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一瞬の風になれ 1 イチニツイテ みんなのレビュー
- 佐藤 多佳子 (著)
- 税込価格:1,540円(14pt)
- 出版社:講談社
- 発売日:2006/08/26
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紙の本
「不完全さ」の美しさ
2008/04/06 02:21
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:redhelink - この投稿者のレビュー一覧を見る
最近はテレビのない生活を送っているため、この小説がドラマ化されていたことを最終回あたりで知りました。
青春モノってドラマ化すれば、キャスティング次第で数字なんかがはじき出せるに決まっているだろうが!とか思っていたりもします。
さて、本題に入りましょう。本屋大賞も4作品目ともなれば、心構えも違ってきます。私がこの小説を読む前に友人が読破していたときの感想は、ずばり「感涙」でした。だからしないようにと思っていたわけです。でも・・・かっ感動なんてしてないんだからっ!・・・でもでも目頭が熱くなる、心にグッとくる場面もしばしばと。もう一人の自分に負けた感があったりなかったりw
内容は、中学までサッカーをしていた新二がふとしたことから陸上の短距離へ転向し、様々な経験をしていくというものです。また新二の友人である連も高校の陸上部の短距離に所属するのですが、彼は100mを全中の決勝で走っているスプリンター。そんな二人が互いに成長していくわけです。
そんな青春モノで感動した点と、世間では100万部も売れたけど、すべてが良かったのかと疑問に感じた「違和感」について書こうと思います。
まずは感動した部分から3つほど書きます。
1つ目として、新二と連が陸上部へ入ると決めたときのやり取りがそれです。体育の50m走を競争するわけですが、二人にはそれぞれ感じたことがあったのです。新二は全中出場の連の圧倒的な速さを、連は新二がきちんとトレーニングを積むと、勝負が面白くなるのではと感じるわけです。お互いが「走り」を通じて、友人を見つめなおす、たった2ページ(1巻p35~36)が私にはグッと来たのです。
2つ目として、陸上部顧問である三輪先生のキャラクターです。普段は面倒くさそうな言動が多いのに、新二や連がわき道へそれたら全力で叱ったり、「走り」の内容が良ければ(タイムのみでないということ)そのプロセスを含めて褒めたり、また一緒に泣いたりするのです。
指導者としての責任感と、生徒と同じ目線で感動や悔しさを感じている描写が素敵です。中でも連がケガをした後に無理して練習しているときの叱り方は心に響きました。(2巻p90~)
目先の一試合にとらわれがちな連に、客観的(この場合は試合は今後もあるということ)に物事を見る目を養うことの大切さを指導する。これって難しいと思います。連にとっては一度しかない大会だとわかっていても、ケガを押して試合に出ることで選手生命を捨てることになるのは、指導者としてはさせてはいけないという想い(また三輪先生も高校のOBであり、ケガ押して試合に出た結果、選手生命をつぶしたからこそ同じ想いをさせたくないという想い)が伝わってくるのです。
3つ目として、描写されるキャラクターに共通する「不完全さ」です。例えば、新二は高校から陸上を始めたという短距離走者としての経験。連は陸上競技との向き合い方。最後の最後まで「不完全」な描写であり続ける内容が多々あるわけですが、それらは「可能性」という言葉に置き換えることができると考えます。
「完全」に成り上がってしまうと、上を目指すということがなくなるわけです。この部分をこの小説は非常にうまく描写しています。3冊を通じて感じてほしい部分です。
最後に、私が感じた違和感について書きます。それは「文章」です。妙にうまさを感じないのです。詳しく言うと、書き方と内容ともにということです。
書き方は、新二の視点で書かれているので、口語的になりやすいのでしょうが、それを差し引いても・・・と思ってしまうのです。それらの指摘を私がうまく書けるといいのですが、そこまでのレベルに達していないことに問題がありますね・・・。
もう1つの内容については、「ありきたり」だということです。努力、友情、恋、葛藤など、青春モノにおいて、扱っていることは普通ですよね?
それでもなぜ、この小説が大勢の人に読まれたか?私の感じたことで述べると、「不完全さ」の美しさにあるのではないでしょうか?キャラクターの「不完全さ」、描写が細部までなされていない「不完全さ」。「不完全」だからこそ温かく見守っていきたい。そんな支えないと崩れてしまうかもしれないデリケートな仕上がりだから、人々に感動と共感を与えられる小説として輝けるのではないでしょうか?
終わりに偉そうなことを書いてすみません。わたしはもっともっと不完全もとい不良品なのかも・・・。