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村上春樹が人生で巡り会った、最も大切な小説が、この「グレート・ギャッツビー」。たったひと夏の美しく哀しい物語です。
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村上春樹がもっとも大切な小説とかっていう書き方をしていたので、読む。
正直、村上春樹の本がそんなに好きになれていないので、期待度合いもそんな感じで読む。キャッチャーインザライは好き。
いい機会だから書いてしまおう。「村上春樹が凄い好き」と堂々と言えてしまう人はどうも好きになれない。
やっぱり、そこまで凄い本には感じなかった。訳者あとがきを読んだら、こんなに文章が綺麗な本はないとかっていう話だったから、読書力不足もあるんだろうけど、あまりそういう本に惹かれないかな。村上春樹も凄い独特で雰囲気のある文章だと思うけど、なんかそこにはそんな重点を置いて本を読んでない。
ギャツビーがなぁ、なんかなぁ。偉大ではないだろあいつは。誰かのこれ読んだ感想文に愛がどうこうあったけど、どっちかったら恋だろうな。それもだいぶかっこ悪い感じの。分からなくはないけど。
この本は原文で読まないとダメなんだろうなと思った。
でも、野口さん訳も読んでみたいと思った。
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リリカルで少しシニカル、リズミカルで文句なしに美しい文章。ゆっくり丁寧に爪弾かれるアルペジオのような流れで切ない夏の日々が静かに描かれていく様はなんとも刺さってくるものがある。ただ原文にインスピレーションを与えられたにしても、やはり春樹フィルタを通した感はあり。好きだけど。なにはともあれこの物語はギャツビーのこの人間性を讃えグレートと呼んでいる、そのことが一番染みるのだ。
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翻訳小説って訳者の影響力が強いなぁと改めて思った一冊。どことなく春樹。今度は野崎さん訳も読んでみたい。
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たぶん、この本は、一度読んだだけじゃだめで、何度も何度も丹念に読み返すべき本なんだと思う。最初、全くページが進まなくて、結局手にしてから読み終えるまでに数ヶ月を要した。数ヶ月っていうけども、実質は一昨日の1日で8割程だから、如何に最初のほうに梃子摺ってしまったか分かっていただけると思う。村上春樹を読んだ後は、文章がいささか村上春樹くさくなる。笑える。ギャツビーは私の好きなアーヴィングのガープの世界に通じるところがあって、後半は物語の世界に没頭してしまった。また数ヶ月たったら読み返したいところだ。最近、文学もしくは小説から遠ざかっていた自分がいたのだけど、やはり小説っていいもんですね。あとがきを読むと、春樹のこの本にかける熱意が伝わってくる。春樹がそこまで言うなら、とギャツビーの価値が自分の中で上昇していくのを確かに感じてしまった。読みずらいって思う人は、あとがきから読んじゃえばいいのかも。
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アメリカ文学の代表作のひとつ。今更僕が語るまでもない有名な小説ですが、人間の夢や想いに対する儚さ、虚しさの表現の傑出っぷり、そこから来るだろう切ない読後感、僕は好きです。
ギャツビーの「美しい破滅」的生きかた、物事に対する病的な執念を含んだ感覚や身のこなし、話しかた…等、まさに村上春樹文学の原点を見る思いです。
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内容は言うまでにない、と思う。
確か大学2年生のときに別訳で読んで、今回ハルキムラカミ訳で読んだわけです。
あとがきがね、この人の才能がわかりやすい形で出てるな、と思いました。
情熱と平易さの両立。
あー、小説のあーいうのはやっぱり全部狙ってるんだよな、とか今更思った。
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買ってから一年放置していたけど、つい最近読み終わった。
青年ギャツビーは何らかの夢・願望に向かって弾丸のように突っ走り、散っていく。
破滅へと向かっていくのだけれど、それは決してどす黒くなくて、とても鮮やかに映る。
線香花火のような物語です。
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読もう読もうと思ってなかなか読めなかった本。こんな話だったのねー!なんでこんなに有名なのかわかった気がする。文学批評のテキストとして使ってるから、ついつい深読みしちゃうけども。読めば読むたびに新しい発見があり、深みが増す、そんな作品だと思う。
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2008.4
大学生の頃、ロバート・レッド・フォードの「華麗なるギャツビー」を観た時は、毎夜贅沢なパーティを開いて、デイジーが現れるのをひたすら待ち続ける、かなわぬ恋を、夢を再び取り戻すために・・・そんな気持ちを理解することは出来なかった。村上春樹訳の小説は、僕はいつもの村上春樹の小説の僕だと思って読んでいた。ゆったりと、しみじみと、繊細で、文章も洗練されていて、素晴らしかった。明るいはずの未来が崩壊しても、明日になれば今日より早く走ることが出来るし、大きく手を広げることも出来る・・・と信じるギャツビーの気持ちが切なくて、愛しくて、涙が出てしまう。
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流れる時間っていうのは不思議なものですね。人間には記憶とか思い出があっても、過去と今とではもう違う全く別の時間を歩んでいる。あの頃はあの頃でしかなく、あの頃が華々しくて鮮明であればあるほど、今の自分とはまるで違った、別人の人生かのようにも思えてくることがあります。一方では、それがもう終わった過去ではなく、現在まで引き続いていたとしたら、そこにはとても深い溝があり、とても協調できるものではない。
我々には確かにあの頃があった。あの頃はお互いに同じ道を歩んでいた。あの頃を追い求めた人と、あの頃には戻れなかった人の話です。
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”ギャツビーは緑の灯火を信じていた。年を追うごとに我々の前からどんどん遠のいていく、陶酔に満ちた未来を。” ギャツビーを思い、胸を痛める。胸が痛いのは、自分をギャツビーに重ね合わせたいから
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今日電車で斜め向いに座ってたおじさんが、この本読んでた。
ちょうど自分も読み終って鞄にこの本が入ってたから、
さりげなく取り出してアピールしてみようかとか
話しかけてみようかとか興奮して思いついたけど結局実行しなかった。
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昔読んだんだけど、きらびやかなパーティーのシーンしか覚えていなくて…。苦手な印象。
村上訳は、146ページから俄然面白くなったけど、やっぱり正直この小説の面白さはまだわからず。村上春樹の小説は好きなのに、なぜだろう。ギャツビーのデイジーへの愛には胸打たれたが。
村上春樹の訳文は、怖ろしいほど村上春樹的だった。
(最後のほう覚え書き)
ある日、ギャツビー、デイジー、ニック、トムが顔を揃え、ギャツビーとトムがデイジーをめぐって対立した。その帰り道、興奮するデイジーが運転するギャツビーの車がマートル(←トムの不倫相手)を轢き殺してしまった。トムは落ち込む。
マートルの夫のウイルソン(スコット・ウィルソン)は、トムに、轢き殺したのはギャツビーだと入れ知恵され、プールにいたギャツピーを射殺すると、自らも命を断った。
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この本は、図書館で借りた。村上春樹訳という事で、興味がわいて借りたのですがこれを読んで思ったことは、やっぱ当時のアメリカと戦争したら負けるわなぁ〜てことですかねぇ、本に書かれている事で結構アメリカの1900年代前半の状況とか分ります。
村上春樹さんの小説はあんまり読んでないけど、何となぁ〜く村上春樹さんの作風と似ている気がしました。