なる青春小説じゃない、屈折した感性が十分感じられる。
…ここまではよかった。でもここからしばらくロック的な話は全くおあずけ。
いよいよ74ページで、主人公の友達の祖母の葬式があって世界中に散らばっている親戚連中がやって来ていて、アメリカ在住のいとこがロンドンに寄ったとき買ったというビートルズのシングル盤を見せる。
でも、ここで私の頭のなかは??だらけになった。なぜかって?だって祖母の葬式に行くのに、いとこのためにビートルズのEPを買っていくって普通に考えたらそんなことありえないって思わない?主人公の友達はレコードプレーヤーすら持ってないんだよ?よくよく考えたら、このビートルズのレコードとの出会いのエピソードは“ホラ話”なんじゃないの?
しかしホラだからってこの作品の価値が落ちることにはならない。なぜならこの作品全体が、もうホラまみれだから。むしろホラ話を笑って楽しむくらいでないと、真の良さはわからない。
ピンときたのは、ある結婚式で新郎側の一族と新婦側とが「どっちがすごいか」って話になって、酒の勢いもあってどんどん話が大きくなっていって収拾がつかなくなるシーン。もうホラか本当かなんて誰もどうでもいいと考えるくらい話の内容が膨らむだけ膨らんでいったって話を読んで、「ああ、こんな感じで作者も面白~く話をぼくらに提供するのに、ビートルズをこんなふうに設定に借りてきたんだな」って思えた。自然な流れだし、面白いから十分OK。
でもホラ的展開を許せた最大の理由は、ラストがすごく良かったこと。最後の第20章では、主人公の祖父の古希祝いに親戚縁者近所の人などが一堂に会する。
主人公たちは手に手に電気楽器を持って登場。彼らのバンドは自分たちなりに演���に自信もつきかけてたころ。集まっていたすでにほぼ酩酊のムース猟師たちがセッティングの場面を不安そうに見守る中、ニイラが「三拍子のリズムでギターを鳴らしはじめると、ほっとしたようすになった。みな、なんの曲かわかったようだった。」
バンドが演奏したのは、トーレダーネンの古くからの愛唱歌だった。ビートルズやエルヴィスの歌なんかじゃなかった。
「みなグラスを置き、座ったまま聞いていた…『ああ、エンマ、ぼくの恋人になるって約束してくれたときのことさ…』」たぶん、現地の地の言葉によるロックの演奏を聞くのは、みなはじめてだっただろう。バンドも聴衆も、今なにが一番演奏されるべきかって言わなくてもわかってたんだ。
この物語で長々と少年から大人へのモラトリアムの通過儀礼が語られていたけど、ここでようやく大人への仲間入りを名実ともに認められたっていう感じ。
最後にバンドのメンバーが「十字路のまんなかの、車道の中央に体を横たえた。あお向けになって体を伸ばし、星空を見上げた」というラストのラストも、ありきたりかもだけど、いいシーンだ。十字路の先にはビートルズのいたイギリスや、エルヴィスのいたアメリカがある。またスウェーデンの都市のストックホルムにも続く。しかし、この地に残る道もある…
“答え”なんてない。誰にもわからない。地元で幸せそうに一生を終える人もいるだろうし、つまらないと恨みをこめて一生を終える人もいた。大人になるのと引き換えに、ロックで生きようと、地元のルールで生きようと、誰もがぶつかる人生最大の難題からは逃げ得ないってこと。
そんなこと知ってるよ…だけど、ここまでユーモアたっぷりに書かれたら、青臭い思い出とともにフフンて鼻を鳴らしながら、昔の古いロックンロールを聞きながら、甘酸っぱい思い出にひたるのも、そう悪くはない。
…ということで、本物が実は本物じゃないって現実を次から次へと知らされるのが大人になるための儀式ならば、ジョンが言うように、ロックンロールとの出会いは人生にとって決して無意味なことなんかじゃない。
(2015/6/20)