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僕の村の宝物
ダムに沈む徳山村 山村生活記
著者 大西暢夫
1998年2月7日発行
情報センター出版局
岐阜県の揖斐川上流、福井県に接する徳山村は隣村と合併して廃村に。多目的ダムとしては日本最大の徳山ダムのため水没した。昭和の終わりごろから住民は移転したが、水没するまでの長い期間、春から秋まで住民は旧宅に帰り、自給自足のような生活をしていた。
著者は写真家でドキュメンタリー映画監督。東京生まれだが徳山村からもそんなに遠くない山間部で育った。もう誰もいないだろうと思っていった寒村に人がいてびっくり。以来、東京から通い詰めて写真撮影およびドキュメンタリー映像の撮影を6年間にわたって行った。映画は「水になった村」として公開されたが、この本はそうした記録を文書で残したもの。映画も面白いが、映画にない味わい深い面白さがある本。
徳山村の人たちの特徴は、初対面の時の会話の面白さと、人が来た時にとにかくよく食べること。閉鎖的な地域かと思いきや、東京から来たと告げると「恐(おそ)がいとこから来たなあ。こんな山奥までよう来てくれた」と歓迎してくれる。そして、老女と著者の2人分だというのに五号飯を炊いて完食させたり、野球のボールみないに大きなぼた餅を作っていくつも食べさせたり、あるいは「ジゴク」と呼ぶ大量の美味しいうどんを満腹感で地獄のように苦しみつつ食べたり。
出てくる人々は、素朴で、味のある人々ばかりだった。
でも、本当は逆なのだろうと思う。都会で生きている我々に味がないのだ。我々は、毎日、楽しんでいるようでもいかに味気のない生活をしているのか。たぶん、そうに違いない。この本を読んで気がついた。
(徳山村の人々の名言メモ)
「はじめまして― 誰かお見えですか?」
「誰じゃ。今豆炊いとるで手が離せんのや。勝手に上がってこい!」
「だけどあんたは誰やったかなァ」
「あ〜あ、やつと豆が炊けた。兄ちゃん―!こんな山奥までよう来たなア。旅の者か」
「その兄さんは、誰じやったなァ」
「ええ兄ちゃんやぞ」
「そうか、ええ人か」
それで僕の紹介は終わってしまったのだ。しようがなく名刺を一枚さし出した。その名刺をなめるように見ている。
「ほー東京から、来たんやなァ。わざわざ、大根切りにすまんなァ」
大根切りに来たわけではないのだが、いつの間にか、そうなっている。
(泉みさをさんは知っているが夫の泉正盛さんとは初対面)
「大西さんてあんたのことやろ。昔から知っとったよ。ここへは来んなァと話しとったら、やつぱり来たなァ」と正盛さんが、起き上った。
(広瀬司さん自慢の山芋畑で)
「わしは山芋が好きやろ、いつでも食べておりたい。家のすぐ裏に畑さえ作っておけば、いつも山に行かんですむ。もう年とってまって、山に登るのがつらいでなァ。でも、まだまだ畑にある芋は、小さいもんばっかりじやァ。これからが楽しみでなァ。いつも夢みとる。この畑には、ええ肥料がいっぱいあるからなァ」
(徳山村の人たちを東京へ呼んだときの名言)
『あのマ���ションはまるでかいこ棚じゃなァ』
『人間も外人が多いけど、犬まで外人じゃなァ』
『あのお巡りさんが立っとるお堀のふきを採ってもええんか』
(まむしのS字焼き)
「一本は食うなよ。せいぜい五センチやな。昔から、男は五センチ、女は三センチって言われとった。それ以上食うと、食べたもんを全部戻してしまう。まむしは強い精力剤やでなァ」
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(コンクリートの建物は水没しても腐らないから壊さない)
自分が通っていた学校が、泥まみれの姿を想像すれば、いい気分ではないはずだ。残すということは、逆に残酷だと僕は感じた。