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(2009.03.15読了)
この本の著者の作品は初めてなので、特に期待もなく読み始めたのですが、なかなか興味深く読めました。
「栗林忠道」という題名が付いていますが、個人の伝記を書くというよりは、硫黄島の闘いをドキュメントとして描くという感じです。地上戦が始まるあたりからは、アメリカ軍の硫黄島上陸作戦最高指揮官ホーランド・スミスの様子も描かれて、日米双方の指揮ぶりが分かるようになっています。
「まえがき」に栗林中将の略歴が述べられ、本章に入ると硫黄島への赴任の場面になります。赴任は、1944年6月。
6月15日、硫黄島の沖合にアメリカ海軍の艦艇が初めて姿を見せた。(41頁)そこから艦砲射撃を開始した。
硫黄島には湧き水はなく、雨水を貯めるしかなかった。しかも暑いし、滅多に雨が降らない。船で補給したいところだが、船は潜水艦によって沈められてしまう。
硫黄島にあった日本の戦闘機は、7月4日の空襲でほぼなくなってしまった。
栗林中将は、波打ち際での上陸阻止の作戦をやめて、持久戦を行うことにし、地下壕を掘ることにした。
硫黄島には、陸軍と海軍がおり、海軍は、上陸阻止にこだわったので、限られた資材の投入を分散することになった。
水や食べ物も、一般兵士と同じにしてもらい、指令はきめ細かく全員にわかりやすいように最前線まで伝えさせたようで、兵士の手帳には、同じものが記述されて残されている。
兵士たちのもとへもできるだけ足を運び、直接声をかけたり、たばこを吸わせたりして、士気高揚に努めた。
自分の方針に従わない将校は外し、自分の方針を有効に実施してくれる将校を回してもらうように、お願いしている。
11月26日、特別攻撃隊が元山飛行場に着陸した。ここで燃料を補給し、サイパン島のアメリカ軍飛行場攻撃に向かうという。(140頁)
1945年2月19日、アメリカ軍による上陸作戦が開始された。
3月16日、大本営に決別の電文を打電させた。(320頁)
3月26日に、栗林中将は戦死した。
この時点で完全に戦闘は終結したわけではないが、アメリカ軍による事実上の硫黄島占領は完結したということになる。
(東京大空襲は、3月10日なので、硫黄島の戦闘がまだ行われている段階で、すでに本土に対する爆撃は開始されていた。硫黄島で頑張っている間は、本土は安全というわけにはいかなかった。)
著者 柘植 久慶(つげ・ひさよし)
1942年、愛知県生まれ
1965年、慶應義塾大学法学部政治学科卒業
在学中、カタンガ傭兵隊の一員として、コンゴ動乱に参加
フランス外人部隊の格闘技教官として、アルジェリア戦争に参加
1970年代初頭より、ラオス王国政府軍格闘技教官となり、対ゲリラ戦を指揮
アメリカ軍特殊部隊に加わり、インドシナ、ラオス等で極秘作戦に参加
1986年より作家活動に入る
(2009年4月5日・記)