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中宮とは天皇のめかけのこと、という説明はいささか乱暴というか言葉足らずなのではないかと思いました。
カバー絵の裏表紙側が人に不快感を与えかねないので、電車内で読むときは注意しましょう。
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話があっちゃこっちゃに飛ぶので些か読み辛くはある。が、公儀がなぜ300年近くも安泰であったかという疑問に、世継ぎという側面から答えている。
大奥がどれ程時の権力に食い込み、「借り腹のツケ」を以って意のままに公儀を操ろうとも、自分自身は何の力も持ち合わせていないという点に、女の浅ましさ、悲しさを見た気がする。
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徳川時代の殿様は絶倫だった割には殆んどが女種ばかりだった様ですね。戦国時代を制定した後だから全国の大名を政略的に抑え込むには姫を押し付ける方法が一番最適な遣り方だったのかも(女性蔑視のつもりで云っている訳ではありません)。
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本書は、江戸期前後の「お世継ぎ」の作り方という、あまり普通の歴史書では取り扱わない事項を、真面目に調査・論考したものである。この時期の性生活や性に関する社会通念は、現在の私たちから見れば驚くべきふしだらさ(?)に見えてしまうものであると思った。
また、本書では、徳川家康が樹立した「公儀」を自称する武家政権は、「男子の名義による相続」を公認し、武家は、男子でなければ「家」と「封」を継承できないシステムとなっているために、「裾貧乏」(好色)の房事過多が正当な業務となっていた様子が詳細に展開されている。ちなみに徳川家康は公的には「2妻5妾、子13男5女」だが、実際には、それ以外にも多数いたらしい。このシステムにおいては、武家は男子の子を得ることが何よりも重要である故に、多くの女性と励むことが合理的選択だったというのだ。これはなんとうらやましく、かつ大変なことだったろうと感じた。
ところが、「士農工商」の「士」はお世継ぎが男子優先だが、「農工商」は逆に女子優先で「娘から娘へ」が普通だったというのである。「商」の正嫡の男子は廃嫡されて一生食うに困らぬ財産を与えられて隠棲し、有能な婿が迎えられたというのだ。なるほどなかなか合理的な社会慣習であると感じた。
そして廓の存在である。男たちはせっせと遊女を買い、女たちは物見遊山・芝居・信心を口実に性的享楽を大いに楽しんだという。なんとおおらかな性生活だったことか。是非はともかく、現在とのあまりの差に驚いた。
幕末に活躍した勝海舟も「1妻4妾と9人の子」がいたという。勝海舟は、幕末・明治期に活躍した人物だが、英雄視する見方も、批判も多く見かけられるが、その批判と同時に語られることに、勝海舟は妻妾同居していたことがあげられていた。しかし、本書によると、この時代に妻妾同居は当たり前のことであったらしい。これも、現在の価値観念で歴史を判断してはいけない事例だったということか。
もちろん本書は、当時の「好色」と「子沢山」についてのみ語っているわけではない。「メカニズム」や「血統のアウトソーシング」もきちんと調査している。考えようによっては、このような一般的な「下世話な」話題を学問的に昇華させることこそが「教養」と言えるのかもしれないとも思った。
本書は、あまり緊張せずに肩の力を抜いてリラックスして読める江戸期の文化論の本として面白い本ではあると思った。
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題名と副題から期待するほど生々しい話ではなくて、とくに徳川家康の「裾貧乏」ぷりについて実証的に書いている。
システムとしての一夫多妻と、江戸は女の都という視点、江戸風俗、そういったものをもうちょっとまとめても良かったというか、テーマと内容があってなくはないかというようには思う。著者の江戸愛がすぎて収集つかなくなったというか。
しかし、秀康と秀忠が双子だった可能性があるってすごいな。秀忠の双子の弟は松平民部としてキリシタンとして追放され夏の陣に参戦というのは物語が過ぎる気がする。秀忠は、たしかに、彼らの人生のあらゆる所に出てくる二面性が説明できる。面白すぎるだろう。
家康の影武者に、秀忠の双子か。すごいな。
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私の意図としては、
・将軍は、「今日は誰と寝所を共にしたい」ということをいつどのタイミングで誰に伝えるのか。
・指名された人はどのような準備をするのか。
・翌朝は何時ごろ将軍は中奥に戻るのか。
・・・とかとかそういったことが知りたかったのですが、そういうことは書かれていませんでした。
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江戸時代の、もっぱら公儀を中心とする権力者層の系図・家族状況について、多くの事例を引いて語る。その様相は、今日の一般的なそれとはだいぶ異なるものであった。親子関係の不明瞭なこと(これは町人にも当てはまるようだ)や、信用できるのは血筋の者という考えなど。家康は御落胤を武士階級だけでなく商工業の枢要に配したというのが著者の説。
この本、内容はともかくとして、該博な知識を持つ著者が好き勝手に語り散らすといった趣の、なんともフリーダムな本である。ついていけない部分、惑わされる箇所がかなりある。
この夏、旅行ついでに福山城を見学してきた。そこの殿様である阿部正弘は、黒船到来の激動の時代に老中首座として幕政を仕切っており、城の展示では名君として持ち上げていた。その正弘についての記述もあり、公儀の行政と、大奥との関係の「正常化」に手腕を発揮したとされている。その正常化の中身については、感応寺とイロイロと結びついた大奥内部を、なぜか既に亡くなった高官も含めて処罰粛清したと書くが、何がその不思議な処罰法の所以であるかは途中で放り出したかのような中途半端な説明(死者の名誉剥奪)だけである。一事が万事、こんな調子でしか書かれていない。なお、正弘は房事過多で亡くなったともある。ホントかいな。
「紋散らし」なんていう迷信は面白い。幕末には江戸城の不審火が相次いだ、体制の揺らぎを象徴しているというのも頷ける話。