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私は無宗教である。しかし宗教的な考え方にとても興味があり、そこに自分に役立つものがあるならどんどん取り入れたいと考えている。
この本に書かれている内容には心を何度も刺される思いをした。私自身心の病にかかったことがあるのだが、確かにその頃、普通の状態でいられなくなると「自分は病気だから仕方がない」と逃げ場を作りこんでいたように思う。「自分を守るために病気になった」と言われても仕方がないかもしれぬ。
強く、それでいて穏やかに生きていければいいな・・・とは思うが、現実はなかなか難しく、
自分の考え方を変えるのもそう簡単ではなかろう。
瞑想を習得し、日々心の鍛錬をすることで、色んな迷いや苦痛から解き放たれる可能性は大かも。
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心がすべてをコントロールしており、なのに心の鍛錬をしないからいろいろおかしなことになる。仏教は今生きている人のための心の鍛錬法を解説した物であると。ブッダの実践や実際に行った悩み相談の答えも収録。
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▼ 100文字感想 ▼
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心、イキイキしてますか?心というものは、強くて、弱く
て、大ばか者。いつもイキイキとしていることなんてあり
得ません。そう思えれば、ちょっとはスッキリするだろう。
腹筋を鍛えれば強くなるように、心も鍛えれば強くなる。
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▼ 5つの共感ポイント ▼
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■人間は結局、死ぬまでずっと「アレが好き」「アレが欲
しい」それだけです
■自分の仕事に自信がないのは、何か奇跡的な成功を
頭で妄想しているせいです
■他人のことは、自分にはどうしようもありません。自分
にできるのは、自分のことだけです。だから、自分のこ
とをしっかりしていれば、それで十分です
■仏教とは「何かを信じる宗教」ではなく、「自ら覚醒する
ための実践法」
■何があっても、楽しもう、味わおう
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(2009/9/3読了)おお、このように分かりやすく実生活に即した仏教書があったとは。テーラワーダ仏教(初期仏教)の長老だそうですが、概念論でなく、現代日本の実情にホント即してます。
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前作「怒らないこと」に続き、今回もお釈迦さまの教えは深い。
この本はまず「人の心はみな病気である」と喝破するところから始まる。現代人は個性を称揚するが、高慢な自我に囚われれば歪んだ心も個性のうちだから、冷静に自分の言動を見直し、歪んでいる部分は歪んでいると認めることが必要だ。
次にお釈迦さまが3人の狂人の心を治す事例が示される。我が子の死を受け入れない母親に対して、「死者を出したことのない家からカラシの種を貰ってくること」というお題を出し、死の普遍性を理解させる。仏教は心の科学であり、お釈迦さまは心を救うために心を冷静に分析しているのだと感心させられる。
最後に心の育て方として瞑想法が教えられる。「私、私」という自我の心から慈悲の心に変えていくことで、幸福に平和的に堂々と生きていくことができる。
自分の感情を踏みにじって生きていくことは難しいが、一方で我々は感情に振り回されることが多いのも事実。心の弱さを素直に認めて、そして強靭な心を手に入れたいと強く思った一冊。
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心は病気というキャッチーなタイトルで手に取ってみたが
どちらかというと仏教に置き換えた
治療方法というより自己治癒力を高めるような
アドバイスを頂ける本だと思います。
ともあれ仏教に興味が出てきたので
やっぱりインドに行きたくなってみたり。
宗教ってなかなか奥が深いな〜と思えるくらいのやさしい内容。
さすが万人が信じるだけの仏教だ、という感じです。
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心は無知で高慢。ほしいものしか目に入らない子供と同じ。
そのため、子供と同じように心を守っていかなければならない。
・自我意識はよくても増長してエゴになるのはだめ。
・自我(私)がなければ問題は起きない。
・自分の努力だけではどうにもならないこともある。
自分以外の原因はどうしようもない。
「~したい」と思うことは問題ないが「~してやるぞ」と思うとエゴ。
・幸福になるには合理性と慈悲が必要。
感情の奴隷として不幸を築くのが人間である。
理性にもとづいて生きるとは、それなりのきちんとした訓練が必要。
・慈悲の瞑想
対象:私、私の親しい人々、生きとし生けるもの、
私の嫌いな人、私を嫌っている人
幸せでありますように
悩み苦しみがなくなりますように
願い事が叶いますように
悟りの光が現れますように
幸せでありますように
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初期仏教の本。
心は病気であり、そのままではよくならないと。
精神疾患について触れている箇所があるが、まず医者に行くのが先決であると。宗教のネガティブなステロタイプなイメージとして偏狭なものの見方というものがあると思うが、そういったものを感じさせない深い知性を感じた。
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自我意識が強くなったエゴ
これが問題
人は自分が可愛いものだけどそういう生き方ばかりでは苦しみが生まれるだけなんだな
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世の中とは人々の心の反応がうねる大河のようなものなのだろう。心は鏡であり、鏡に映ったものが世界であると考えてよい。各人の鏡は曇り、汚れ、ひん曲がっている。一人ひとりの価値観・執着・個性によって。世界とは目の前に存在するものではなくして世界観なのだ。それゆえ我々には見えていないものがたくさんある。優れた教えに触れると、曇りが除かれ心に光が射(さ)し込む。
http://sessendo.blogspot.jp/2014/11/2.html
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自我意識と自我(エゴ)は別物。自我意識とは瞬間瞬間気づくもの。自我は全く変わらない確固たる自分が存在すること。だから自我があると無常であることに気づかなくなる。自我を捨てるということは自分の心は脆くて弱くて大したことないと思うことだ。
また目的や希望にこだわりすぎない というのは以前読んだ本にも書かれてあった。
人間が幸福になるためには合理性と慈悲が必要。
慈悲の心・・今の自分にできることを精一杯やろうと思った。
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仏教を通して心の問題について
考える本でした。具体的な例や法話の中の
エピソードもあってわかりやすく学べました。
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エゴは通らないのが当たり前。
世の中で生まれるものは全て消える。消えるものに頼ってはいけない。
一つのことを極めても人格は作れない。
自分さえ自分の頼りにならない。
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人間は心に支配されているが、心は非常に繊細で構ってちゃんで、自分勝手な存在。
じゃあそんな心をどう育てて幸せになっていく?というテーマを仏教の観点から説いている。
色々な悩みは「自我を捨てる」ことで解決できる。
とはいっても私利私欲を全部捨てるとか自分の気持ちを捨てる、ということではない。
「心は弱くて脆くて大したことない、だから誰のものとも同じだ、自分は何者でもない」と捉える態度。
そして「精一杯やったのだから後悔はない。結果としてたまたまうまく行ったりいかなかったりするものだ」と捉える態度のこと。
これは腑に落ちた。
ほかにも
「自信がないのは、セルフイメージでは完璧(だからギャップを感じてしまう)という意味で自信がありすぎる」
「慣れてる仕事ばかりやって、変化を怖がるのはすごく暗くて情けない」など刺さるフレーズが色々…
ヴィパッサナー瞑想についても触れられており、同僚がやってみてとても良かったと言っていたので自分もいつかやってみたい。「慈悲の瞑想」はすぐにできそう。
さらっと読めたので仕事の疲れを感じた時などにまた読み返したい。