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紙の本
これまでの「知的怠慢」を批判し、新たな視座を提供
2006/08/20 21:55
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アラン - この投稿者のレビュー一覧を見る
保阪正康氏は著書『あの戦争は何だったのか』の前書きで、「侵略の歴史を前提にしろ」「自虐史観で語るな」といった感情論だけで見ず、歴史をきちんと確認せよ、といった趣旨のことを述べている。私はまさにそのとおりだと思った。
本書の副題は「戦後日本の知的怠慢を断ず」とあり、帯には「・・・不毛な議論に終止符を打つ」とあった。そして本書を読み出すと、「戦争責任」の語の定義を明確にすべく、「開戦責任」「経過責任」「終戦責任」等と分類していく。本書を読み始めた時、これで責任論はすべてカタがつくかと思ったが、しかし当然ながら、そうはならなかった。(それができれば、そんな楽なことはないが。。。)
A級戦犯が終戦責任の一種である敗戦責任(結果責任)を回避したかどうかについて、東条英機、重光葵、廣田弘毅が責任を受け入れる旨明言していたことを示す。A級戦犯は決して敗戦責任を回避しようとはしていなかったことを説こうとしていると思われる。しかし、その3人以外の態度が分からないので、A級戦犯全体がどうなのかということは分からなかった。
木村久夫上等兵が絞首刑になった不当な裁判について、ページを割いて論じている。この裁判が不当であること、そしてそれ以外のBC級戦犯を裁く裁判の妥当性にも疑問符がつくことは間違いない。しかし木村上等兵の件は、確かに彼は無実だろうが、日本人の誰かがひどいことをしたのには変わりがない。戦争責任論がA級戦犯だけではないことを改めて実感させることに大きな意味はあるが、責任論にとって適切なテーマであるかについては、疑問が残った。
また、こういったことを論ずるうえでは、当然ではあるが一次資料にきっちりあたるべきという指摘をする。そしてマスコミ・評論家・政治家等が、単純ミスを含め、歴史事実を誤って述べていることを随所で指摘している。然るべき立場にある方は、当然きっちりと事実を踏まえて発言すべきであると思う。但し、著者の指摘の仕方に少し嫌味がない訳ではない。
「終止符を打つ」には至っていないが、事実を踏まえて、「知的怠慢」にならず、きっちりした議論をしていくために、様々な視座を提供していることは間違いないと思うし、私自身にとっては大変勉強になった一冊であった。
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