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いつもの舞城作品と同じく、うねりにうねるドライブ感で600ページも一気に過ぎていく。
この作品では小説内における登場人物の「自分」とは何かについて書かれているように思う。
各章ごとにおいて主人公もその他の登場人物も違った役割を演じているし、それぞれの章が入れ子のようになっていて、彼らは死んではまた別の「自分」として生き返る。
また、九十九十九そのものがほかの作家のキャラで、いわばこれは二次創作とも言える。
そのような二次創作的な世界の中において、キャラクターはどのような役割を果たすのか、どのようにして境界線を越えて広がる小説内を生きるのか、そのことについて追及されているのではと思ったりもした。
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清涼院っぽさがもともとけっこう苦手にも関わらず
舞城だからv とミーハー心で読んでみたのですが、
ところどころに清涼院っぽさが見え隠れして
くじけそうになりながら読みました。
永遠に続くループなんじゃないかと五話六話あたりを
読みながら恐ろしくなったのですが…
…あれはきれいに終わった、のでしょうか。
正直よく分からなかったです。
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小説の中に小説が入り込む。意味がわからないのではない。"小説"における常識的な事が徹底的に覆されている。
自分が出会った事の無い小説。
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ヴィレバンの舞城特集で、「舞城の基本作!」みたいな紹介のされ方をされていたので読みました。読んで見て納得というか、これからの舞城氏の可能性の原点を総て詰め込んだ小説だなあと思いました。
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聖書とか清涼院流水とか元ネタがよくわからないまま読みだしたので、入れ子構造で怒涛のように紡ぎだされる物語が飲み込めず、読んでいるうちに繰り返されるスプラッタと不条理にやられて苦痛でしかなくなった・・・ので、3分の2でギブアップ。
舞城王太郎の作品は好きな作品もあるんだけど(煙か土か食い物とか!)、これはさらに読む人を選ぶ作品。自分にはついていけなかった
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清涼院流水の小説を読んだことが無いし
聖書の見立てもだから何という感じだし
一話一話終わる度に前の話のメタ的立ち位置にいていまいち入り込めないし
そこにタイムスリップした九十九十九やパラレルワールドの九十九十九が現れてややこしくなってくるしで
合わなかった
けど
第六話の展開でまとまりみたいなものが見えて
そこで少し盛り上がれた
他の舞城作品と比べると大人しめの文体で
物足らなさがあった
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舞城王太郎大好きなんだけどこれは難しい難しい清涼院流水知らないし聖書も読んだことない!と思いながらも最後まで読まされてしまいました。
舞城王太郎天才。舞城王太郎の小説には愛が溢れてる。
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『苦しみがあるのなら、その愛情は諦めて、別の相手を探した方がいい。世界には他にも自分の愛情を注ぎたくなる人間がたくさんいる。』
『知識には必ず限界がある。それはちゃんと知っておかないとね。自分が何でも知ってると思ったら、それこそ無知の表れ。』
『誰かと争ってるからいろんなものが見えなくなるんだよ。意味もなく争うのは控えなさい。争うのは、その争いが誰かを育てるときだけ』
『言いたい言葉を捜して選んで直して整えているのだ。』
『頭がいいのとは違う。僕は知ってることと知らないことをちゃんと分けてるだけ。他の人の中には、知らないことも知ってるつもりになる人がいて、そういうに人が間違えたり勘違いしたりする』
『どうしようもないことをどうにかしたいと思いすぎているのだ。』
『解消された問題を、さらに解決しなきゃいけないことだってあるんだよ』
『判んなかったら考えて欲しいの、私』
『判んなかったら教えて欲しいよ僕は』
『いろいろありがとう。お前が僕のためにやってくれたこと、たぶん僕は判ってる。全部判ってるかどうかは判んないけど、いろいろ判ってる。判んないところはこれから考えるよ』
『愛してるよツトム。何があろうと。どんなことが起ころうと。あなたがどんなふうであっても。どんなことをしても』
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読み終えるまでにかなり苦痛を伴う作品だった。
舞城氏らしい、エロ、グロはまだ分かるけど、ストーリが複雑すぎて、読むのに疲れた。説明も多いし、話も飛ぶし、九十九十九の設定自体は魅力的なのだけど、「見立て」とか「3人の九十九十九」とかはもっとシンプルなプロットにできなかったのだろうかね...
疲れた。
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前話が次の話の中で作中作として消化されていく入れ子構造をとったとんでもなくメタメタな作品。
一見すると意味の見えない行動、現象もその後の話の中で見立てとして回収され、意味のないものを全て消し去る勢いであらゆるものに意味付けがなされていく。
作品内で自分が登場する小説を読まされる九十九十九は読者の視点を共有しながらも自身が虚構内の存在にすぎないためどっちつかずの宙ぶらりんな状態に放っておかれる。
その不安定さをだんだんと九十九十九自身自覚していき、最終的にはその不安定な状態を積極的に肯定する形で作品は終わる。
東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』で取り上げられていた通りの解釈だけに留まる作品とは思えないが、繰り返される物語と増殖するプレイヤー=九十九十九の部分は確かに一部分言い当てているように思える。
最後の一文「その一瞬の永遠の中で、僕というアキレスは先を行く亀に追いつけない」がたまらなくかっこいい。
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時系列めちゃくちゃだけど、一応どっかとどっかはつながってて整合性は保たれてる。
嘘と気づけないならばそれは真実。
ラストのゼノンのパラドックスの引用は渋い。
まぁとにかく舞城氏は「書き出し」と「結び」がうますぎるので、どれだけ中身がぐちゃぐちゃしてても読めてしまうのが魅力かと。
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こりゃもうほんとに衝撃だった。
初の舞城王太郎体験。
息苦しいほどに句読点もなく詰め込まれた文章、
だけど謎のスピード感にどんどん読んでしまう。
「読めてしまう」んでなく、「読んでしまう」。
グロくてクレイジーで限りなく悲しくて意味不明で。
元ネタを全く知らないけど、
メタ的に進むストーリィに引きこまれた。
何度巡っても、世界の形は残酷で、悲しみが広がる。
九十九十九がどんな存在だったとしても、
直視すれば気絶するほどの美形だろうが、
三ツ頭の恐ろしい存在だろうが変わらない。
物凄く力のある現代ポップアート(しかも露悪的なやつ)を見た感じ。
本当に衝撃のひとことに尽きる。
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本家のJDCシリーズが好きで手を出してみたものの、ジョーカーを超えるメタメタな感じに頭がついていけなくなりました。
これを理解出来る人は頭がおかしい。(良い意味で……?)
最終的に全部受け入れるしかなくなっちゃいました。舞城作品って基本的にそんな感じだと思うんですけど、これは群を抜いてそうだと思います。
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―――「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」。
聖書/『創世記』/『ヨハネの黙示録』の見立て連続殺人を主旋律に
神/「清涼院流水」の喇叭が吹き荒れる舞台で踊りつづける
超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅が圧倒的文圧で語られる。
舞城王太郎二作目若干表紙に惹かれたとこもあるけど
ちなみに読み方は「つくもじゅうく」
もうね、ハンパじゃない
現実と小説と嘘と真実とメタが
何層も何層も折り重なって
読んでるうちに、脳みそを直接揺さぶられてる感覚をあじわえた
でも エログロ含め、あらゆる意味で
露骨な表現が多用されてるから
そういうのに免疫というか耐性のない人にはオススメできない
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これはまた、あまりに難解で、何回読んでも(駄洒落じゃないよ)話の階層が把握できない、舞城ワールド全開の一冊でした。メタメタメタメタメタ構造、みたいな。第1話・第2話・第3話・第5話・第4話・第7話・第6話という目次の並びから、くらくらと眩暈。
基本的には、各章が小説という形で次章の主人公=九十九十九に送られるっていうメタのマトリョーシカ的な構造になってるんだけど、章をまたいだタイムリープがあったり「創世記」と「ヨハネの黙示録」の見立てがメタ世界を繋いだり…と、まあとにかくなにがなにやら。
でもカオス具合と世界観のでかさでは、『ディスコ探偵水曜日』が一枚上手かなあ。