紙の本
途方に暮れるが好きになる
2008/01/16 22:57
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
保坂さんの本のカバーは柔らかい。
この本を読んでいてそんなことが気になって本棚をあたってみると、
新潮クレストブックのイアン・マキューアンの本だったり、内田樹さんの
『疲れすぎて眠れぬ夜のために』だったり、最近読んでいいなあと思った
本の表紙は柔らかかった。
そんなことが気になったのは、保坂さんの文章のせいだ。
質感がよくて「からだっぽい」言葉の連続が、読書中はそれほど意識も
しない本の手触りを感じさせてくれた。保坂さんの言葉で感覚が拡張して
しまったのだ。
私たちはわかっているようでわかっていないことを巧妙にやり過ごし
ながら、日々を過ごしている。自分の意識があるのになぜ胃腸の動きを
自分で制御できないのかわからないけれど、それは意識しないでいる。
わかっているようでいてわかっていないものを発見することは
とてもスリリングだ。発見してもどうしていいかわからないけれど、
わかるという行為の不可解さ(というか、胡散臭さ)に気づくことは
ドンドン感覚が外に開かれていく感じで、また面白い。けれど、
そのあと結局よくわからなくなって、途方に暮れてしまう。
大澤誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』は本当に良い曲だった。
『途方に暮れて、人生論』も読んでいてとても心地よかった。
途方に暮れることを好きになる理由が2つも出来た。
好きが増えるのはいいことだ。
投稿元:
レビューを見る
エッセイ集。いい意味で、いやな奴で、だからこそ保坂さんはいい。と思う。別に人生論なんて語ってないです。もっともっと根本的なことです、ここで語られているのは。根本だけど、あまり気づかないこと。早く小説書けよー。いや、待つけどさ。そろそろいいんじゃないのかなって。(06/8/4)
投稿元:
レビューを見る
暇潰しに終わらず、世界を見て考え、生きることを冷静に優しく見抜くエッセイ。初めてエッセイを面白いものだと思った。
投稿元:
レビューを見る
「言葉との出合いというのは、そこに起こるから力を発揮する。自分の中にすでに下地として持っていた考えと同じ方を向いた言葉と出合うことで、ただ下地であった考えにしっかりとした輪郭が与えられる。」「信じられるのは<あやふやさ>や<よるべなさ>しかないと思う。」「想像力」「生きることは考えることであり、考えることには結論なんかなくてプロセスしかない。>この人の作品はなぜかいつもあとをひく!2008/2
投稿元:
レビューを見る
1章 「生きにくさ」という幸福
2章 老いることに抗わない
3章 家に記憶はあるか?
4章 想像力の危機
途方に暮れて、考える―あとがきにかえて
初出一覧
(目次より)
投稿元:
レビューを見る
人生で用意されている時間はいつも長く退屈で、それを見ないために一は楽しいことを探し続ける。
人生とは自分が生きることではなくて、人によって生きられるものなのではないか。それも傑出したヒーローでなく、自分のような人によって生きられる。
人生とは本質において、誰にとっても、遅く生まれすぎたか、早く生まれすぎたかのどちらかを感じるようにできているものなのではないか。つまり個人が人生において直接経験することなんてたいしたことではないし、他人に向かって語るべきものではない。
人生とか人生の意味なんて、問題が大きすぎて、人生を一回しか経験することのできない人間に応えられるはずがない。人生という問いはいかにもまじめでまっとうな設問であるように見えて、その実、解決できる範囲の小さな問題を放棄してきた硬直した精神が袋小路に陥って慌ててでっちあげたアリバイ工作のような設問なのだ。
優越感というのは勝ち負けが根底にあるものだから、今このときにあなたが優越感に浸ってとても満足しているとしても明日になったらあなたは敗北感とともに勝った人を見ているかもしれない。優越感というのは敗者があって成り立つものだから、常に敗北する恐怖に脅かされている状態であって、気持ちが深く安らぐことはない。そのおうな状態を幸福と言えるだろうか。
今の学生は心理学や精神分析に関心を持っているけど、彼らの関心は昔の学生が哲学や文学に持っていた関心と同じものである。哲学、文学、歴史など文学的なものに対する学生側の重要は実際には大きい。文学的なものをつぶすことは、学生の真の意味での教養を求める芽をつぶすことになる。
人間を支えているのは教養であり、教養の中核になるのは文学、哲学。
教養というのは、その外にいて十分な地位や名声を得ていると自負している人にとっては、ある種、秘境的に感じられるところがあって、簡単に言えば自分に理解できない言葉をしゃべっているということだ、そこに入れないと思う気持ちが攻撃性に転化する。そういう雰囲気が社会の全体を覆いつつあるのが日本の現状だ。
投稿元:
レビューを見る
『世代像がないから人生と向き合える』の章で「人生とは本質において、誰にとっても、「遅く生まれすぎた」か「早く生まれすぎた」かのどちらかを感じるようにできているものなのではないか。」には思わず首肯した。私は20歳代の頃はいつも遅く生まれすぎたと団塊の世代の人々を羨ましく思っていたものだ。
投稿元:
レビューを見る
たまたま、「季節の記憶」を読んで以来、なんとなく
気になっていた作家さん。
初めてエッセイを読みました。
答えを出そうと焦らなくていいよ、と諭されたような気持ちになりました。
一歩間違ったら、へりくつになりそうな考え方をユーモアを込めて
展開しているので、ぐっと心に深く刻まれました。
目標についての考え方とか、目を覚まさせられたような衝撃がありました。
目標を達成することにばかり、意識が向いてしまいがちだなぁ。
そうじゃなくて、本質的に一日一日を迷いながらしっかりと生きていくことの方が大切だな、と改めて考えさせられました。
全体的には、自分も日ごろうっすらと感じていたことと似ていたので、「そうそう、そうなんだよ!」と心の中で強く相槌を打ちながらあっという間に読み終えました。
投稿元:
レビューを見る
本書は一貫として「考えること」をしている。
現代社会に覆われているが、皆の心のどこかにある疑問や不安に対峙し、
言葉にしている。
この作業こそが、真剣に生きていくことにつながっていて、
今の時代に必要なものだと思う。
投稿元:
レビューを見る
「途方に暮れて、人生論」
人生のあいまいで複雑な豊かさについて粘り強く考え、丁寧に言葉をつみかさねていく。
表題に「人生論」とあるから、「きっと哲学的な解釈があったり、人生を真剣に見つめたりしているのだろう」と思って、この本を読んだ場合、ちょっと拍子抜けするかも知れません。しかし、それはある意味、こちら読者側のミス。なぜなら、表題には「途方に暮れて」とあるから。「途方に暮れて」とあるくらいだから、ある程度のユルさがある。
しかし、「途方に暮れて」とあるけれど、人生論は人生論。決して侮ること無かれ。途方に暮れながら柔らかく、時には気の抜けた表現で綴っている内容は、実に大切なことで、普段の生活の中でなかなか見つめないこともある。
例えば、「善と悪は本当にあるのか?」は、途方に暮れないで考えそうなことだし、「原罪と経済」もそう。「教養の力」なんか、新書とかで丸々一冊使う題材だと思います。そんな大事な題材を、途方に暮れながらも、実に考え深く書くあたり、只者では無い、と思ったら、幾度無く賞を頂いている作家さんでしたw
一番印象深いのは、「私が老人を尊敬する理由」です。おばあちゃんの知恵は、老人になってもなお役立つことが求められる所が、結局、老人を役立たずに追い込む効率優先の社会の発想である、という視点は興味深い。それに、社会が老人に対してすべきことは、老人としてどういう役割があるか、を考慮することでは無く、その人が最盛期に持っていたパワーに対して敬意を持つことなんじゃないか?という保坂氏の考えにも共感。
勿論、だからといって、老人達は何をやっても許される訳では無い。これは全年代の人間が頭に入れるべきことでもあり、常識とか倫理そのものに近い。最近、ここ数年は、まさしくこれが頭に入っていない人間が多すぎるのではないだろうか?とふと頭をよぎる。
総評としては、思った以上に実りありな本でした。図書館で借りたけど、古本で手に入れようかな。それにしても、気品ある老人になりたいものです。これが、密かなプライベート目標。
投稿元:
レビューを見る
相手が自分以上の想像力を持っていることを想像すること、それを敬意と呼ぶ。
善は自分以外のことを考える、悪は自分中心に閉じている。
ふと自分を見つめさせられる言葉があった。
投稿元:
レビューを見る
今まで自分が生きてい行く意味について疑問に感じてきたことの答えがあちこちに散りばめられているような内容でした。
投稿元:
レビューを見る
対談者の質問に対して、保坂和志が淡々と答えてくれるが、
それは保坂和志の感じたことであり、大事なのは常に「あなたはどう感じるか?」ということ。
投稿元:
レビューを見る
今まで考えたことがない方法で物事を捉えて論じている筆者の話が自分に色々な考え方を持っていいのだという自信を与えてくれた。さらに色々な視点で考えるヒントを与えてくれたと思う。
この本はとても眠くなりやすいので睡眠導入剤にするといいかもしれない。
投稿元:
レビューを見る
エッセイかと思いきや、話は哲学的なもの、保坂さんの信念のようなものへと流れ着き、それはそれで考えさせられるいい本でした。