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幼い日、アキラと遊んだ世界は永遠に閉じ込められる?
1900年代初頭、上海の租界で父母と暮らすクリストファーは突然の父母の失踪によって一人イギリスの伯母の元に戻りケンブリッジ大を卒業し探偵業となる。
1937年、父母の失踪の謎を解くべく再び上海に戻るが、物語は日中戦争、国共内乱に影響される租界と、幼い日々の隣人アキラやイギリスでの回想が交互に描写される。
イギリス時代に出会った女性サラ、寄宿学校の同級生、そして日本の兵隊となったアキラ、と偶然の出会いが物語をグイグイ進展させ、次はどういう展開とイシグロ作品初めてのドキドキ感がした。
幼い日々に失ったからそこまで父母に執着するのか? そして意外な父母の顛末。求めてたものは幸せだと思っていた幼い日々そのものか。最後は60歳位になろうとするクリストファがイギリスで一人居る場面だが、日本とイギリス、上海とイギリス、イシグロ氏自身の影も少し感じた。
同い年の隣人アキラとの互いの家での遊びの描写、また青年期のサラとの出会いややりとりなどがとても生き生きとした描写だった。
現在と過去の回想の交互の描写は、それまでのイシグロ氏の作品に共通するものだが、現在が戦乱、そして過去もアキラの屋敷の中国人の召使の部屋に忍び込む場面など薄暗い画面を想起させられ、全体に雨の降った昔のモノクロ映画をみている感がした。
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父親の本棚から借りてきました。
本作品もはじめは和やかでほほえましく、幼少期の思い出は牧歌的でさえありノスタルジックな気分で読み進めていました。
が、上海に戻ったあたりから雲行きが怪しくなり、アヘン戦争という罪の現実や両親の誘拐の真実が解き明かされ、主人公が一気に闇に呑みこまれていく様に読む手が震えました。
こういう手法はカズオイシグロならではですね。
真実を知る前までの幼少期からの美しい思い出や、イギリスでの社会的地位とそれに伴う安定した生活から一転するこのコントラストは、本当に衝撃的なのです。
両親を巡る真実は一見すると陳腐にも感じますが、悪のからくりとはその程度の日常のすぐ隣にあることが怖く、更にアヘン戦争におけるイギリスの責任は重く、便乗する世界も(もちろん日本も中国国内も)許し難く、戦時中はどこにでも悪が隣りにいるという現実にはぞっとしました。
そしてあれだけの生々しい戦闘シーン・・・衝撃的で映像が頭から離れない一方で、幼馴染も偽物に感じたし、それどころかあの一連の出来事は彼の妄想かとも思ったり、概念的な悪と現実の暴力の境目がつかなくなる自分がいました・・・
しかし、そんな現実を知りつつも子供には虚構の美しい世界を見せ続けようとした母の愛が、幼馴染との美しい故郷の思い出が、主人公の生きる力になり養女を愛する原動力にもなっているではないかと気づいた時、理不尽なだけではない優しい世界を感じられたので、最終的な読後感は悪くはなかったです。
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カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」は、私立探偵が主人公だ。しかし、ミステリー小説ではない。幼いころに両親が行方不明になった主人公が、その謎を追いかけてゆく中で、わたしたちは決して孤児ではない、誰もが愛されているし誰かを愛さずにはいられない、という人生の真実を目の当たりにするという物語である。
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不思議な感じの小説である。主人公と周りの世界とのズレを匂わせながら展開していき、上海での両親探索にて主人公は異世界に入り込む感じになる。でも何事もなかったように終わる小説。
前に読んだ「日の名残り」も、同じく一人称独白振り返り式だったが、そちらは主人公のズレがエンディングで明らかになるのとは本書は一味違う。
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翻訳物は苦手ながらノーベル賞を受賞されたカズオ・イシグロ氏の著作ということで一冊くらいは読まなくてはと購入。
ロンドンの名探偵の設定からなかなか馴染めず読了まで時間がかかってしまった。
後半からは物語として面白くなってきたが、探偵である必然性が感じられなかった。
原文で読めれば深い部分まで共感できたのかもしれないが和訳がすとんと理解しにくかった。
前半の霧に包まれたような不可解な点が後半で解決に向かうのだが「母を訪ねて三千里」の戦中版のような気がした。
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カズオ・イシグロの小説を読んでいるときのこの胸をしめつけられる感じは結局なんなのだろうか、と考えてみると、個人的にはやはり「取り返しのつかない過去」について、否応なく気づかされることの切なさではないかと思うのだ。
「日の名残り」にせよ、「私を離さないで」にせよ、描写は基本的に「回想」なのだが、その中で頻繁に「あれは今思えば」とか「後で考えてみると」といった説明が差し込まれる。そしてそれがストーリーを追うごとにひたひたと積み重なっていく・・・
「わたしたちが孤児だったころ」は第二次大戦期前夜に上海で少年時代を過ごした主人公が、かの地で次々と失踪した父と母とを探す物語。孤児として母国イギリスに戻り、探偵として社交界で名をなし、運命に導かれるように再び上海の地に辿り着く。
この小説家の書く作品は毎回おそらく核心部分は同じだと思うのだが、うすい靄がかかったようにそこに容易にたどり着くことができない。こと本作に関しては、主人公が引き取った孤児のジェニファーに語りかける以下のセリフがもっともそれに近いものではないか、という気がした。
「時にはとても辛いこともある。・・・(中略)まるで、全世界が自分の周りで崩れてしまったような気になるんだ。だけど、これだけは言っておくよ、ジェニー。きみは壊れたかけらをもう一度つなぎ合わせるというすばらしい努力をしている。・・・決して前と同じにはならないことはわかっている。でも、きみが自分の中で今それをがんばってやっていて、自分のために幸せな未来を築こうとしているってことがわたしにはわかっている。わたしはいつもきみを助けるためにここにいるからね。そのことを知っておいてほしいんだ」(入江真佐子訳、ハヤカワEpi文庫)
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とても興味深く読んだ。
第一大戦後から第二次大戦後までの時代を描く、主人公の私立探偵の第一人称視点の物語。
列強に植民地化(租界)された上海で生きる主人公クリストファー・バンクスとその日本人の友人アキラ。
両親が突然行方不明となった主人公はイギリスに戻り、私立探偵として名声を得るが、生涯の任務として自分の両親を探し続ける。最後には両親の失踪の真実を知る。
主人公が過去を回想していく形で物語は進んで行くが、ロード-ムービーのようで先の展開が全く読めない。
著者カズオ・イシグロの出自も影響しているのだろうが、日本人とイギリス人の交流というか、イギリス人がどのように日本人を見ているかを垣間見ることができる。
カズオ・イシグロの読んだ著書は、少しSFがかった『私を離さないで』、イングランドの古代・アーサー王時代の少し後を描いた『忘れられた巨人』と租界時代の上海を描いた本作とで3冊目だけれども、いずれも時代も話も全くかけ離れていて非常に面白い。
本作は少し村上春樹の著書に似ているかな。
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カズオ・イシグロの、何というか静謐を湛えたような独特の文体が好きで、これまで『日の名残り』や『私を離さないで』、『忘れられた巨人』を読んできた。久しぶりに彼の手による著作を手にしたわけだが、その語り口は独特で、物語は時に淡々と、時に波に揺られるように、あるいは時に劇的に進められていく。
上海で生まれ育ち、しかし幼くして両親と生き別れ、イギリスにいる伯母へ引き取られ、長じて探偵業を営んでいる男が主人公。タイトルにあるように、この主人公の境遇である“孤児”がテーマだと思うんだけど、「これがそうです」といったような感想は持ち得ない。しかし、読書中は常に読み進められずにはいない感覚で(このあたりは村上春樹と共通したものがある)、500ページ強の長さも気にならなかった。読後は、ほのかに暖かい気持ちと、少しの喪失感を味わう、そんな小説だ。
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上海の租界に暮らしていたクリストファー・バンクス
10歳で両親が相次いで謎の失踪
ロンドンで大人になった主人公が探偵として名をなし
ついに両親疾走の謎を解くために中国へと向かう
やがて明かされる残酷な真実
淡々とした文章で読むのがつらい。
探偵ってこんなに権力あるの?という疑問や
主人公の突っ走りすぎる性格にイライラしたり。
シーーンとした読後感
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後半からは、一気に最後まで読みました。
というより、読まずにはいられませんでした、先が気になって。
どういったらよいかわからない気持ちです。
幼い日の、当時の自分には責任はないし、気付くはずもない小さな判断が自分と周囲の人の運命を変えてしまったかもしれないという罪悪感、無力感。
正義感、責任感、向上心、愛情を持っていたからこそ訪れてしまった家族の悲劇、知人の悲劇、世の中の悲劇…。そして、それを利用して生き延びる人々もいる。
ひとつの事実によって、これほどまでに、自分の思い出や自尊心や家族や知人への印象・想い、経験したことの意味が変わってしまうということがあるのでしょうか。
自分がこの主人公だったら、事実を知った後、どうやって自分を保って生きていけば良いのかわからない。自分の責任ではないけれど、自分の人生を全否定したくなる瞬間がありそう。
ただまさに、命をかけて自分を愛してくれた人がいるんだという事実、これひとつが主人公の生きていく支え、であるとともに、だからこそ、その人が一生苦しむことになってしまった悲しさ。
主人公の寂しさはわたしには想像を絶するものでした。
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『クララとお日さま』読んだ後、カズオ・イシグロの積読あったよなと取り出して読んだ一冊。イシグロの祖父が上海で働いていて、その縁もあって上海を舞台の小説を書いているよって教えられて買ったもの。
ホントは、純粋にミステリー小説としても読めるんだろうけど、話に出てくる上海の租界の様子を想像しながら読み進めた。そうなんだよね。日中戦争の時、上海の市街も戦場になったんだよね。
途中で出てくるキャセイホテルは今の和平飯店。ここも聖地巡礼しておかないと。
最後、親子愛が隠れたテーマなんだなと気づき、ちょっとほろっとした。
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イギリスと上海(中国)の間を行き交い、事件解決と共に、アイデンティティを追求する男の物語。
「戦争」が絡む文学を手にすると、そこに人間への希望と失望を必ずやみることになる。
そして、戦争と平和が、こんなにも「隣人」であることに衝撃を受ける。
本を閉じたとき、嗚咽ではなく、心の襞を静かに潤わす涙が出た。
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カズオイシグロを読んでみよう!と手に取ったものの、語り口に馴染めず読了ならず。原文で読めばおもしろいのかな...
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わたしたちが孤児だったころ。カズオイシグロの本のタイトルは、いつもこれしかないと思わせるタイトルをつけてくれる。
この本には、主人公は勿論、幾人の孤児が登場する。サラ、ジェニファーを含む3人が主に指している人物だと思うが、要素として日本人としてのアイデンティティが今一つ持てずにいたアキラも精神的には孤児だし、犬を助けて欲しがった少女は、戦争で散っていった民間人の遺子である。アキラと思われる日本兵の子供も孤児になってしまうかもしれない。
そして、孤児達は、様々なバックヤードや性格違いがあるものの、根底の心根にあるものは非常に似通っているように思える。
現実から目を逸らし、答えのみつからない幸せや真実を追い求める。あるいは、自身は大丈夫であるという振りをする。そのこと自体に本人は気付いていなかったりする。
後半は特に顕著で、クリストファーは、一歩引いてみると、あまりにも幼稚で幻想的な冒険譚を繰り広げる。戦争という超現実の真っ只中で。
「慎重に考えるんだ。もう何年も何年も前のことなんだ。」
空想に遊びふけっていた子供時代を未だ抜け出せていないのだ。
悲劇的な真実が明らかになった後、20年後になって、冒険譚は一応の幕引きを迎える。
そして、上海だけが故郷といっていたクリストファーは、ロンドンも故郷として馴染んできた、残りの人生をここで過ごすことも吝かではない、という。
1人の虚しさを思い出すようになる。反面、昔の栄光に追い縋っている面も見られる。子供から大人へ、成長する瀬戸際なんじゃないかなと自分は解釈した。
ここからどうなるかは、クリストファー次第。
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幼少期を上海の外国人居留地・租界で過ごしたイギリス人のクリストファーは、今やロンドンの社交界でも噂の名探偵。彼が探偵になった理由は他でもなく、かつて上海で行方不明になってしまった両親を探しだすためだった。父、母、フィリップおじさん、そして隣の家に住んでいた日本人の友だち・アキラとの日々を回想しながら、遂にクリストファーは真相解明のため再び上海へ向かう。しかし、かつての〈故郷〉は戦火に飲み込まれつつあった。
古川日出男の解説がめちゃくちゃ上手いのであれを読んだ後に付け足したいこともないくらいだけど、この小説を読んでいて、昔からずっと考えていることを思いだしたのでそれを書きたい。
児童文学に孤児の主人公が多いのはなぜだろう、と不思議に思っていた時期があった。名作と呼ばれる作品が書かれた頃は今よりもっと孤児の人口が多かったからとも言えるだろうし、また子どもを主人公として動かすのに大人がでしゃばらないほうがよいという作劇上の理由もあると思う。
でも私は(日出男も書いているように)、人は子ども時代に一度は精神的な孤児になるターニングポイントがあるのだと思う。それは一番近しい存在であるはずの家族、特に親が〈他者〉であることに初めて気づいたとき、子どもを襲う感情ではないだろうか。
我々はある程度の年齢まで親が語る世界を全世界と思って育つ。親がいない人も子ども時代に最初に信頼した人の影響は強く受けるだろう。親が語る視点を唯一のものとし、自分が見る世界と同一視していた子どもは、しかしどこかの時点でそれが唯一でも至上でもないことを知るはずだ。その失望、絶望、孤独、不安、不満が私たちを"孤児"にする。崩れてしまった世界をもう一度立て直すためには、自分と親は違う人間だということを飲み込まなければならない。そうした精神的な過渡期に、孤児を取り囲む世界のあり方を書いた児童文学が求められるのだろう。という仮説がずっと私の頭の中にあったのだった。
しかし本書の語り手クリストファーは、逆に孤児になったがために親、特に母が語る世界と適切な距離を取れないまま大人になってしまった。上海の記憶と両親をめぐる未解決事件は彼のなかで大きく膨らみ、人生すべてをひっくり返すドラマティックなものであるべきだと彼は考えるようになった。人びとに自分を認めてもらうために。
クリストファーは同じく孤児で、社交界での地位を人一倍気にしているサラを最初軽蔑しているが、彼自身も名声に固執している。解決した事件を自慢げに語る口ぶりはポアロのようで笑えるが、誇張癖の裏側には精神的に不安定な少年期を送ったことが見てとれる。壮年になり、引き取った孤児のジェニファーから思いやり溢れる言葉をもらえるようになったにも関わらず、亡きサラからの手紙を自分に都合よく解釈しようとするラストはとても切ない。罪悪感に蓋をして、身勝手な自分を棚に上げて、過去のよいところだけを何度も夢みる。『ロリータ』のラストで感じたような孤独と寂寥感。人はそれぞれ自分に見えている世界を生きるということの、祝福と悲哀。
『わたしを離さないで』の一つ前の作品なだけあり、全体の構成はとてもよく似ている。『わたしを離さないで』のほうがよりブラッシュアップされ、洗練されているが、本作のミステリーあり・ラブロマンスあり・ユーモアあり・市街戦ミッションありのサービス多めなイシグロも好きだ。ちょっと下世話なゴシップ要素を取り入れても品が良くなってしまうところも、私には美点に感じられる。
また、この小説はメタ探偵小説としても面白い。上海の租界という設定は古き良き探偵気分を盛り上げるし、アキラとクリストファーの探偵ごっこもリアルな子どもの世界の嫌さを書いていて(笑)楽しい。作中で幼いクリストファーが大人から言い含められる場面もあるが、ホームズやピンカートン作品のように現実の世界にもたったひとつの揺るがぬ真実があり、それを暴いて秩序を取り戻すことができると信じることは、それ自体とても幼稚な考えではある。けれどクリストファーにはずっとそれが〈世界〉だったのだ。日中戦争がまさに勃発した瞬間の上海にいてさえ覚めないほどに。その幻想と現実の狭間を覗き込むとき、笑いと涙が共に浮かんでくる。