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「我々は常に状況全般に対する配慮を示す縛りがある」というゴフマン指摘をもって、この本は5つ★。鋭い。
そして、会話分析。弱いところもあるが、使い方によっては、強力この上ない武器だ。
気になった記述。
・必要から利便性さらに贅沢なものへと電話のイメージを変換し、普及していった。それはパーソナリゼーションの過程に他ならない。
・携帯はもはや声や耳の延長に留まらない。音楽やデザインの好みを外面化した個人の分身である。
・人と人を繋ぐメディアの物理的な特性の変化は、いつでも、どこでも使えるようになったというような電話の用いられ方ばかりではなく、電話を用いている人びとの会話の組織の仕方をも変えている。
・感情的になることがメールにおける手かがりの不在として結びつけられているが、これは決して明らかなことではない。
・電車内での携帯の話し声の大小にかかわらず周囲のひんしゅくを買う理由は、それがうるさいからではない。通話者が状況に対して保持すべき注意や配慮を忘れてしまっていること、つまり状況に参加していないことが、周囲にあからさまに示されてしまうからなのだ。
・デュアル・エコロジーの概念。人びとの行為がコミュニケーションにおいて意味をなし、観察者がその意味を解釈すると言うことは、エコロジカルな営みなのである。
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携帯の普及により変化してきたコミュニケーション、そして日本語そのものも?携帯での会話の実例をコトバだけでなく、イントネーション、音節の引っ張りの長さなども含めて集め、それが何を物語っているのか、電話そのものの社会への浸透、「ケータイ」がどのように主役になっていったか、人々と電話の関係などを分析しています。分析としては面白いのですが、ミクロレベルの会話分析が多すぎて、やや食傷気味にはなりました。しかし、コトバ、イントネーションが親しさの度合いによってどのように現れてくるか、面白かったです。
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もうちょっとくだけた内容かと思っていたが、学術的視点に立っているので、少しとっつきにくい。
色々と現実に起こっていることを分析しているのは分かるが、結局結論は何なのだろうか。
2回目
結構詳細に調査してる