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一連のバックラッシュ騒動で、なんでこんなことになってんのと思っていた私には痛快でした。
そろそろネクスト・ステージへ!
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雑多な抽象的考察集。バックラッシュ派は「多様性フォビア/不安のポピュリズム@宮台」で大体共有。が、用語「ジェンダーフリー」の是非については別れる。若年ヘイトフェミな「弱者男性」には触れ、フェミ的行動/理論言動でもフェミを避ける女性に触れないのはいかがなものか。拡散したフェミ論説の中で、行政/学会でのギョーカイ発言権力を奪取しようとやっきな女性当事者主義の、ジュンフリということで?女性ジェンダーに注意を払わなくなる事は女性視点が無くなり性差別温存に説は極端。男性やクィアへの「多様性フォビア/不安のポピュリズム」そのものでは。
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あまりに難しくて、読めるところだけを
拾い読み状態でした^^;
参考文献とあわせて読み合わせないと
私のような素人には判断しかねる部分も多く
ここで評価はできないな。
ただ、最近私自身が感じていた
最近の社会の流れに対する違和感の
ポイントが少し見えた気がします。
この本をキッカケとして、
自分の目で世の中をしっかりと見直す必要を感じた。
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買ったほうがいいです、この本は。コツとしては後ろと前を同時進行で読むことですね。宮台が読み進めるのがしんどいからって、本を閉じたらもったいないですね!
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ジェンダーレス・・・性差をなくす
ジェンダーセンシティブな社会・・・性差に敏感な社会、個々の事案についてそれぞれ、差別だから改善すべきなのか、単に性差を反映したものなのか、或いは、差別を改善するために一定の優遇が必要なのかを考える社会
ジェンダーフリー・・・意味に幅があり、発言者によって意味が違う。そのため、批判の対象になることも多々ある。「性差別のない」といういみから「性差のない」という意味など様々。
バックラッシュ(反動)からのジェンダーフリーへの批判は、「性差のない」という意味に理解して批判している。
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ジェンダーフリー問題について纏められた一書。男女平等という枠組みを超えて、必要以上に女性の権利を主張するフェミニズム運動に対するバックラッシュ(政策や社会の寄り戻し運動)が起きる。
装丁の印象や期待していた以上にフェミニズム問題について看破した内容であった。
フェミニズム運動の背景にある共産主義思想の存在や日本社会を瓦解しようと企む連中もしっかりと捉えている。
実に内容や構成が熱い一書でした。
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「鈴木 ジェンダーフリー・バッシングという擬似問題に固執し、ましてバッシングの当事者を「心の弱い人たち」といったかたちで属人的に非難して溜飲を下げるだけでは、議論にいかなる実りもない」
バッシングに関しては「乗らない」ということがとても重要だというのは言うまでもなく、そして「乗らない」ということが難しいということもこれまた言うまでもない。
特にそれがマジョリティの声として捉えられた場合、「乗らない」ということは困難であり、オープンな議論を続けたところであまり有益なものにはならない。
ある程度冷静に判断を据え置くことができる人々がある種閉鎖的に議論をする場面が必要なのはこういうところであって、なんでもオープンオープンにすればいいものでもないし、そういった場面から生み出されるものが言説として流布されることというのは社会的に見ても有益なのは間違いないのだろう。
ただ、現実的にはそういうところで「冷静な」議論の上で出てきたものが多くの人々の思考の選択肢になるということもまた難しい。人は意見を変えない。いや、他人事であれば意見は割とすんなり変わりうるので、今必要とされているのはあらゆるものごとを他人事として受け取る訓練なのかもしれない。うーむ。