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第一部 神について
定理
六、一つの実体は他の実体から生まれ得ず。
八、全ての実体は必然に無限なり。
十四、神の外には如何なる実体も存せず考へられ得ず。
十六、神の本性の必然性から無限に多くの物が無限に多くの仕方で生さずべからざる。
十七、神は単に自己の本性の諸法則のみに因り働き、何ものにも強制されて働く事あらず。
十八、神は凡ゆる物の内在的原因にあり超越的原因にあらず。
二十一、神のある属性の絶対的本性から生す全ての物は常に且つ無限に存在する、即ち此の属性に因り永遠且つ無限なり。
二十四、神から産れるものの本質に存在は含まれず。
二十六、ある作用をする様に決定させられし物は神から必然的に然う決定させられたり。然ては神から決定させられぬ物は自己自身を作用する様に決定する事能はず。
二十九、自然の中に偶然はあらず全ては一定の仕方で存在し作用すべきに神の本性の必然に決定されたり。
三十三、物は現に産出せられたるのと異なる如何なる他の仕方、如何なる他の秩序でも神から産出させられる事あらざりき。
三十六、其の本性からある結果の生さぬ様の物は一として存在せず。
第二部 精神の本性及び起源について
定理
一、思惟は神の属性なり。あるいは神は思惟する物なり。
二、延長は神の属性なり。あるいは神は延長せし物なり。
三、神の中には必然的に神の本質の、及び神の本質から必然的に生起する凡ゆる物の観念が存す。
七、観念の秩序及び連結は物の秩序及び連結と同じなり。
十、人間の本質には実体の有は属さず、あるいは実体は人間の形相を構成せず。
十一、人間精神の現実的有を構成する最初の物は、現実に存在するある個物の観念に他ならず。
十三、人間精神を構成する観念の対象は身体なり、あるいは現実に存在するある延長の様態なり、然ては其れ以外の何物にもあらず。
十四、人間精神は極めて多くの物を知覚するのに適す。然ては此の適性は、其の身体がより多くの仕方で影響為得るに従ひて其れだけ大なり。
三十二、全ての観念は神に関係する限り真なり。
三十三、観念の中には其れを虚偽と云はしむる様な積極的の物は何も存せず。
三十五、虚偽は非妥当なあるいは毀損せし、混乱せし観念を含む認識の欠乏に存す。
三十六、非妥当な観念は、妥当な観念と同じ必然性をもて生す。
四十四、事物を偶然としてならず、必然として観想する事は理性の本性に属す。
四十八、精神の中には絶対的な意志、即ち自由な意志は存せず。寧ろ精神は此の事彼の事を意志する様に原因により決定せられ、此の原因も同様に他の原因により決定せられ、更に此の後者も亦他の原因により決定せられ、此の様にして無限に進む。
第三部 感情の起源及び本性について
喜び及び悲しみの感情に関する
諸感情の定義
一、欲望は、人間の本質が、与へられたる其の各各の変状に因りてある事を成す様に決定される限りに於いて、人間の本質なり。
二、喜びは人間がより少なる完全性からより大なる完全性に移行する事なり。
三、悲し���は人間がより大なる完全性からより少なる完全性に移行する事なり。
六、愛は外部の原因の観念を伴ふ喜びなり。
七、憎しみは外部の原因の観念を伴ふ悲しみなり。
八、好感は偶然に因り喜びの原因と成る様なある物の観念を伴ふ喜びなり。
九、反発は偶然に因り悲しみの原因と成る様なある物の観念を伴ふ悲しみなり。
十、帰依は我我の驚異する人に対する愛なり。
十二、希望は我我が其の結果について幾分疑ふ未来あるいは過去の物の観念から生する不定の喜びなり。
十三、恐怖は我我が其の結果について幾分疑ふ未来あるいは過去の物の観念から生する不定の悲しみなり。
十四、安堵は疑ひの原因が除去せられし未来あるいは過去の物の観念から生する喜びなり。
十五、絶望は疑ひの原因が除去せられし未来あるいは過去の物の観念から生する悲しみなり。
十六、歓喜は恐怖に逆らひて起こりける過去の物の観念を伴ふ喜びなり。
十七、落胆は希望に逆らひて起こりける過去の物の観念を伴ふ悲しみなり。
十八、憐憫は我我が自分と同類なると表象する他人の上に起こりける害悪の観念を伴ふ悲しみなり。
十九、好意は他人に親切を為せる人に対する愛なり。
二十、憤慨は他人に害悪を加ふる人に対する憎しみなり。
二十五、自己満足は人間が自己自身及び自己の活動能力を観想する事から生する喜びなり。
二十六、謙遜は人間が自己の無能力あるいは弱小を観想する事から生する悲しみなり。
二十七、後悔は我我が精神の自由な決意に因り成せると信ずるある行為の観念を伴ふ悲しみなり。
二十八、高慢は自己への愛の為に自分について正当以上に感ずる事なり。
二十九、自卑は悲しみの為に自分について正当以下に感ずる事なり。
三十、名誉は他人から賞賛せられると我我の表象する我我のある行為の観念を伴ふ喜びなり。
三十一、恥辱は他人から非難せられると我我の表象する我我のある行為の観念を伴ふ悲しみなり。