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紙の本
キリシタンから新共同訳まで
2023/03/24 23:34
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投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本の明治以降の聖書についての記述は日本聖書協会系の翻訳が主なので「新改訳聖書を扱っていないのはおかしい!」という向きがいるらしい。それなら新改訳聖書を主体にした日本語訳聖書の歴史でも出せばいいだけの事だ。もっとも巻末の年表で出て来る新改訳聖書は昭和40年の新約聖書だけなので不満に思う人はいるだろう。
ギュツラフ訳については著者の出身地だから分かる事だ。
著者は昭和10年生まれなので田川建三と同い年だが、どうも子どもの頃から親しんだ文語訳聖書に対する愛着を感じてしまう。それが「文語訳聖書を読む」のようなモロに主題な本では前面に出てしまう。
他の本でも言える事だが、とうとう聖書協会共同訳の序文から存在を抹消されてしまった昭和53年の「新約聖書 共同訳」が不評だった理由は避けているみたいだ。固有名詞の表記がカトリックとプロテスタントでは違うので、それぞれの発音の中間を取った原音主義に従ったような表記を取り入れたり、福音派で言うところの「ノンクリ」向けの翻訳なのか、それとも「教会で使える翻訳」を目指したのかが中途半端だからではないのか。それにカトリックとプロテスタントでは同じ書名を使っていたパウロ書簡まで新しい書名を作り出す必要はあるとは思えない。観念的には「聖書を広く「異教社会」の日本で読まれてほしい」と思ったにしろ、あまりにも抽象的で現実から遊離していた結果なのではなかったのか。
著者は「カミ」という表記をするのは「神」では八百万の神々を連想するのだろうが、それでは著者の出身地から近いところの福音派の牧師が「創造主」なる新造語を作りだしたのと同じ発想だ。"God"でも"Deus"でもいいが遡っていくとゼウスにつながり、インド・ヨーロッパ祖語にたどれるような固有名詞なのだから、どうなるのだろうか。
「〔付章〕聖書と日本人」は後に日本聖書協会から「聖書を読んだ30人」として出た本と同じ連載を転載している。
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