紙の本
メートルが定められるまでの紆余曲折を、科学、歴史、文化と絡めながら巧みに描く良書
2007/09/12 00:31
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Skywriter - この投稿者のレビュー一覧を見る
180cmの日本人と、180cmのアメリカ人ではどちらが背が高いだろうか。1kgのパンと、1kgの鉄ではどちらが重いだろうか。
何を馬鹿なことを言っているのか、と思われるかもしれない。180cmはどこに行っても180cmで変わりはないし、1kgであるからにはどんなものであっても重さが変わらないのは当たり前ではないか。
しかし、その”当たり前”の世界は、実のところ最近になって現れたのである。では昔はどうだったのか、というと、それぞれ換算のできない勝手な単位がまかり通っていた。なので、フランス人の170kgとドイツ人の190kgが実は同じ重さ、というようなことが十分にありえたのである。我々が長さや重さといった単位を、産地に関係なく統一して扱えるようになったのは20世紀のことで、それまでは国際間は当然のこととして一つの国の内ですら同じ単位に統一などなかった。
我々が当たり前すぎてその利便性に気が付かないほどの、度量衡の統一に必要なのは、普遍性ではないか。そう考えた人々がいた。社会の啓蒙に燃える人々である。この母たる地球を尺度に用いるのであれば”野蛮な”単位を棄てさせることができるだろう。
この一大プロジェクトを開始したのは革命直前のフランスであった。フランスを通る子午線を測定し、その四万分の一を基本単位にしようとしたのだ。つまり、定義上では地球の一周は4万キロということになる。
その当時、既に地球の概算のサイズはもう知られていた。問題となったのは、どこまで精密にそのサイズを決定できるか、である。緻密さが何より要求される任務に就いたのは異色の科学者ドゥランブルと精密な仕事を自他共に認めていたメシェン。本書の前半ではこの二人の活躍を描いている。
子午線を計測するという大胆なプロジェクトは、しかし艱難辛苦を余儀なくされる。一つは蒙昧な人々の妨害であった。人々は測定のための目印を、悪魔侵攻やら敵国へのスパイと疑って破壊したり製造を妨害したりした。そしてもう一つはフランス革命とそれに続く戦乱である。しかも、これに戦後の猛烈なインフレが拍車をかける。
様々な妨害にも負けず、子午線を測定するプロジェクトは着々と進んでいた。ところが、誰も予期せぬことが起こってしまうのだ。当時の人々では想像もしなかったことが、正確な計測を妨げることになる。その内容は、小説も顔負けの迫力でつづられているので是非本書に当たって欲しいと思うが、ただ単に精密な測定をするためだけに出かけた人々が最先端の科学に遭遇する、というのは面白い話だ。
本書の後半では、子午線計測プロジェクト終了後から度量衡が統一され、メートル法がアメリカを除く世界中に導入されるまでを記す。このパートが”ちょっと長いエピソード”にならないその理由は、きっと肝心のフランスがメートル法を真っ先に廃棄した国になったからに違いない。便利なものであっても受け入れられるまでには紆余曲折がある。そこに人間の面白さが凝縮されているように思う。
メートルの確定に、フランス革命やその後のナポレオンの台頭といった歴史的事件が複雑に絡み、科学の発見があり、そして人間ドラマがある。繰り返しになるが、小説にも負けない迫力が確かにある。僅かでも興味を持った方は是非読んでみて欲しい。
紙の本
科学で創出された標準は世界の政治経済を制覇できる
2006/07/30 17:03
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みち秋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
物語は1792年フランス王政末期、フランス科学アカデミーが世界共通の度量衡単位「1メートル」を地球上の子午線全周の4千万分の1と決めた事から始まる。
時はフランス革命下、苦難の測量事業は政情不安などで出発から6年経過後の1798年に終了する。「全ての人々のために、全ての時代のために」という啓蒙思想を大義に、メートル法は紆余曲折しながら米国を除いて全世界に受入られてゆく。二人の天文学者(ドゥランブルとメシェン)が敢行した「子午線(ダンケルクからバルセロナまでの距離)測量」と言う大事業を描いた壮大な科学史ドキュメントである。
著者ケン・オールダーはハーバード大学で物理学を学び、歴史学の博士号を獲得、ノースウエスタン大学で歴史を講じる。
本書はフランス革命下の政治の激流に翻弄されながらメートル法に拘わった科学者達とその周辺の人々の多様な人間模様とその時代のしがらみが見事に描かれており単なる歴史小説ではない。学問的且つ問題提起的で魅力に溢れた科学史である。
またメートル法の創設に絡む時代のヨーロッパ、アメリカ、イギリスの歴史的背景と動き、予想もしない史実が書かれておりメートル法が普及してゆく様がありありと浮かんでくる。
本書の面白さは複雑な時代の潮流の中で、対照的な二人の学者がどのように生き抜いたかをダイナミックに描き出していることであろう。科学の発展には社会的要因と権威者の役割が重要であり、彼らが成し遂げた色々な業績は時代の要請であり、時の流れに翻弄されながら自らの選択を余儀なくされた事が見えてくる。
今を生きる私たちも彼ら同様に、時代の荒波にもまれながら社会の中で認められ、自分の存在意味を求め、自分だけでなく人々のためになるような生き方をしようとしている。
本書はヒューマン・ドキュメントだけでなく科学の誤りとその意味についても深く考えさせられる。著者は測定値の改ざん/隠匿を犯しながらも彼らの事業は成功したと言う。
なぜなら彼らの偉功は時空をはるかに超え、現在進行中の経済交流のグローバル化に見ることが出来るからだと言う。 当時改ざんを公表していたなら彼らの事業は歴史から抹消されており、改ざん/隠匿も時には必要悪かもしれないと奇妙な発想をしてしまう。
このミッションには色々疑問点が多い。なぜ戦乱期に測量を遂行し成功したのか、なぜメートル原器が測量完了前に作られたのか、など。時の政権が疑惑に関与していた可能性を感じさせる謎を秘めたミッションである。このような観点で読むのもまた興味深い。
科学が専門分化、高度化した今、科学者が真実を追及することは使命であると同時に科学倫理でもある。しかしこのような視点で現状を見ると理性的な判断で科学的事業、経済活動が行われているかと言えば、ノーである。なぜなら科学に起因する社会問題が多発する一方で科学者の捏造疑惑は後を絶たないからである。
本書の原題になっている2500年前のプロタゴラスの格言「人間は万物の尺度である」という意味は、時代に合った価値観を作り上げるのは私たち自身であることに思い当たる。
本書は分厚い書である(P512)。途中難解な部分で立ち往生したり、単調で退屈する場面もあるが、それでも尚字面を追わせる魅力を持った名著である。
今回タイミングよく「心に残る一冊」に出会えた幸運に感激している。
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4/30/2006熊日読書。万物を数値で表せたら、わかりやすいのに。それって、デジタルってことか?もう出来てるじゃん。
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仏革命下、悲観的な理想家と現実的で楽天家という対照的な2人の科学者が引き受けた国家的大規模ミッションとなった度量衡制定が引き起こすドラマ。標準理念と誤差を科学の宿命として、不確実の定量化表現に至る科学史。
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今はもう、光の速度か何かで決められて、味も素っ気もない単位「メートル」だけど、その起源は、地球の子午線の四分の一の、さらに1千万分の一の長さが1メートルだったとは……。それにしても主人公二人の筆舌に尽くせぬ壮絶な働きには、驚きや感動を通り越して、ただただだ頭を垂れるだけ。
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相当興味深い題材なんだけど、とにかく長い。メシェンのグズグズした測量に付き合わされるのには辟易した。途中で一度挫折して、半年がかりで読了。
メートルの起源についてはこれで大体わかったからもういい。けどフランス革命と、日本の度量衡の歴史については詳しく知りたくなったのでまた別の本を探して読んでみる。
メートルが画期的だったのは、子午線の1000万分の1である、という部分よりも、度量衡を統一しようとした試みである部分みたい。そういう意味では、ヤードや尺であったとしても、ましてや実際の長さが地球の何分の1であろうがそこは本質じゃない。これは、バベルの塔以来混沌とした世界を統一しようとした試みの、成功例の最たるものだと思う。
しかしアメリカがメートルを使っていないのはホントに皮肉としか言えない。
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北へ向かった天文学者
南へ向かった天文学者
革命の度量衡
モンジュイの城
計算ができる国民
フランスの恐怖
ミッション、ついに収束
三角測量
科学の帝国
途切れた子午線
メシェンノ誤り、ドゥランブルの静穏
メートル化された地球
わたしたちの世界の形
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「測定」は科学技術においても経済活動においても最も基本的な行動だ。何事であれ測定には必ず単位が必要であり、単位は共通でなければ議論も取引も成り立たない。現在ではほとんどの国が「国際単位系(SI)」を採用しており、SIはメートル法を基に作られている。「1メートル」は地球の子午線の長さを基に定められたことは、自然科学を扱う人ならみんな知ってるだろう。
では、地球の大きさをいつ誰がどうやって測ったのか? これはあまり知られていない。GPS衛星に囲まれた現在ならともかく、飛行機はおろか自動車すら発明されていなかった時代に、地球の大きさを限りなく正確に測定し、1mの基準を定め、それを万国共通の単位として使われるように尽力した科学者たちがいた。本書は彼らの偉業をなぞる物語だ。
計測自体が大変な作業だっただけではない。それは革命で全土が騒然となっていた十八世紀末のフランスで行われたというのも驚くべき事項だろう。国王の承認によって始まった計画は、革命政府の活動に代わり、最後は皇帝ナポレオンの指示を受けることになる。本書の前半では、7年の歳月をかけて行われた測定を描く。それは実にドラマチックな冒険物語だ。
そして「単位」が影響するのは科学技術だけではない。地図を描く時に使うことで政治の領域になるし、商取引に使えば経済分野に及ぶ。メートル法はそれら全てを包括する普遍的な単位系を作り、社会全体を変革する目的で成立した。従って、それを実際に使われるものとするための努力も並大抵ではなかった。本書の後半はメートル法が世界に広まるまでの苦難の道のりを描いている。
私はひそかに単位マニアを自負している。現在では1mが地球の大きさでなく光速によって定義されていることも知っていた。1キログラムがいまだにキログラム原器に依存していることをもどかしく思っている一人だ。しかし、メートル法の成立にこれほどの人間ドラマがあったとは知らなかった。
何かを測定することのある全ての人に読んでおいてもらいたい一冊だ。
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フランス革命前後の度量衡の統一を廻る話。何だかフランスの伊能忠敬のような地味で、敬虔な科学者二人が反革命の罪を着せられたり西仏戦争のスパイだと取り締まられたりと波乱万丈の測量を行う物語。
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一人は北へ向かい、もう一人は南に向かって測量する。
2人の科学者が命懸けで“単位・M(メートル)”を求める物語。1Mがなんであの長さなのか知らない人にとっては大変興味深い本だろうし、我々の身近にあるものなのだから教養として知っておきたい。
ちなみに今は測量は光を飛ばして反射させ、往復の時間をはかって距離を測る、というのが主流です。
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メートル法をフランスが革命の最中に確定するという科学者の困難を描いたものである。日本も尺貫法があったもののほとんどいまではメートルであるが、そのメートルが子午線で測定した地球の1/4の1/1000を定めたという苦労を物語風に描写したものである。
測定とは何かについて考える参考になるであろう。
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これまで読んだいくつかの書評で、紹介されていた題名。
でもなんとなく、本を手にせず、時間が経ってしまう。
そういう本が何冊かあるのですが、これもその中のひとつ。
先に読んだ伊坂幸太郎のエッセー『3652』でも紹介されていたので、「いよいよ読むか」と思い、ネット古書店で取り寄せて、読むことにしました。
https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/4101250294
時代は1700年代の終わり。
フランスの二人の天文学者が、主人公です。
二人に与えられた使命は、「パリの北、北海に面したダンケルクから、地中海に面したバルセロナまでの間の、子午線の距離を測定する」というもの。
なぜそのミッションが二人に与えられたのか。
7年もの時間がかかったこの測定で、二人がどれだけの苦労を味わったのか。
そしてこの測定が、後の世の中にどのような影響を与えたのか。
二人が測定した地を実際に、自転車を使って巡ったという著者が、当時の文献をひもときながら綴った大作です。
このミッションの目的は、現在世界中で使われている、「メートル」の長さを決めること。
当時のフランスでは800種類以上、組み合わせでは25万種もの、重さ長さの単位が使われていたとのこと。
交易の場が広がるにつれ、大きくなった弊害。
それを正そうという動きがあったことを、前段で紹介しています。
そしてメインは、北端と南端にわかれて測定を始めた、二人の苦難の日々。
ポイントは、このミッションがフランス革命進行中というタイミングで、行われたということ。
このようなことに着手すること自体が、革命という時代の流れから生じたこと。
しかしそういう時代ゆえ、行く先々で戦闘に巻き込まれ、誤解を受けて拘束されてしまう二人。
「受難」という言葉を重ね合わせながら、読み進めました。
そして天文学者たちを悩ませたもう一つの側面が、測定の精度について。
測定結果が合わないことに対する、測定者の悩み。
さらには、当時は知られていなかった、地球の形状。
正確さが求められたこの測定によって、「誤差」というものへの理解が深まったという、皮肉かつ科学的には重要な影響。
単位を決めるということに、これだけの労力が掛かるということ、そして統一した単位を広めるということが、どれだけ抵抗を受けることなのか。
ふだん当たり前のように使っている「メートル」という単位に、これだけの物語が詰まっているということに気づき、ただただ驚いてしまいました。
分量が多く、改行の少ない文章のため、読み進めるのには苦労しましたが、サイエンス系読み物の面白さに改めて気づかせてくれた一冊でした。
『地政学の逆襲』ロバート・D・カプラン
https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/4023313513
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メートル法を決定するための、二人の学者の苦闘を綴った伝記的小説とでもいいのだろうか。サイエンスサイエンスナビゲーターとして著名な桜井進氏の推薦本らしく、友人が買っていたのを横取りして読んだ。
が、正直それほど面白いとは思わない。
測地学に関する数学的記述が多いので、門外漢には馴染みにくい。
二人の旅(とくにメシェンの旅)がだらだらと長くてうんざりさせられる。
後日談もながく内容的にはあまり関心のあるテーマではない(アメリカが未だにフィートやガロンを使っていることに違和感や不都合を感じている人がこの世の中にいったい何人いるのだろう?)
科学者目線ならば、あるいは数学者目線ならばエキサイティングに感じられる点も多いのかもしれないが、国文学専攻の小市民にはとっかかりの少ない内容であったということです。
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メートル法をめぐる科学の壮大なドラマ。メインは科学の話だけど、政治もふんだんにからむし、人間のエゴもごりごりだし、中身のつまりまくった本だった。(2014年2月26日読了)