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武力もお金も人を幸せにはしない。さて、馬鹿は誰でしょう?「頭を使って働く」やり方を示そうとした悪魔が、イワンの国の人にはただペラペラと喋ってるだけにしか見えなかった。口だけってやつ。ドキッとする。働くことは自分の手と体を使うこと。自分の身を削ること。頭と口先だけで仕事をしようとする人は信用できない。
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『トルストイの散歩道シリーズ』
小学生にも親しみやすい文章と文字の大きさで
何より民話集を1冊読むより、
トルストイ読み切ったぞと自信が持てる(私のこと)
お金に目がない商売人の兄さんと
いくらでも領地が欲しい軍人の兄さんと
皆に馬鹿者扱いされる弟(イワン)が出てくる話
本来ならお金や地位、名誉なんかのものを
手にしたら、人は変わってしまいそうだけど
弟だけはどんなときにも本質的に変わらなかった
いいとも、いいとも、と快く手離して
労苦を惜しまずに
必要な人に分け与えられるよう汗水流して働く
読み初めは悪口としての馬鹿かと思っていたけど
こんな馬鹿にならなりたいなと思った
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失敗する兄たちや、頭を使ってなにもできなかった悪魔をみて、そうは言っても実際馬鹿ではどうにもならないのではと、心のどこかでイワンやイワンの国の人たちを否定したくなる気持ちが自分の中に生まれてきたのを客観的に感じたとき、はっとした。
このお話はいろいろな解釈ができると思うが、今回読んでみて考えさせられたのは、自分一人の力では生きていけないのだということ。金に価値を認めない社会が存在したのなら、いくら金を持っていても役に立たない。これはなにも金でなくたって同じことで、たとえなにかを働いた (悪魔の場合は説教をした) としても、その働きに価値が認められなければ、つまり人の役に立っていなければ、働いたことにならないということである。人が社会を形成して生きていくためには、お互いが働きあっていかなければならない。
たしか、読んだ本の内容をA4一枚にまとめると知識が身に付く、といった内容の本のなかでその著者が書いていた、「働くとははた(他人)を楽にすることだ」というような一節を思い出した。
ここまで書いた一方で、そうは言っても~と引っかかった自分の気持ちがいまだに残っていることを感じて、改めて考え直してその理由がわかってきた。いくら個人がよい働きをしたとしても、その働きを受け取れる者がいなければまた、価値が存在しないことになってしまうということ。例えば悪魔が説教をして、そのことに国の人が耳を傾けなかったから価値が生まれないのだが、そこに何らかの情報があったのに、活かすことができなかったのだとしたら、階段から落ちた悪魔を馬鹿にしていいものだろうか? やはり自分は馬鹿に甘んじていることを是とは言えない。
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三匹の子豚のような道徳のお話。
悪魔が三人の兄弟を陥れようとするのだが、馬鹿のイワンだけが全くうまくいかない。
中でも、商人に化けた悪魔がイワンの兄弟タラス王を陥れる時に使った方法に、おおーと感銘を受けた。勿論反面教師の意味で。
タラス王から税金として金を巻き上げられていた人民から、商人に化けた悪魔は高値で馬や衣服や食料を買い上げた。人民はその金を税金としてタラス王に納めた、タラス王は金でとても潤った。が、商人に馬も衣服も食料も買い占められ、金があっても食料さえ手に入れられなくなってしまった。
大人になると素直に読めなくなる部分はあるだろうが、大事な事が書かれていると思う。子供の童話として読み聞かせたい話。
※学生の頃一度授業で習い、ずっと心に残っており再読した。
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ずっと読もう読もうと思っていたけど、手に取ることがなかったトルストイ第一号読了本。
かなりわかりやすく、哲学的な内容が書かれていた。
イワンのような愚直でまじめで優しい人が、本当の幸せをつかむのだなぁ。
自分の子どもに、必ず読んでほしいと思った。
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時を経て再読。読み始めから終わりまで一気に読んでしまう面白さでした。初めて読んだ時は、よく分からなかった印象があります。哲学的な考え方を得ようと深読みし過ぎたためかもしれません。今回はフラットにするすると大変面白く読みました。思わず声をあげて笑ってしまうところも。こんなに面白かったのかイワンの馬鹿!次は小宮由さん訳でも読みたい。
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作中で馬鹿だ馬鹿だと言われているイワンが、一番強く、賢く見えるのは私だけでしょうか。
文も短く、読みやすい物語調。
子どもの本棚にも入れてあげたい一冊。