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そんなにしかめっつらしく考えなくとも、というのが正直な感想。
しかし、この人が生きていた時代と、私が生きている時代は、様々なことが違うのだ。それこそ、わたしが一番きれいなとき(いつ? もしかして今?)と、茨木さんの「わたしが一番きれいだったとき」は、その背景が全く異なってくる。
しかしそれを考慮に入れてもやはり、全体的にどこか肩の力が抜けていない印象を抱いた。
目を逸らさないでその対象を見つめるというのは、確かに気力と胆力がいることで、誰にでもできることではないと思う。しかし、それだからこそ、見られている相手は見つめられることそのものに気まずい思いをする。
視線が過剰・・・ということなのかもしれない。
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わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
社会的な問題意識や身近な体験を、みずみずしい感受性で紡ぎだす。
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1958(昭和33)年刊行の第二詩集、有名な「わたしが一番きれいだったとき」のほか、見えない配達夫、大学を出た奥さんなど、優しい言葉でするどく切り込む詩に満ちています。