紙の本
やっぱり、詩はいい
2007/03/27 10:55
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:石曽根康一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
人生には苦境がつきものだ。
そんな時、人はしばしば本を求める。
そしてそこに書かれた文章に身を沈め、現実の壁を忘れる。
この本には、たくさんの詩が収められている。
どの詩もどこかいい。
どこがどういうふうにいいのかといわれると、
なかなかうまく説明できないのだが、
なかなかうまくいかない結婚生活だったり、
ふと目にした光景だったり、
そういうものが詩としてうまくまとまっている。
個人的には、追いつめられた気分のときは、短い文章の方が、読みたくなる。
まあ、もっと追いつめられたら、ベッドに入って寝るだけだが。
そういう意味で、詩はあまり気分がすぐれないときでも、読みやすいのである。短いからね。
そして、短いけれども、詩は、読者に様々なイマジネーションを与えてくれる。
散文的な、乾燥した感じではなくて、
もっと湿度の高いしっとりとした感じを与えてくれる。
やっぱり詩っていいなあと思ったのでした。
投稿元:
レビューを見る
カーヴァーの詩を読むのは初めてである。散文を読んでいるようで、とても気持ちがよかった。退廃的な文章ではなくて、カラッと明るい。たとえ僕が死んでも、と書きはじめてもそれは想像でしかない。ということもわかっている感じだ。
投稿元:
レビューを見る
中央公論社、村上春樹 翻訳ライブラリー のシリーズです。
「ウルトラマリン」は別刊となるそうです。
文の途中でふいに改行をしたりするのが、詩にリズムを作っている。
おもしろい。
原詩とおなじタイミングで改行させているのでしょうか?
からからに乾いたロマンティックと
ゆっくりと、しかし確かに近づいてくる
死と喪失のにおい。
眠る前に布団にもぐって
ぼうっとした頭ですこしづつ読み進めて
カーヴァーの夢に入っていくような気分で。
投稿元:
レビューを見る
たしか舞城王太郎の『煙か土か食い物』の
作中に出てきて興味がわいた。
英語能力も乏しく、翻訳についても
よく分かってない自分が言えることじゃないけど
改行の仕方に違和感を覚えた。
死の匂いがする作品が多い気がする。
江國香織さんも、「活発な暗闇」で翻訳している
「僕のヨット」(「My Boat」)が一番好き。
でも、翻訳の仕方も、江國さんの方が好きかな。
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
人生の混乱から脱し、作家としての名声を得、詩作に還った平穏な日々。
そこにはしかし、打ち消しがたい死の予感があった…。
喪失感、温かなユーモア、深い愛情、崩落の予兆―短篇小説の核を成す、詩人カーヴァーの心象風景を映し出し、その円熟期の到来を告げる詩集。
[ 目次 ]
ウールワース、一九五四
電波のこと
ムーヴメント
ホミニイと雨
道
怖い
ロマンティシズム
灰皿
今でもやはりナンバーワンを求めているんだ
水と水とが出会うところ〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
僕の不変の目標はぶらぶらして暮らすこと。そういう生活はご機嫌だろうな。
家の前に椅子を出して、日がなそこに座り、
帽子をかぶり、コーラを飲み、なんにもせずに
ぼおっとしていられたらいいなあ、と思う。
それのどこがいけないんだ?
ときどき煙草なんかも吸って。
ぺっと唾を吐いて。ナイフで木を削っていろんなかたちにしたりして。
それが何か問題なのかね? 気が向くと犬たちを呼んで、
兎狩りに行こう。たまには、それも悪くない。
金髪で太った男の子(僕みたいな)を呼び止めて、こう
言うこともある。「おいお前、どこの子だったかな?」
「お前、大きくなったら、何になるつもりだ?」なんて、言わない。
『Shiftless』
投稿元:
レビューを見る
最初の詩が、随筆の様な、思想を短く小説っぽくちょっと書いてみた、といった定だったので、海外の詩というのは、あまり飾り気のないものなんだな、と錯覚した。読み進めていく程に深みの増す、漂う死臭。人生への観念。ある種の諦め。
欲しいものを手にしたはずなのに、空虚が覆い、過去に囚われるといった作風があまりにも多いことに驚いた。過去は確かにあったが、しかしそれはかつて読んだ小説に登場した人物の人生であって、自分ではないはずだ、という時間の経過について嘆く内容だかりだ。中には、もう一冊の本を読まなくても十分楽しい人生が送れるはずだとあったり、もしものことが起こってももう十分だ、とあったりする。
詩だからこそ、小説とは違い、短い、抽象的な言葉を、何度も読み返し、意味や言葉の並びやリズムを、自身にどう共振するのかを吟味する。普段詩集は読まないが、詩の味わい方というのは、こういうものだと思う。それにしても、有名な詩というのは、どれも悲観的なものが多い気がする。
著者の詩はもう一冊、刊行されているらしい。そちらも、いずれ読むだろう。