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最近、ストレスからか体調がすぐれない。この原因も作者に言わせれば、”怒り”にあるのか。怒りの定義が大きく、作者の言わんとしている事が、今一つ読み取れない。繰り返し読む必要がありそうだ。
1回の読みでは、納得いく部分と、いかない部分がある。
怒りからは喜び・幸福は得られない。深く同意。
なのに、何故怒りの感情が出てきてしまうのか。実際の生活の中で湧き上がる自然の感情をどうコントロールしていくか。抑える・我慢するのではなく、自分の怒りを観ることによって、怒りが消える。本当だろうか・・・・実践してみよう。
また叱るもしくは強く注意するという行為を肯定的に捉えているが、はたして怒りなしに相手に意見することなどできるだろうか。凡人である私には、ひどく難しい事のように思えてならない。
いくつもの、生きる問題定義をしてくれた作品。読み深めていきたい。
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読んだら落ち込んだ…。
怒りを我慢するでもなく、怒りと闘うでもなく、怒りをどうやり過ごすか。
人生修行は厳しいっす。
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「「私は正しい」と思うから怒る。」「エゴは自分の足枷」
まさにその通り。エゴなんですね。「怒りではなく「問題」をとらえる」「相手の怒りには「智慧」で勝つ」「心を鎮めて状況を把握する」「他人が吐いたゴミを食べる必要はない」
さっそく実践しています。だいぶ怒らなくなりました。幸せな感じもします。これからも続けて行きたいと思います。
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-怒る人は負け犬です。知性のかけらもありません。たんなる怒りで動く肉の塊です-
企業にいてマネジメント職になると、部下を指導せねばならず、注意、指導が必要な場面がたくさんあり、「うまく怒るって難しいよね」という会話もよく聞かれる。けれども、そうではない、ということがこの本を読むとわかる。マネジメント職の人必読。強力にレコメンします。
もちろん、一般の人にもおススメ。
怒りのメカニズムを解明し、怒らない方法を、論理的に、わかりやすいブたとえ話を交えながら説いています。一家に一冊。
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貪瞋癡のうち、自分に害があると最もわかりやすいのが怒りだと思うので、これらが入門編として良いかと思います。
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「阿修羅像の真実」を読んでみて久しぶりに仏教に関する内容に触れた。今回は日本人のお坊さんではないということで興味を持って読んでみた。
怒らないことを主題としてブッダの教えをいくつか紹介しているのだが、平易な言葉で説明されており読みやすい。何をされても怒らないことが幸福を呼ぶということは理屈で理解できるが、実践するうえで様々な苦労に遭遇してしまうだろう。やっぱり怒らないためには修行が必要なのであろう。いや、怒らないでいることが修行なのかな。
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【目的】
感情の一つである「怒り」に対してどのような見方があるのかを知り、自身のコントロール及び他者へのアプローチに用いるため
【引用】
・自分が今怒っているかどうかわからない場合は、「今、私は楽しい?」「今、私は喜びを感じている?」と自問自答してみればいいのです
・「ゴキブリは気持ち悪い」は自分のせい
・「私は正しい」と思うから怒る
・「私は間違いだらけ」だとわかると怒らない
・ベストを尽くすのは当たり前で。「一応、精一杯やりますけれど、結果はわかりません」という知識的で、高度な生き方が良いのです
・「正しい怒り」は存在しない
・怒ったら「自分は負け犬」と言い聞かせる
・「自分は偉い」というエゴを捨てる
・「自分はダメな人」というエゴを捨てる
・「他人に負けたくない」というエゴを捨てる
・笑いは強者の証明で、怒りは敗北者の烙印です
【感じたこと】
自分がまだ「正しさ」にとらわれて物事を判断しているがゆえに苦しむのではないかと思い至った。「怒り」を無理やり押さえつけようとするのではなく、怒りの根底にあるエゴを手放すイメージをもつのがよいのではないか。
そういいながら、頼んだことをしてくれない人に対して早速「怒り」がこみ上げて攻撃したくなった。やってくれない理由もあるだろうし、そもそも自分が正しいという立場をとっているから、怒りが湧いてくるのだ。反省・・・。
【学んだこと】
感情はそのままにしてはいけない。感情は自然なものだから、と怒りたいだけ怒るというのは、単なる怠惰である。その怠惰ゆえに自分を貶め、周囲をも不幸に巻き込んでしまう。「怒り」を感じたら、すぐに自分は負け犬になってしまうと思い出し、怒りの感情を捨て去る。
【行動すること】
「怒り」を感じたらその根源に「自分が正しい」というエゴが存在していることを思い出して、その感情を捨てる
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簡単に実行に移せないような無茶苦茶な内容だが、書いてあることはまさに真理。怒ったら負け、馬鹿、終わり。
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衝撃を受けました。
そして、自分の罪深さ、愚かしさに涙が出ました。
僕の一生は、今まで怒り続けてきて、そういう自分で正しいのだと思っていました。明確にそう意識していたわけではありませんが、確かにそう思って生きてきました。
この本を読んで、そう気づかされました。
それはとても辛くて恐ろしい経験でしたが、今までどうしたらいいのか見当も付かなかった、僕はどうしてこうまで醜い性格なのかという問題、散々色々なことをやっても駄目だった、このどうしようもない生き辛さを、どうにかする方法が、もしかしたらあるのではないかという光明が差した経験でもありました。
すごい本です。
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「怒る人は負け犬です。知性のかけらもありません。たんなる怒りで動く肉の塊です」 とまで言い切られると、それに怒る人もいるだろう。しかし、そういう怒りも悪として断罪する著者のスタンスはある意味スッキリしていて気持ちよい。そして、怒りは発散させるのではなく、怒りそのものを自分の中で消去する(もしくは生じさせない)ことが目指すべき境地だと諭す。なかなか、お釈迦様の教えに到達するのは難しそうだが、究極の「努力目標」としてはアリかも。特に、怒りが生まれた瞬間に「これは怒りだ。怒りだ。」と自分の怒りを客観視することでそれを鎮めるというのは結構使えそう。
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プライドを傷つけられたら怒る。怒りの感情が刺激になって成長する。など自分としては、ついつい怒りを正当化しようとしてしまうが、どんなことでも「怒りを正当化」出来ないという言葉に反省。お釈迦様は、「泥棒たちがやってきて、面白半分に自分をノコギリで切ろうとしても怒ってはいけない。」とおっしゃった。怒らないことはいかなる場合も、恥ずかしいことでは断じて無い、と確信した。
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スリランカ上座仏教長老の著者が書き下ろした、初期仏教法話。
人間が生活するうえで、最も基本的なこととして、
怒らないことの重要性を説いています。
宗教以前の問題として、この本は、一読することをおすすめします。
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怒ることは時と場合によっては必要なこと、と思っていた自分にとって、大きくモノノミカタを変えるきっかけをくれた本。これ以降、著者の本は相当読んだけれども、最初に読んだということもあってか、この一冊に一番思い入れがある。
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日常、少しのイライラぐらい当たり前とおもっていたが、
怒った時点で負けだということになるほどと思った。
イライラする自分にイライラしていたが、負の連鎖を断ち切ること
ができそう。
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そーーなのよ。
怒るって自分も嫌なのよ。ホントはさ。
毎回反省してるのについムカっときてしまう私。
今後も読み返しきっといつかは柔らかい人に♪