投稿元:
レビューを見る
探偵が主人公の冒険譚のため、前半は一見カズオイシグロっぽくないエンターテイメント性がある。だが、物語が少年時代の回想に映ると、いつものカズオイシグロ。
とはいえ物語は、主人公の探偵が、少年時代に失踪した両親を探す話。心情を端正に描くより、スピーディに物語は展開する。ハードボイルドな調査シーンは一切なく、腕利きの探偵のはずがむしろ凡人に感じてしまうくらい。
最後に明かされる真実に、心が打ちのめされる。それでもかすかにロマンと希望は残る。
投稿元:
レビューを見る
読後は痺れてしばらく放心してしまった。抑制がきいた、正直な独白形式はこれまで通りだが、少年時代の親友アキラとの再会シーンだけは別格。イシグロの新たな面を見たようだ。また、孤児をめぐる人物の再帰構造も魅力を増している。自分と人の人生の幸不幸を安易に結論づけて語るまい、と思った。
投稿元:
レビューを見る
後半の主人公は「信用できない語り手」で、虚実が分からない世界へ迷い込んだかのようだった。
アキラとの再会シーンは狂気すら感じる。
「わたしを離さないで」は胸に沁みたんだけど、こちらは今一つはっきりしない感じ。
投稿元:
レビューを見る
探偵が主人公だけど、事件の内容はわからないところがカズオ・イシグロの作品だと思う、なんとゆーかすごく風呂敷は広いんだけど書きたいことはある人物の心の動きなんだよなーと思う。
投稿元:
レビューを見る
行きの飛行機の中で読み始め,帰りの飛行機の中で読み終えた.
過去のことが記憶という媒体によって徐々に明らかにされていく.翻訳のよさもあるのだろうが,読者を物語(=歴史)の完成までずっと引きつけて離さない手腕はすばらしい.
ただアキラとの再会前後の部分はあまりよくない.ストーリーが現実的になると,小説は希薄になって現実感を失うような不思議な感じ.これも作者の意図なのかもしれないが.
最後のフィリップ叔父の告白は人間の業を感じさせて重く,そして虚しさも感じさせる.
戦前の上海はパール・バックの「大地」と重なった.
さて,私は★をつけるとき再読するだろうかを基準にしてつけているが,この本は迷う.初読のときは,明らかにならない事実への興味から,飽きずに読めるのだが,再読するとしかけはわかっているわけで ...
投稿元:
レビューを見る
ミステリーしたての長編小説。500頁超に及ぶが、長い長い助走を経た最後の50頁にこそ、カズオ・イシグロの小説のエッセンスが詰まっている。読み終わって、その寂寥感の中にしみじみとした感動に浸れるのは、まさにカズオ・イシグロだ。
投稿元:
レビューを見る
非常に不思議な読後感を味わえる小説。
主人公が成長して探偵として活躍する現在と、幼少のころの両親や幼馴染たちとの思い出がイギリスと上海を舞台に語られる。そこには旧友の、両親の、そして現在の恋人の、という具合に様々な人々との個人的体験が重層的にちりばめられていて、極短い短編小説がいくつもいくつも連なっているという風に読むことができた。むしろ通常の小説であれば物語の肉付けとも言えるそれらの「短編」的エピソードが醸し出す雰囲気こそ、この小説の骨格となっているような感覚さえ覚える。
そして何より不思議に感ずるのは、物語の後半、上海に戻った主人公が体験する幼馴染と邂逅する場面。重い現実感のある夢のような描写で、エンターテイメントを期待する読者を全く別の地平へと連れ去ってくれる。
こんな小説には滅多に出会うことが出来ないと思う。
投稿元:
レビューを見る
ノスタルジックで美しい前半と、ビターな結末がとても感動的。安易な癒しはなく、クールな残酷さが後に残るすごい小説だった。
投稿元:
レビューを見る
カズオ・イシグロさんという、日系のイギリス人の小説家さんの本です。2014年現在60歳くらいの男性のようです。
お名前は完全に日本人なんですが、まあ、何はともあれ母語は英語のようです。これも、翻訳本です。
正直、名前しか知らなかったんですが、「読んだことのない現在進行形の作家さんを読んでみたいな」という思いもあって。ほぼ予備知識なしで読みました。
不思議な小説、面白かったのは面白かったです。ラストの喪失感っていうか切ない感じが辛かったですけど。
英語版が発表されたのは2000年だそうなんで、もう14年前の小説になるんですけどね。
お話は、
●1930年代の、ロンドン。主人公のクリストファー君(20代)は、両親がいないけど、財産に恵まれた若者で、教育を受けて、志望通り「探偵」になっています。
●そのクリストファーさんの回想で、15年?20年前?子供だった頃。両親(イギリス人)と上海に居ました。支配者階級イギリス人一家のリッチな日々。父は、英国商社マン。母は敬虔な慈善家で、アヘン撲滅運動をしている。なんだけど、実は夫の会社、ひいてはイギリスが、上海に中国に、アヘンを売りまくっているという矛盾。
●それから、その上海の子供時代、隣家の裕福な日本人家庭の「アキラ」という名前の同年配の子との友情。
●その上海時代、父が蒸発する。そしてやがて母も蒸発する。孤児になり、独り英国の伯母のところへ。
●そんな思い出が続きながら、20代の主人公は探偵になり、かつての上海の両親の失踪を調べている。なんとなく確信を得て、上海へ。久々に上海へ。
●日中戦争泥沼の時期の上海。腐敗した支配者階級、悲惨な戦争。アキラと、物凄い偶然の再会。両親の失踪の真実を知る。
●大まかに言うと。父は愛人と逃げただけだった。母は中国人のマフィアにさらわれて妾になっていた。クリストファーの安全と財産、それと引き換えに母は自死を思いとどまっていた。なんて悲しい事実。
●どーーーんと月日が過ぎて、淡々と初老になってロンドンで暮らしているクリストファー。母とは戦後に再会。だが、母は心を病んで、息子を判らなかった。
■と、言うお話が、クリストファーさんの一人称で語られます。これ、大事ですね。客観的には語られません。
■で、少年時代の豊富な細かい想い出、20代のロンドン~上海時代の恋愛、引き取った孤児の少女との触れ合い、が、入ります。
あらすじ、枠組み、で言うと、そういうことなんです。
なんだけど、あらすじではわからない「味わい」について言いますと。
●主人公は孤児なんだけど、どうして孤児になったのか、判らない。本人にも判らない。犯罪の匂いがする。
●主人公は、シャーロック・ホームズに憧れて、探偵になる。
●そして、両親の蒸発の謎に迫っていく。
と、言うあらすじなんですけど。なんですけど、細部が無いんです(笑)。
犯罪捜査の細部が、無いのです。
だから、なんていうか、「犯罪娯楽小説」「探偵娯楽小説」「冒険娯楽小説」では、無いんですね。
兎にも角にも、主人公の青年の心理、内面。その��え、動揺、高揚。そういう面白さなんです。
それで、この小説は、戦争が描かれます。第二次世界大戦。まあ、厳密に描かれるのは上海での日本軍対中国軍の戦闘です。
そして、この小説は、「支配体制権力が行う、人種差別的な、構造的な悪事」「それを、見逃して、目をつぶって、白々しく上品に暮らす人々」が描かれます。
そして、その中で小説として起こることは、やりきれないほど辛く、悲しく、絶望的で、救いがない。そういう、隠された事実だったりします。
子供時代の、美しい無邪気な想い出が無残になります。
ま、つまり、そういうことなんだろうなあ、と。この小説で渡したかった後味っていうか。
そういった、怒りや批判を含んだ、喪失感というか、無力感というか。
そこに至る絶望感とか、感傷とか。
だから、正直、全部一人称なんで。どこまでが物語的に事実なのか、疑問も抱けるわけです。
主人公のクリストファーが、そう思っている。そう思いたかった。そう妄想している。だけかもしれない訳です。
特に、上海の戦場、幼馴染のアキラと偶然邂逅するくだり。あまりに偶然。この、上海戦場放浪のくだりは、全体に、どこまで事実かわからない。
なんだけど、この小説の中でも、ぐぐっと読ませます。くらくら眩暈がするような。主人公の意識と一緒に、戦場という悲惨さの中に、読んでる気持ちも叩き込まれます。
なんかもう、そうなると、ジジツなのか妄想なのかという境目は、どうでもよくなるような気もします。
そういうことなのかなあ、と。
そして、小説全体に、東洋人でありつつ英国人である、という作者の業なのか、なんとなく、感じたこと。
西洋白人社会、つまり19世紀的な先進国の、物凄く深い罪悪。暴力性、残虐性。被差別対象としての東アジア人。その東アジア人が被害者から加害者へと乗り換える。その際の、復讐的とも言える暴力性、残虐性。…救いのないループの中で、らせんに織り込まれた20世紀前半という歴史。そんなタペストリーを見せられたような気がします。
うーん。そんなこんながかなり、意図的。戦略的な気がするんですよね。
この小説家さんは、小説とか、言葉とか、意識とか、歴史とか、物語とか、そういうことに凄く意識的な気がします。
それは、「面白いために必須な条件」な訳ではないんですけどね。
何ていうか、右手が、「右手である」ということに意識的になってみると、ちょっと違って見えて来ちゃうみたいな。
そして、いちばんなことは、文体的に?語り口というか。とても落ち着いていて、品があると思いました。クドいケレンもない。あざとさも無い。
こういうのって実はすごいことだし、大事なことです。半分は翻訳の問題ですけどね。僕は好きでした。
1930年代、20年代くらいの、上海。
演劇「上海バンスキング」の世界な訳ですが。
この西洋と東洋、貧困と富裕、混濁と美しさのような街並みが、くどくどと描写されるわけでもないのに、
すごく印象に残ります。
そういうのって、文章を読む醍醐味ですね。
この小説家さんの小説は、いくつか映画になっているそうですけど、絶対にこの持ち味は、厳密に言う��映画に移し替えられるものではない、と思います。
村上春樹さんとか、そうですよね。
(伊坂幸太郎さんの小説も、好きなんですが、何故だか映画化作品は、マッタクと言って良いほど、そもそも見ようという気になれないんですよねえ…。閑話休題。)
…って、この本。
手放しで褒めるって感じにもなれないんですけどね。
そんなこんなで、大まか言うと暗いです(笑)。
キッチリ美しく、均整に心地よいのですけど、一方で暗い(笑)。ユーモアも、まあ、無いですねえ。
暗いというか、痛い?美しいのに痛くて悲しいかんじですね。
なんですけど、ホントに知的で素直で読み易い語り口。
主人公が、何をどう感じているのか、という興味で転がしていく、話の運びの巧みさ。
考察と知性と感傷が充満充実した、全体の構成。
うーん。なんて言えばいいか。本格派。スバラシイ。
大好き!とは言いませんが、またいつか別の小説を読んでみたいですね。何より、同時代の人なので。次回作、最新作で、今のイマの世界をどう感じて何を語るのか。楽しみですね。
「わたしたちが孤児だったころ」。原題の、まあ直訳なんですけど。この直訳感、微妙に日本語的に居心地が悪い感じが、この本にはふさわしいなあ、と思います。
素敵な翻訳タイトルだなあ、と思います。
投稿元:
レビューを見る
自分の幼いときも、えらく心配性だったとは思っていたが、少なからず子どもの頃はちっぽけなことでも、自分の狭い世界を断固として規定してしまって身動きの取れない思いをするものだ。孤児となった主人公バンクスは失踪した両親をいつか大人になって探し出すということを、自分の使命として規定して生きてきた。自分にはこれしかないってこと、生きてきた証のようにしてきた。私たちも、程度の差はあるにしても、子どものときの上に大人の私たちがいるのだから、無意識にでも子どものときの何かで大人の今を規定しながら生きているのかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
上海の租界(外国人居留地)で暮らしていた少年クリストファー・バンクスが、両親の相次ぐ失踪のため親戚を頼りロンドンの寄宿学校に入ることになったのが10歳の時。
大学卒業後はかねてからの夢だった探偵となり、数々の難事件を解決しながらも心の中ではいつか両親を探しに上海へ渡ることを考えている。
クリストファー〈パフィン〉の一人称で語られるこの作品は、タイトルでもわかるとおりある時点から過去を振り返って書かれている。
それなのに過去にわからなかったことはわからないまま、謎のままに物語は進み、そのくせパフィンの思考の流れそのまま、過去の記憶は必ずしも時系列に添っているわけではなく、行ったり来たり飛ばしたりする。
少年時代、上海で隣人である日本人少年とどのように遊んでいたか。
探偵としてどのように社交界で認められていったか。
寄宿学校の学友たちの前で、どのように自分を取り繕っていたか。
現在の彼がどのように暮らしているのかの記述がないままに語られる過去は、幸せだったはずの少年時代も含めてなにやら不穏で不安定である。
ただし、母と、日本人の友人アキラに関する記憶は、不安定でありながら美しい。
彼の人生で幸せだったころの記憶なのだろう。
だとすると、今の彼は。
彼が両親を探しに上海に戻ってきたのは、第二次世界大戦がはじまる数年前という時代。
日本と中国はすでに戦っており、中国は国民軍と共産軍に分かれて抗争中。
この時代については、学生時代に森川久美の「蘇州夜曲」や「南京路で花吹雪」を読んでいたので、割とイメージが浮かびやすかった。
今話題の「ジョーカー・ゲーム」もこのあたりの時代の匂いがするが、どんなもんだろう。
未読なのでよくわからないけど。
ロンドン時代の難事件の具体的な描写はない。
上海で両親を探す時も、主人公の行動がどう両親の事件につながっているのかは直接的に書かれていない。
ロンドン時代の彼の言動にも、若干の引っ掛かりはあった。
しかし上海に戻ってからの彼の言動には、そして彼を取り巻く周囲の人の言動にも多々違和感を持たざるを得ない。
これは本当に彼が見聞きしていることなのか、願望なのか、妄想なのか。
“実を言えば、ここ一年ほど急激に過去の思い出で頭がいっぱいになってきていたからだ。そうなったのは、子供時代や両親の思い出が、最近ぼやけはじめたのに気がついたからだった。ほんの二、三年前なら自分の心の中に永遠に染み込んでいると思っていたようなことが、なかなか思い出せなくてじたばたするようなことが最近何度もあった。言いかえれば、年を経るごとに、わたしの上海での生活はぼんやりとしたものになっていき、ついにいつの日にか残っているものといえばごくわずかのあいまいなイメージだけになってしまうのを認めざるをえなくなってきたということだ。”
本人ですら曖昧と認めざるを得ない過去の記憶を実際に追いかけて、辿り着いた真実は。
主人公の母が彼にしたこととは、自分の子どもにいつまでもサンタクロー��を信じていて欲しいように、きれいなものだけで世界を飾っていたこと。
しかし少年はいつかは大人になる。
その狭間の時に母から離されてしまったパフィンは、サンタを信じていたかったのではないだろうか。
サンタの不在に気づいた後も。
パフィンが引き取って育てていた少女ジェーンも、そういえばちょうど同じ年頃にパフィンと離ればなれになるのである。
なぜならパフィンが上海に行ったから。
上手に大人になるには、親が築いたサンタの世界をそれと受け止めつつ、自分で現実の世界と折り合いをつけていかなければならないのだろう。
だとするともう一人の孤児。折々でパフィンの人生に関わりを持ったサラの行動も、そういうことだったのかと合点がいく。
とかなんとか思っていたのに、最後の最後に私が思い浮かべたのは森鴎外の「山椒大夫」だったりする。
ずっと主人公目線で読んでいたはずなのに、最後に母目線になってしまった。
投稿元:
レビューを見る
これを「探偵物語」なんて言わないでほしいなあ。
主人公が大人になって探偵という職業を選んだ、って
ミステリじゃないんだから。
ミステリじゃなくて探偵が出てくる辺り、
ポール・オースター初期作品を思わせますが
こちらはニューヨーカーじゃありませんから~
解説氏も書かれていましたが
読み終えた途端にもう一度最初から読みたくなる、
というか読み始めてしまった、ちょこっとだけ・・・
もうちょっと、出たくない世界でした。
投稿元:
レビューを見る
行方不明の両親を捜す男。
探偵になり、魅惑的な女との絡みが面白かった。瓦礫のなかを捜す場面が思い出されるが、
途中、これは男の夢の中では?と感じたのは、自分が戦争を経験していないことからくるのだろう。
家族で住んでいた家は、いまは違う家族が長らく住み続けていた。
家 という建物の意味以外の大きな価値は、そこを離れてから感じるものかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
イギリスで高名な探偵として活躍する主人公が、過去の両親誘拐事件の真相を暴くために上海で動き始める。
自分の記憶と他人からの自己評価の相違で、主人公の洞察力の弱さが垣間見れるので、実はそんなに凄腕の探偵というわけではないのだなと察せられたけど、後半になると本当にそのとおりなグダグダっぷりだった。
特に両親の幽閉場所に向かっているときには、疲労を考慮したとしても、探偵とは思えないアホ丸出しの言動の数々。どうしたんだクリストファー。
面白いと感じる部分もあったけど、最後までうまく馴染めなかった。
投稿元:
レビューを見る
新作『忘れられた巨人』に続いて、カズオ・イシグロの旧作『私たちが孤児だたころ』を読む。主な舞台は戦前の上海、数奇な運命を経て探偵になった男を主人公にしたハードボイルドものの体裁を取っている。もちろん素直なエンタテインメントではなく、全てがイシグロらしい「記憶」のドラマとして描かれている。
しかし話の展開は緩慢で、一体何を描きたい作品なのかよく分からず、530ページの内478ページまでは「こりゃイマイチだな」と思っていた。ところが最後の50ページで激変。長い物語に隠されていた残酷な真実が、堰を切ったように溢れ出す。そこまでが長くて少々イライラさせられただけに、終盤の感動は強烈極まりないものだった。
そのような構成なので、終盤の展開や作品の核となる事について具体的には語れない。言えるのは、様々な人の様々な「喪失」が描かれているということだ。イシグロと村上春樹は互いに敬愛の念を抱き、共通した作風を自覚しているようだが、村上春樹に似ているという点では、本作はダントツだ。「カズオ・イシグロ版『羊をめぐる冒険』」などという言葉が、ちらりと頭をかすめる。
『日の名残り』や『わたしを離さないで』ほど完璧な作品ではないにせよ、紛れもない傑作。カズオ・イシグロという素晴らしい作家と同時代に生きられたことを、心から嬉しく思う。