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とにかく重い一冊。
著者の医者としての使命感の強さに尊敬の念を覚えました。
日本の医師不足はホントにどうすればいいんだろうか・・・
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脳外科のお医者様が、自分の専門としている脳腫瘍になってしまってから、お亡くなりになるまでの記録。厳しい闘病をしながら、医者としての出世の道を少しずつ諦めていかれる様子は、読んでいて辛くなってしまった。お医者様としての専門的な病気の記録、そして1人の人間としての感情の記録、どちらもとてもわかりやすく書かれています。
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タイトル通り、筆者は、医者側から患者側に立場が変わるわけですが、医者であるが故に、素直に治療を受けるに至れない複雑な心理状況や、お医者は患者のことを分かっているつもりで分かっていなかった、という発見も語られています。
それは、医療がより良いものに改善されるようにとのメッセージが込められているのがよく分かります。
’生と死’の狭間にいる人も言葉は、胸に強く響きます。
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http://www.my-cancer.net/cafe/book/bs_013.html
副題にもあるように大学病院の助教授(現在の准教授)がグリオーマ(悪性度の高い脳腫瘍)と闘い51歳で亡くなるまでの記録だ。平成9年1月に吐き気を伴う頭痛に襲われた岩田医師は、翌月に伊豆の関連病院に医療機器チェックのため訪れた際、納入されたばかりのMRIで自分の頭を撮ってもらう。半ば冗談のつもりだったが、右の側頭葉前半にはゴルフボール大の脳腫瘍が映っていた。それでも岩田医師は同僚に自身の病気が知れるのを恐れ、医学部時代の友人から「出世とか仕事とか、大学人としての生き方は忘れて即座に手術を受けろ」と忠告される。ちょうど岩田医師の上司である教授は5年後に退任が決まっていて、岩田医師も後任候補と目されていた。友人は「要するに、おまえは敗れたんだ」とも言う。残酷だが、大学時代の友人だからこそ言えた言葉だろう。
こんにちは。店員の山田です。当店では、これまでにもがんを患った医師の闘病記を幾つか紹介してきました。今回紹介する「医者が末期がん患者になってわかったこと」はその中でも極めつけといえるものでしょう。なにしろ、脳腫瘍を手術する医師が、脳腫瘍、それも、非常に悪性な腫瘍になってしまったのです。
この本は実にタイトル通りで、著者の岩田さんががん患者になって分かったことがいくつも紹介されています。患者の家族の苦しみ、様々な検査が患者にとってどれほど不安や緊張を伴うものか、手術後、体に繋がれた管がどれほど苦痛であることか。
読んでいてうなずくことも多いのですが、想像を絶する部分もあり、岩田さんはよく耐えたものだと思います。なぜこれほど耐えられたのか、なぜ耐えなければならなかったのか、ちょっと考えてみたのですが、全ては岩田さんが最後まで医師で在り続けようとしたからではないかと思います。
岩田さんは自分のことを弱い人間だと言っています。それなのに苦しい治療に耐え続けます。岩田さんは医師として本格的に復帰することはありませんでしたが、病気に向き合うその姿勢は、まさに医師そのものです。これほどまでに医師であろうとしたから、余計に苦しんだという気がする反面。医師であろうとしたからこそ、これだけ強くなることができたのだろうとも思います。
それに引き換え、と自分を卑下するわけではないですが、僕はがんになって、仕事をしなくていいのでラッキーと思ったことはあっても、仕事ができないことを思い悩んだことなど一度もありません。健康なときでも、1日寝ていたいのが望みの怠け者なのです。だから気楽で、余計なプレッシャーなど皆無でした。
しかし、その一方で、死の恐怖に苛まれた時、まさに徒手空拳。怖い時はただ怖がる以外にありませんでした。岩田さんのように、仕事への強い思いがあれば、それを武器に死の恐怖と戦うことができたかもしれません。
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脳腫瘍専門の脳外科医自身が50歳くらいの時に膠芽腫になってしまったという実話です。本人の日記をもとにして「脳腫瘍になった脳腫瘍専門医」という極めて稀な、貴重な立場から使命感を持って書かれています。発症から1回目の手術、再発して3ヶ月後に2回目の手術、そしてまた3ヶ月後に3回目の手術を受ける(日記を書ける状態であった時)まで書かれています。