紙の本
結構真面目な学術書です
2015/08/28 23:54
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Otto - この投稿者のレビュー一覧を見る
センセーショナルなタイトルとは裏腹に、敬虔なキリスト者の書かれた真面目な内容です。
キリスト教的なリテラシーをキチンと持ち合わせていないと読み進むのが困難かも知れません。
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写本の誤記、改ざんによってオリジナルが失われていることを強調しているが、オリジナルが神から直接来たものなら話は別だが、オリジナル自体その著者が誤りやすい人間として書いたのであって、その後の改ざんを問題視することにそれほど意味があるのか。問題にするならば、原著者が本当に神のことばを書いたのか問題にすべきだろう。
(終章にこのことは書いてあった。全霊感説否定)
原著者に霊感が働いたなら、写本にも霊感が働いたと考えてもよいのではないだろうか。
改竄を見分ける方法はなるほどと思う一方、古い写本ほど信用できるというわけでもなく、また多いから信用できるわけでもなく、結局神学的な主観による判断なのではないかと思う。
それにしても、自分が感動した箇所が改竄だと言われると何か複雑な気持ちだ。
結論として「テキストを読み解釈する時我々も改ざんしている」というのは、むなしい不可知論だ。
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『捏造された聖書』とは、またキャッチーなタイトルだが、訳者もあとがきで言うように内容は実に健全で誠実に聖書学、とりわけ本文批評学の分野から新約聖書の読み方を解かりやすく解き明かした一冊であります。
原題は・・・Misquoting Jesus-The story behind who changed the Bible and why
(イエスの誤引用−聖書を改変した人々とその理由の背後にある物語)
そもそも聖書など、古代の文書というのは「本文批評」を通さねば読むことの出来ないものです。
なぜならその原本は既に失われていて、何代にもおよぶ写本によって現代にまで受け継がれてきているからです。
「本文批評」もしくは「正文批判」というのは、この写本から写本というふうに受け継がれる中で生じる伝言ゲーム的な誤り、すなわち誤訳、改竄、書き足し、削除の可能性をあらゆる角度から根気良く追求し、その本来の姿を浮かび上がらせようとするものであります。
本書はその入門編として最適の出来栄えであると思います。
簡単に「伝言ゲーム的誤り」と言っても、その数は驚くほど多く、ある部分など、そっくりそのまま後世の創作であったりするのであります。
決して悪意のある改竄というわけでもなく、その時々の信仰や価値観から書き足されたり削除されたり、解釈の仕方から補足目的で語句を変えたりされてきたものであるワケです。
現代においてさえ、翻訳段階で改竄される場合もある。
しかし、この場合は<ある教派の信仰>に沿わせるのが目的であったりするワケで、故意に意味を変えようとするのであるから正文批評の立場からはまさに捏造であり、悪意というほか無いのだが・・・。
昨今は書物も価格設定が高く、文庫でも千円を越えるものが相当出ているが、この本はハードカバーにしては割り合い安価に押さえられていてその点でもお勧めである。
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烏兎の庭 第三部 書評 12.20.08
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto03/diary/d0812.html#1220
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必ず言われることですが、この日本語のタイトルはひどすぎます。新約聖書の本文批評学の歴史や現在の課題などが、読みやすくまとめられています。ある程度基礎知識は必要かもしれませんが、入門には良いです。アーマンの考えが良いかどうかはまた別の問題ですが。
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トンデモ本のようなタイトルだが中身は理性的。
印刷機以前の手による写本は、作為不作為を問わず前世代とは異なるものができる。従って、現存する聖書はオリジナルのものとは違う。
きわめて当たり前の話だが、このあたりが大論争になってしまう宗教学の恐ろしさ。
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一般に古文書は、オリジナルが残っていない場合、写本という形で後世に伝えられるが、写本制作時には文字を読み違えたり、意図せずに行を飛ばしたりといったことがまず避けられない。特に聖書の様な主義主張に関わるものは、往々にして写本の中に自己の主張を織り込ませることが少なからずある。聖書については、オリジナルは全く残っておらず、写本のみのよって編纂されているが、その基となった写本もオリジナルと同じものとは言い難い。この写本の違いを分析し、オリジナルを推測しようという学問があり、その手法等がこの本の主題である。推理小説を読む様な面白さがあり、キリスト教徒以外でも十分楽しめる。
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[ 内容 ]
イエスは死を前にして錯乱したのか?
毒を飲んでも平気だなんて言ったのか?
“三位一体”の教義は新約聖書の中にはっきり書かれているのか?
そもそも新約聖書にイエスが「唯一神」だなんて書いてあるのか?
―多くの誤謬と捏造に満ちた聖書の謎をめぐるノンフィクション。
[ 目次 ]
1 キリスト教聖書の始まり
2 複製から改竄へ
3 新約聖書のテキスト
4 改竄を見抜く―その方法と発見
5 覆される解釈
6 神学的理由による改変
7 社会的理由による改変
終章 聖書改竄
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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とても面白い。
キリスト教が誕生して、カトリックと三位一体説が正統派として確立するまでの間、数多くのキリスト教の流派があり、それぞれで議論して闘争していたのがよく分かる。
つまり、中国の諸子百家、インドの仏教とジャイナ教の対立のように、原始キリスト教も数多くの流派がそれぞれの自説を主張して生存競争をしていたわけだ。
「捏造された聖書」を読む前に、下記を読んで、キリスト教における三位一体説を理解していたので、聖書が改ざんされた意図や背景が良く理解できた。
キリスト教の発展、分裂後の東西ローマ帝国 http://www.geocities.jp/timeway/kougi-19.html
論点は「イエスは神なのか?人間なのか?」
現存のキリスト教は、三位一体説を奉じるので、イエスは神であり人間でもあるが同質である、という立場。
原始キリスト教の世界では、イエスは人間だったという養子論、イエスは神であるが旧約聖書にあるユダヤ教の神とは違うという仮現論、イエスは人間イエスと神キリストの二つの物理的存在に分割されているという分割論、など多数の流派があった。
しかし、三位一体説を奉じる流派が唯一生き残ったことにより、それら流派の解釈を許さないように、聖書の文言を改ざんしていった、というストーリー。
だから、最近になって、三位一体説を否定するキリスト教の流派、たとえば、エホバの証人、とか、モルモン教などが、現存のキリスト教はおかしいのであって自分達が本来のキリスト教なのだ、と主張しているわけなのか。
こういう理解ができた後、今のキリスト教を信じている人は、この本は信仰を否定するような内容になるので、危険な本だろうな、と思う。
読んでいてハラハラした。
捏造された聖書では、他にも、現代から真の聖書を探していく作業、つまり文献分析学の話を相当詳しく説明してくれているので、とても分かりやすい。
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面白かった!長年自分の中で謎だった、なぜキリスト教には一つの聖書なのに(旧と新はあるが)たくさんの会派があるのか、少し手掛かりを得た。
意図したりしなかったりで、元々の教義が改変されてきた。
時には、女性の地位、離婚について、奴隷について…いろんなことを、自分たちの都合がよくなるように、写本する際にテキストを変えてきた。
その結果だということらしい。
…と考えると、いわゆるありがたい「教え」の中で決めつけられていることも、その人の考え方でしかなかったりするの…かも。
そうした「思想」的なものは、所与のものではなく、やはり元を疑ってみる必要がある。そういう考え方をすることで、誰に利益があるのか、そしてどういう経緯でそうした思想が生まれてきたのか。
和訳も比較的読みやすかった。特に、「エスキモーに氷を売る」と比べると。
読みやすくするには、ある程度原文から離れるのもしょうがないのかもしれない。
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壮大なる伝言ゲームの話。そりゃよく考えれば数千年前の印刷技術も無い時代は手書きの書き写ししかないのでどんどん内容変わっていきますよね。
この本は日経に載ってた河野外務大臣のお気に入りの本として紹介されてたんですが、直後からなのかアマゾンなんかでも価格が数万円単位に高騰(本は絶版)しており探しに探した挙句図書館で借りました。是非、電子化してほしいです!
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聖書に馴染みがありませんでしたが、印刷がなかった時代から脈々と古くから続いてきた歴史資料と見れば、さもあらん、ということでしょうか。 イエスの磔刑の場面がマルコとルカで異なるのも知りませんでした。それぞれの事情。事情と事情、色んな事情か積み重なって、今に至っていることが理解できました。
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一冊目は田川建三の「書物としての新約聖書」の内容を普通
の読者にもわかるように噛み砕いて紹介しているような、
いわば入門書。門外漢で、なおかつ少しでも興味があるの
ならこの本から入るといいかも。
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もう、何年も前の話なんだけど
日経新聞の書評で、河野太郎が、アメリカの大学で政治学を専攻していたとき、彼は、その大学が、キリスト教系の大学であることを知らなかったらしいんだけど
聖書の授業が必須だったために、聖書を読んでいて、その時に、この本のことも知って、感銘を受けた、と述べていた。
それで、図書館で借りて読んだんだけど、面白くて、笑い転げたりしながら、イッキに読んだ。
聖書が無謬であるかどうか?
あれから、何度か読み返した。
29
キリスト教の、書物指向
ユダヤ教から受け付いだ書物指向
ユダヤ教は、西洋文明における、最初の「書物の宗教」
一神教であるユダヤ教は、極めて独自のものだった
ローマ帝国内の他の宗教はすべて多神教だった
30
ユダヤ教の神は
彼らの祖先と契約した唯一神で
世界を創造し、支配し、自らの民に必要なものを与える
唯一全能なる神は、イスラエルを自らの選民と呼び
絶対的な帰依と引き換えに
彼らの保護を約束した
イスラエルの民の祖先である族長たちと神との交流の物語
アブラハム、サラ、イサク、ラケル、ヤコブ、リベカ、ヨセフ、モーセ、ダヴィデなど
古代西洋の多神教では、本や聖典なんてものには、出る幕がなかった。
信仰や倫理は、なかった。
ユダヤ教がユニークだったのは
祖先の伝承、習慣、律法を重視し、それを書物に記したこと
新約聖書の文書群が書かれた西暦1世紀
ローマ帝国の至る所にいたユダヤ人は、神がモーセの文書群を通して、自らの民に指導を与えたと信じていた。
この文書群を「律法トーラー」と呼ぶ。
法とか、指導、を意味する言葉。
トーラーは5巻の本からなる。
五書 ペンタチウコス
①創世記
②出エジプト記
③レビ記
④民数記
⑤申命記
世界の創造、神の民としてのイスラエルの召命
イスラエルの祖先と神との関わり、などの物語
なかでも重要、かつ長いのは、
神がモーセに与えた律法
結局、キリスト教ができてしばらくした頃
ヘブライ語の本の、22書が、正典と見なされるようになった。
これが今日のユダヤ教聖書
キリスト教徒は、これを、正典の第一部として受け入れ
「旧約聖書」と呼んだ
32
キリスト教もまた、初めから、書物指向の宗教だった
33
初期キリスト教書簡