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計算不可能な出来事にこそ感動する僕たちは、隅々までシステム化された未来社会で如何に存在としての生の充実を獲得しえるのか……みたいなお話。理系の知識が無い自分には少し想像しにくい世界に感じたのでその点が微妙。
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「計算不可能性」ということの意味を知ってみたくて購入してみた。ITアーキテクトとして育ちたいと思っているわけではないけれど、予測不可能な将来のビジネス環境をどこまでシステム設計で考慮するか?について何か考えようがあるのかもしれないと思ったので、これから楽しんでみたい。
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ITが進歩した現在、社会システムの設計者としてITアークテクトが大きな責務を負っており、将来的には、計算不可能な領域まで手を伸ばし、現実と見間違えるような世界を作り上げることになる。
この、一握りの優秀なITアークテクトが社会システムを構築することの是非、ITアーキテクトに求められること、さらにITアーキテクトの卵への教育についての対談集。
二人の議論には、人文科学系の豊富な前提知識があるため、理解しにくいところもあったが、SFと現実を行ったり来たりするような感覚で読めて面白かった。
2020年のITがどうなっているのか楽しみだ。
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社会における計算能力を扱った対談本。
この本での議論は、もはや社会にとって計算機による計算能力やそれによる計算可能性内での意志決定は常態化しているが、その社会的重要性を踏まえられていない情報技術者・研究者(アーキテクト)たちと、そこへリーチできていない社会学という今の日本社会の現実を踏まえて、計算不可能性をキーワードによりよいではないな、もう少しましな社会とそれを支える計算能力への道筋をつけようと努力している。
対談の中で明確な結論と道筋が出ているとは思わないが、その中から拾い出すべきものは多いと考えるし、アーキテクトの末席を汚しているかもしれないぐらいの自分のとっても考えさせられることが多い対談だと思う。
システム設計をする人間には必読。
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宮台先生が、最近の本で繰り返し主張する概念が、ITアーキテクトの現場での具体例を参照して議論されているので、宮台本が今までよくわらないまま終わってしまった人にでも、理解しやすいと思います。
内容は
0、宮台先生と神成さんの対談を通して、
?コンピュータは人間のどういった部分を補う存在であるべきか。
?コンピュータと人間の共生、人間が追求する人間らしさって何?
?理論上のコンピューティング、社会学は、社会を構築しうる存在なのか?
?社会の仕組みを作る人材を育成するために必要なこと
?タイトル通り 計算不可能性を設計するとは。
宮台先生の本は、自分が普段言葉にはできないけど、なんとなく気がついていることを明文化してくれて、いい!
なので、コンピュータと人間学や、あるべき社会システム論とかに興味がない人でも、日々もやもやしている思いを晴らしたい!って気持ちがあるなら是非読んでみるべきだと思います。
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能力の高い2人が話すだけで、こんなに面白いのか。
神成さんに関しては、寡聞ながらこの書籍で初めて知ったが、この人の頭のよさには脱帽した。宮台さんもアーキテクチャに関しては専門分野ではないにもかかわらず、社会学的な視座からまともな話を展開していて、頭いいぜこいつ、という印象。
1.5次現実のくだりには啓蒙された。1次現実をよりよくするため(そして2次現実へのコミットを防ぐため)の、アーキテクチャを存在させるというコンセプトは頭の隅で考え続けよう。
「便利をもとめても、現在の延長線上でしかない」という旨の発言は、常々思っていたことなので、深く同意した。
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恐ろしく抽象度の高い議論。あまりこういった議論に慣れて無い人は、火傷するので気をつけたほうがいいかもw
しかし、その抽象度の高さゆえに議論の中身に一切古さを感じさせない。十分に今でも楽しめる内容になってます。
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社会学者と天才アーキテクトの大学教授の対談で内容はかなり抽象度高く難解だ。
よくこんな抽象的かつ難解な言葉で対談が成り立つのが不思議である。
スマートでクレバーの2人だが、アーキテクトは現場に根差せと言っていて本質は地に足がついている。
地に足がついていても、恐らく視点が物凄く高いのだろう。
計算不可能性とは不完全性定理などではない。具体的な例えでは、AMAZONでのサービス提供は計算可能で本屋は計算不可能らしい。
言いたいことはわかった気がするが一言では言えない。
このままだと計算可能な社会になってしまうので、そうではない社会にするために計算不可能性を設計するアーキテクトを育成しなければいけないと言っている。
建築家は狭義のアーキテクトで広義のアーキテクトにはITアーキテクトが含まれるというのが社会学者の見方のようだ。
そしてどちらも社会的な視座がなければいけない。
後2,3回読み返さないと正しく理解できないかもしれない。
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[ 内容 ]
現代に生きる我々の生活はITのおかげで随分と便利になった。
それはもう、人間が考えることを必要としないほどまでに進歩しようとしている。
そしてついには、人間の最後の砦でもあり人間の人間たる存在の証しともいえる予測不可能で計算不可能な心の動きや感動までも、気づかぬまま制御されつつある。
我々は完璧なまでに設計されたそんな「心地よい」生活や社会の中に安心して身を委ねていいのだろうか。
生活や社会を設計しているITアーキテクトの資質に左右される時代が、確実に近づきつつある。
であるからこそ、設計者に求められる資質が問われる。
であるからこそ、設計者が寄り添う理念がいかなるものかが問われる。
設計者の資質とは、役割とは、限界とは!?
先鋭の社会学者と気鋭のITアーキテクトのコラボレーションによって初めて可能になった大胆な問題提起と提案。
日本のITは確実に新段階に入った!
[ 目次 ]
コンピュテーションにおける人間の必要性(社会に役立たないITは評価ゼロ;現実社会の現場発で将来を設計する;コンピュテーションにとって人間が必要とされる意味;アーキテクトの選択肢と寄り添うベースをどこに置くか;コンピュテーションはいまどの位置にあるか ほか)
コンピュテーションによる社会システムの再構築(社会システムのコンピュテーション化は二〇二〇年前後;近代社会の正統性を危機に陥れるコンピュテーションの進化;「人間」と「人間でないもの」の線引きが問題になる時代;コンピュテーション上に「知」を実現するということ;人間という「種」は常に変化する多様性や可能性を持つ ほか)
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]