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ローマ帝国あたりから書き始めているのでびっくり…
ドイツ連邦からいかに動いてきたか、
その時の人が何を考えて政治を行ったか、読みやすくていいなとおもいました
…やや過大評価しているかもと思う部分もあるので
「正しい見方」ではなく「ひとつの考え方」として読むことをオススメします
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まず最初にある程度知識が必要に思いました( ´△`)
読めなくはないですが。
ですが、非常に面白かったです
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タイトル見てダメだと思ったんだが、アマゾンのレビューが良かったので読んでみた。
これは良い。
序章で「歴史は常に創作される」と、「歴史の正しい見方」をまず否定することころから始まる。
これは二つの意味がある。
ひとつは、「歴史」とは取捨選択された過去の情報が編集された、文字通りの「創作」であって、科学と言うよりは文学の一種である、ということ。
もうひとつは、「歴史には法則がある」というのは疑わしい、ということだ。
「歴史には法則がある。歴史には自己完結的なシステムのようなものがあって、なんらかの意味を持っている」という、「歴史の法則性」などというものは疑わしいこと。
そして、その前提となる「歴史とはどこかに客観的に存在し、いつどこで誰が観測しても同一の結果を得られるだろう」という「歴史の客観性」などはありえない、ということ。
「歴史は法則的に捉えられる」という考え方は、近代になってヘーゲルによってはじめて唱えられた。
その後のマルクスもヒトラーもシュペングラーもトインビーも、この意味ではヘーゲルの弟子だといえる、とハフナーは言う。
歴史を「自然科学」のように捉えたい、という欲望は、それまでも予言として人間の心を捉えてきた。
しかし、「自然科学」という概念は、ヘーゲル哲学の誕生した18世紀頃に、「実験室」の成立と、「知の制度」が実験室の成果とそれを取り巻く人々の関係を中心に出来上がった。
「自然科学」、ことに化学は産業において大きな成功を収め、「知」の制度を席巻した。
このことと歩みを揃え、あらゆるものを「客観的」な「法則」として捉えようという流れの中、「歴史」を「客観的」なものとして把握しようと試みがなされた。
しかし、予言は常に外れ、未来の計画は客観的とは到底呼びがたい不確実性に支配されていることが、自然科学の成立後に人々が思い知ったことだった。
以上を前提に、第1章のローマを起源とするところからスタートする。
重要なことは、「ドイツ」と言う国は、18世紀まで跡形もなかったこと。
これは、「フランス」「イギリス」といった国々においても同様で、現代人が思っているように過去にもそれらの国々があったと仮定すると、まったく理解できなくなる。
ここらへんは、
「神聖ローマ帝国」「英仏百年戦争」がわかりやすい。
第6章「ヒトラーはなぜ権力を手にできたか」が面白い。
理由1:経済の破綻
1918年の第1次世界大戦の敗戦、ヴェルサイユ条約による多大な賠償によりドイツは破産した。猛烈なインフレが起き、不換紙幣は紙切れとなった。
しかしドイツは、賠償金をアメリカから借り入れイギリス・フランスに支払い、イギリス・フランスはそれをアメリカに戦債として支払い、借入額の余剰分を復興資金として使った。
アメリカ→ドイツ→イギリス・フランスの経済循環が生まれ、1924年から景気は上向いた。
ところが1929年の暗黒の木曜日によって、このいびつな経済循環は破壊された。アメリカが資金を引き上げ、ドイツ経済は再び破滅した。
理由2:ぐだぐだの政治
1925年4月、ワイマール憲法のもとで、元帥であったヒンデンブルクが大統領となった。大統領は首相の任命権と、非常事態を宣言(第48条)することができた。
任命された首相は、大統領の非常事態宣言を背景に、議会を解散することが出来た。そして事実、非常事態宣言を乱発し、そのたびに議会を解散した。
1930年以降、ヒンデンブルクとその取り巻きは、「行き過ぎた民主主義」による国家の暴走を止め、自らの出身であるユンカーが支配者として君臨する、一種の封建制度を作ろうとした。
非常事態宣言の実質的な根拠の一つが軍部であり、懇意であったシュライヒャー将軍であった。
1932年6月、ヒンデンブルクはパーペンという、右翼内部でも最右翼として孤立していた男を首相とした。これは、シュライヒャー将軍の推薦によるものだった。
パーペンはクーデターにより憲法を亡き者とし、ヒンデンブルクのもくろむ復古的な帝国の再建を計画した。
任命後、ヒンデンブルク大統領はパーペン首相を大のお気に入りとし、シュライヒャー将軍よりも近しい関係を持った。このことで危機感を抱いたシュライヒャー将軍はパーペンを失脚させようと働きかけ、パーペンのクーデター計画がいかに失敗するかを語り、閣僚たちを味方に付けた。
身動きの取れなくなったパーペンは「泣く泣く」辞意を表明した。
老いたヒンデンブルクは激怒しながらも、パーペンを追い落としたシュライヒャーに自分で責任を取らせようと、パーペン首相の辞意を認め、1932年12月、シュライヒャーを首相に任命した。
シュライヒャーは、労働組合を陣営に引き入れて国民の指示を得ること、ナチスの反ヒトラー派を使ってナチスをヒトラーから奪おうとした。しかし、労働組合は1919年以降共和国を潰すためにあらゆる権謀術数とクーデター計画を画策してきたシュライヒャー将軍を信頼するわけがなく、またナチス内の反ナチス派はヒトラーにひと睨みされただけで腰砕けになった。
1933年1月28日、シュライヒャーは追い詰められ、ヒンデンブルクに非常事態宣言の発動を要請したがすげなく断られ、首相を辞任した。
ヒンデンブルクはパーペンを呼び戻し、首相に任命しようとしたが、パーペンは自身のクーデター計画は、シュライヒャーの不在により国防軍を動かせず、そのままでは通用しないことを悟り、新たなカードを切った。ヒトラーの首相任命である。
国防軍を動かせなければ議会で多数を取るしか無い。そのためには圧倒的議席数を誇るヒトラーを取り込む必要がある、とパーペンには思えた。
ヒンデンブルクは渋ったが、結局ヒトラーを首相に任命した。
ヒトラー首相、パーペン副首相の二頭体制がはじまった。この時点では、パーペンはヒトラーを「手駒」として使えると思っていた。しかし、ヒトラーはパーペンがどうにか出来るようなタマではなかった。
1933年2月28日早朝、前日に起きた「国会議事堂炎上事件」を収めるため、ヒンデンブルク大統領のもとに、ヒトラー首相・パーペン副首相が訪れた。ヒトラーはヒンデンブルク大統領の署名欄だけが空欄��なっている緊急事態宣言令「民族と国家を保護するための緊急令」を携えていた。
「民族と国家を保護するための緊急令」は、大統領の事実上の権力喪失と、国家の全権をヒトラーに委ねる旨が書いてあった。
早朝のため、寝ぼけ眼のヒンデンブルク老人は内容を飲み込めず署名をためらい、信頼するパーペンに目をやった。
パーペンはただ黙って頷いた。
「そこでヒンデンブルクは署名した。だが彼が署名したのは、たくさんの無記名の死刑判決だった。そしてその末尾にはドイツ帝国への死刑判決も記されていた」
こういった経緯は、ハフナーの持論であると訳者あとがきにあるが、大変面白い見方だし、序章で「歴史は常に創作される」と断っていることを念頭に入れるならば、たいへんわかりやすいものだ。
第9章で、現在もドイツの憲法である「ボン基本法」が、暫定的に作られたものであるにもかかわらず、はるかに民主的である「ワイマール憲法」よりも長命なのかについて、こう書いている。
「基本法の起草者たちはみないわば『大やけどをした子供たち』だったからで、彼らは有権者の気分がいかに移ろいやすく、惑わされやすいものであるか、デモクラシーというものが制約のないデモクラシーによっていかにたやすく破滅の道を突き進んでしまうものか、わが身を通してよくわかっていた。だからそのような体験はもう二度とくりかえしたくなかったのである。
ワイマール憲法というのは、国民が惑わされることのない民主主義者で、分別ある模範的な市民であることを前提に作られていた。基本法は、たとえ惑わされやすく過ちの多い、不完全な人間のもとでも、ちゃんと機能する民主憲法であらんとし、デモクラシーの行き過ぎからデモクラシーを破壊することのないようにと考えてつくられたものだった。」
これは現代の日本の状況を見るときにも重要な視点だと思った。
2時間程度で全文を一気に読み通せる内容。
おすすめです。
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戦後ドイツきっての歴史著述家セバスチャン・ハフナーによる歴史エッセイ集の抄訳。
古代ローマに見る「ヨーロッパとは何か」から説き起こし、プロイセン⇒ドイツ帝国⇒ワイマール共和国⇒第三帝国⇒西ドイツまでの流れに関して、興味深い自説を分かりやすく展開してくれる。
同じ著者の『ヒトラーとは何か』が大変素晴らしかったので期待して読んだが、相変わらず論旨明快で示唆に富んでいて面白かった。
特に第4章の「セダンの勝利の呪縛」、第7章の「第二次世界大戦はいつ始まったか」が興味深かった。
第4章を読んで、なぜドイツは第一次大戦・第二次大戦をあのように戦ったのかについての一つの新しい見方を得られた。
第7章は、ある意味「if」の話なので単なる思考実験的な要素はあるものの、39年に国防軍の軍事クーデターが勃発していれば第二次大戦は起こらなかったどころか、ヒトラーが1930年代後半に獲得した領土さえも保持できただろうという考え方は、なかなか読んでいて刺激的だった。
個人的にはナチス関連書籍を読む中でワイマール共和国成立から第三帝国崩壊までの政治史の大枠は頭に入っているつもりであったが、上記2章によって、その前史にあたる部分と、史実を追うだけでは得られない見方を提供してくれたという面で、非常に満足感ある読書となった。