紙の本
ファンタジー要素の必然性
2020/09/10 22:23
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投稿者:kochimi - この投稿者のレビュー一覧を見る
ファンタジー小説の
ファンタジー要素に必然性がなければ、
物語として成り立たないと知って初めて、
現実とは違う世界で読者を遊ばせてくれる作者の
力量の凄みに気づきました。
本の紹介も深くて、
そそられる作品がたくさんでした。
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「風神秘抄」の作者、初エッセイ。ナルニア、指輪、宮崎アニメ、コードウェイナー・スミス…。読書の楽しみから、私的ファンタジーの書き方までたっぷりと語る。ファンタジー界の第一人者といわれるだけあって、読書量が半端でない。幼いときからの蓄積が、彼女の作品を生み出す原動力になっていることは間違いない。
まさにファンタジーのDNAが彼女の体内に組み込まれているのだろう
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大好きな荻原さんの初エッセイは、勾玉3部作の根本を支えてる荻原さんの読書経験を綴ったものだった。西洋と日本と、神話と最近やっと認知度が上がってきたファンタジーと。彼女の目で見る本の中の世界は、いったいどんな風なんだろう。たくさんおもしろかった本を挙げていたので、例にもれず、私もたくさんメモしていった。これからまた、少しずつ読んでいこう。勾玉も読み直してみよう。
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如何にしてファンタジー作家が生まれたか〜1959年,東京生まれ,早稲田大学教育学部卒。子供時代マンガを読ませてもらえず,世界児童文学全集を読破。何度も読み返したのはルイスのナルニアシリーズ。読む度に違う感想を抱く。指輪物語のトールキン,ハリーポッターのローリングス,コロボックルの佐藤さとる,宮崎アニメ,赤毛のアンのモンゴメリ,SFはコードワイナー・スミス,ローマンブリテンのサトクリフ,マキリップが書いた「妖女サイベルの呼び声」が,彼女に「空色の勾玉」を書かせた〜うーむ,読書家だなあ・・・高校時代に赤毛のアンの世界を捨て,ファンタジーを読むことに違和感がなくなった。孤独を埋める作業が読書であった。彼女のファンタジー論は確立されている
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Webで連載していた荻原 規子の「もうひとつの空の飛び方」が大好きでした。
これは、 その連載を元にした本です。ブックガイドみたいな感じになるのかな。
エッセイで、わけのわからないところでグッときて泣いてしまう経験は、馬場 あき子の「鬼の研究」以来かも。
若干、
「才能あるあの人の作法って、わたしと同じ!きゃあ!」
みたいなミーハー的なところは、気になるといえば気になりますが。
といいつつ、わたしも、このエッセイを読んで、
「おぉ、わたしと同じようなことを……」
とか思っていたので、まぁ、ファン心理というのはそういうものということで。
学校をあんまり信用していないのだけど、図書室があって、自分以外には読まれないかもしれないと思えるような本がひっそりと眠っていて、人から犯されない空間があるということは、とても大切なことのような気がします。
だから、本に対して目が利く人(いい本をただそろえるだけでいい)がいる学校図書館というのは、そうすてた物でもないと思います。
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とにかく私にとって荻原規子さんという作家様は憧れなのですが、これを読むとますます尊敬がつのります。
私が国文学、という分野に憧れを抱いたのもおそらく「空色勾玉」が発端。
荻原さんの読書姿勢には、ファンタジーが読みたい、という、少女の恋のような熱愛を感じます。
荻原さんの言葉には、読んでいて「私もこうなりたい」(そして「なるほど!」と)と思わせられる言葉が沢山あります。
まず、日本神話のファンタジーが読みたい!
ファンタジーとは長編であるものだ。
本当に読みたいものは自分で書けばいい。
・・・ああ、いいなぁこういうの。うっとり(−▽−)
児童文学をひととおりおさらいしたくなりました。あと神話ものも。
ああ、世の中にもっと「勾玉」や「これは王国のかぎ」のような、うっとりとするようなファンタジーが増えるといい。
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荻原さんの今のところ唯一のエッセイ本です。
理論社のWebページでずっと連載されていた
ものが一冊の本として出た作品。
発売後すぐ買ってきた気がする。
児童文学、ファンタジー作品を次々世に送る
荻原さんは、ご自身もかなりの読書家のようです。
荻原さんのブログ(アンダンテ日記)観て
読んでみよう、と思った本が私自身結構多いです。
(『蝉しぐれ』や『嵐が丘』など)
この作品でも古今東西、いろいろな作品が紹介
されています。
『ふくろう模様の皿』を読んでみたいところです。
脱線しますが、最近の荻原さんのブログに書いてあった、
狩猟生活を送ってきた人間と、
空想世界に冒険性を求めてしまう点に対する考察の話は
なかなか興味深かったです。
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ほぼ「ライオンと魔女」シリーズに言及されてたような気がします。
なので途中から多少飽きてしまった。
土台のしっかりした物語(特にファンタジー)を作るには、類似のものを読むより、文芸以外のものがいいというのはなるほどと思った。
また、それを読み真っ先に浮かんだのが上橋菜穂子だった。
うむ、説得力がある。
児童書との向き合い方が年齢を追って変わってゆくのに肯定的な意見に好感を持った。
大人になって子ども心が失われるのは"−(マイナス)"なわけではなく
子ども心を経て、更に新たな視点が加わるということなのだというような誰かの一文があって嬉しい気分になった。
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日本のファンタジーの代表作家である荻原規子先生のエッセイ。年齢は離れているのに読書傾向がそっくりでなんだか感激した。赤毛のアンが読みたくなる。
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なかなか楽しく読めました。
こういう個人の読書遍歴を見たときにとっても不思議なのは、読んでる本が一緒な時。
私もちびっ子の時は読んで読んで読みまくったものですが、母から薦められたわけでもなく、司書の人と仲良くなった記憶もないので、これはどう考えても自力で選び出したとしか思えないのに、本好きだった人と話すると読んだ本がかぶってるんですよね。
私の学校の友達なんかはそれこそ「本なんか字いっぱいで全然おもしろくない」という人たちばっかりで、本好きだった私は全く話できなかったのです。
で、そんなんで本の話なんかまるきり出来なかったのですけど、小5の冬からとある合宿に行きだして、そこでできた友達は他府県の人も多くて、それも1個下の歳の人が多くて、その時初めて本の話して分かる友達ができたのです。
それも私よりもっと本読んでる人が。
正直言いますと私は本はかなり読んでて、でも周りの人は全く読まないし、っていうのでちょっと自慢に思ってたんですよね。本読んでる私の方が賢い!とかそこまでは思わないけど、誰も知らないものを知っている優越感ていうのでしょうか。そういうのがあって。
それが、読書に関しては今まで全く負け知らずだった私なのに、話が出来るどころか私の読んでない本のことを持ち出してきたりするんですよ。それも年下が!
『ドリトル先生』の話聞きながら「ああそうかー今の私の状態こそが『井の中の蛙』って言うんやなあー」としみじみしたことを今でもはっきり覚えてます。大きい石の上で話してました(笑)。
でもまあ私は本読んだけど早々に大人向けの本に目がいってしまったので実は児童書を読んだ期間は相当短かったはず。
ナルニア読んだのは保育所の時なんですよね。
だから学校なんかの推薦図書とかで知るわけでもなかったはずなのに、きっちりナルニアとかピッピとか、今でも良書と言われてるものを知ることが出来たっていうのがとても不思議で仕方ないのです。きっと本の背表紙から何か本好きのちびっ子を呼び寄せる蜜のような甘ーいオーラもどきが出ているに違いない、と信じたくなるくらい不思議。
単にいっぱい読んだ中で記憶に残るのがやはりそういういいものだけだった、という可能性もあるんだけど(笑)。でもそれでも不思議。
ナルニアなんかあれだけおもしろいと思ってるのに全く知らない人ばっかりだったから、そうやって年下の子達と出会うまでは密書とか禁書とかみたいに思ってましたよ(笑)。
この荻原さんの本読んでたらそんなん思い出したりとか、国語の教科書は4月中に全部読んでしまって後の1年ヒマだったとか、萩原さんも同じことしてるのわかってうれしくなりました。
あ。でも荻原さんの紹介されてる本はほとんど知らないのでこれから借りて読んでみようかなあ。
実はそろそろ堅めの文章(科学系とか)が読みたくなってたりしたんですけど、あっという間にその気が失せました(笑)。やっぱり私はお話好きなんですよねー。ちょうど十二国記が何年ぶりかに話出たとかいうニュース聞きましたので、この際興味あったんだから読んでみようかと思います。
それにしても。こういう読書歴見ると絶対出てきますねナルニア!
何度も言いますが私もタンスに入ってみた口です(笑)。
でも何回入ってみてもナルニアに通じる道がないんですよね!ぎゅうぎゅう押してもやっぱりない。
何回も試して「うちのタンスは着物入れる和風の引き出し付いてるタンスやからナルニアに行く道はないんやわ」とあきらめ……たかというとそうでもなくて、ナルニアは無理だと分かったけど和風のタンスだから和風の国には行けるんじゃないか、とその後もしつこくタンスの裏を確かめてました(笑)。
ああいう本の読み方はもう二度と出来ないんだろうな…
ちびっ子に本読まそうと大人が色々画策してますけど、荻原さんも書かれてますけど私もあんまりそういうの好きじゃないです。
読む子は放っといても読むし、そうじゃないならそれはそれでしょうがないじゃないですか。
これまた荻原さんと同じように思うのですけど、朝の10分程度の読書なんかで我慢できるはずがないので、私がそんなことやられたらストレスで倒れてますよ。
私は本借りてきたときはうれしくて興奮して夜も寝れなくて、深夜こっそり起き出して隣で一緒に寝てる母を起こさないように窓辺でカーテンちょっとめくって、外の電球の明かりで続き読み進めたりしてましたから。お陰で凄まじい勢いで目は悪くなりましたけど(^_^;。
ちびっ子の読む勢いて訳の分からないパワーがありますから、そうやって10分の読書で何が分かるかなあと思うのです。効果の程はいろいろ聞きますけどね。
そうやって半無理強い(語弊あるかもしれませんが)するのはあまりいい気がしてない私ですけど、本読んでない人は、特にちびっ子はとってももったいないなと心底から思います。
上にも書きましたけど、ちびっ子の時の読み方は全く違うんで。あれはあのときに味わっておけたらすごく幸せじゃないかなと。
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宗教と科学、空想と現実、過去と現在の狭間を、人は物語として無限に夢幻を紡んでいく。
物語とは人間の創造力の軌跡なのかもしれない、と考えさせてくれる本でした。
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何様かもしれないが、ああ、この人はわかってると思った。
好きで好きで涙が出るほど本当に大好きだったのに記憶力が悪いゆえに題名も著者名も忘れていた作品名が、中に登場してて分かったことに心から感謝。
日本人としては珍しくハイファンタジーが得意な著者なので、それを構成する読書遍歴が書かれていて非常に興味深かった。
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ファンタジーとは何ぞや?ということで。
『読書が似ている(かもしれない)』という章にありましたが、本当に人はinputされたものを醸造することでしかoutputできないのだと思います。十二国記は面白いよね。
それと、ファンタジーを分類するのにユングの考え方を応用した話には納得。『ソフィーの世界』はわたしの生涯の愛読書だと思っているのですが、これは「思考」タイプのファンタジーだそうで。なるほど。「感覚」タイプのファンタジーは読めない(『ハリーポッター』や『指輪物語』)。それが面白い。ファンタジーって何かって定義は難しいなぁ。
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空色勾玉の作者のエッセイ
ファンタジーについて著者自らが語ったもの
何より興味深かったのは、以前読んだゲド戦記の作者ル・グウィンのエッセイ「夜の言葉」の内容に似ている箇所があったこと
「夜の言葉」は。ル・グウィンがファンタジー作家を目指す人々の前で行った講演なども入っているので、幾分専門的なこともあるけれど、エッセンスは似ていた
そのエッセンスっていうのは「ファンタジーってなんだ」ってことなんだけど
どちらも「ファンタジーというものは、人間が大昔から語り継いできた神話や伝承に起源がある」と言っていて、「それを作者が租借し自分の世界観を加味した上で、文章として表現していく作業なのだ」と言っている
だから、書くときには、作品世界は既に作者の中にあってそれを作者が自分を掘り下げていくことで言語化していく、という作業になる
個人的には「夜の言葉」の方が好きだけど、分かりやすいという点でこちらも好きだ
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荻原規子さんて、あらためて多読家なんだと感じました。タイトルは知っていても読んでない本ばかりか、存在も知らなかった本も出てきて、なにせ自分はナルニアも指輪も18になってから読んだので、ため息ばかりです。赤毛のアンも読まずに、結構本を読んでいると思っていた高校時代から進歩していないのかも。まあ、読みたい本がまた増えて嬉しい限りです。この本に紹介されているものだけでも読みきれるかしらん。