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イスラム原理主義者の「自爆テロ」が「カミカゼ」と呼ばれているのか——それを知らされ、ズキリときた。自爆テロに一種の華やかさや昂揚感を付与する、その言葉の国の民として何をどうあがなえるものなのか。
2007/05/03 22:53
11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
この小説は「かなり踏み込んだ内容」で、イスラム原理主義の過激派グループによる聖戦(ジハード)がどういうものなのか、その本質がよく描かれている。
米国がふりかざす「正義の制裁」は、グローバル化の流れのなかで国家権力が及ぶ領域を巨大化する大国の自己表現である。これに対するテロリズムは少数の集団、突き詰めていけば個人的な信仰による「肉体を張った戦い」なのである。したがって「帝国主義VSテロ」という図式で情況が語られることには不自然さがある。そう書くと、いかにも大きなものと大きなものが戦っているような印象を与えてしまうが、その内実は大きなものに対する小さなものの抵抗だ。具体的に言うなら、組織化された最新鋭の武器を持つ軍隊に対する、堅い信仰に突き動かされた一個人の信仰の表現ということになる。
信仰の表現の一番聖なるものとしての「自爆テロ」が「カミカゼ」と呼ばれているとは、私たちにとって何と酷い事実であろう。武器を持って相手に体当たりするのだから、それが「カミカゼ」と称されるのは考えてみれば当然のことだ。しかし、古代から数え切れないぐらい多くの自爆があり、その犠牲者が歴史の部分部分を形成してきたなかで、よりによって使われてしまう「カミカゼ」という言葉のインパクト——そこに、カミカゼの国の民である私は、非常に苦いものを感じる。それは恥ずかしさであり申し訳なさであり、また怒りでもある。何をどうしたらよいのか分からない忸怩たる思いも重なる。このように使われる言葉、概念を生み出したという理由で、いつか国家元首が「彼ら」に謝らなければならない日が来てもおかしくない。
テロに踏み込んだこの小説は、1つのテロのエピソードをプロローグに置き、本文に入ったところでまた1つのテロで口火を切る。物語の展開だけを取れば、ハリウッド映画のジェットコースター式娯楽作品に似ている。息つぐ隙を与えず、次から次への動きや進展があるのだ。しかし、テロの本質を露わにしようという創作意図の下に書かれた作品は「娯楽」ではない、無論。
このテロは「米帝国主義」への聖戦という形はとっていない。イスラエルのユダヤ人に対する、イスラエル国家建国前の元々の住民であったアラブ人によるテロという形になっている。ただ、現場は「ハンバーガーショップ」という極めて米国的な場所である。
本のカバーに紹介された程度の筋を追って紹介するなら、テロの首謀者は、イスラエルのセレブリティの妻だったのである。成功した外科医である夫には、その事実が全く理解できない。夫婦生活は幸福で安定したものであり、西洋風の生活スタイルを好む妻がイスラム原理主義者であったとは信じられない。物語は、真相を突き止めようとする夫の葛藤を道連れにミステリ仕立てで進む。
この夫が誇り高きアラブの民族「ベドウィン」であることが、大きなポイントとなっている。アラブという出自が外科医としてのキャリアを積むことに障害となってきた彼が、イスラエルに帰化した者として、アラブとユダヤのバランスを取りながら生きてきたこと、そして、彼の妻が、そのはざまでどうバランスを取りながら生きてきたかということが小説の核となっている。
この設定と展開の見事さ、テーマへの肉迫具合に引き摺られて読み進めた。そのため、文学性、芸術性、それは主に詩情という面での魅力にいまひとつという気もしていたのだが、その物足りなかった詩情はエピローグで一気にあふれ出た。プロローグと呼応する結びの内容に、ジハードを受け継ぐ民族の「血統」を認めたとき、これは傑作の評判に違わない小説だと納得した。
紙の本
日常の風景であることの悲しさ。
2007/12/15 09:25
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:四月の旅人 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「レストランを爆発させた犯人はきみの奥さんだとしか思えないんだよ」。
なぜ?
妻とふたり、ユダヤ人もうらやむ幸福な家庭をつくり上げたと
信じて疑わなかったアラブ系イスラエル人のエリート医師が、
その答えを探すところから物語は動き始める。
60年以上も前に、一瞬にしてすべてを奪われる恐怖から解放された日本人には、
アルジャジーラが日々伝えるパレスチナ+イスラエルの映像は
あまりに遠い出来事と映るだろう。
そして、ややあって、その悲惨な景色の周囲にも
私たちと同じように日々の暮らしに喜びや悲しみを育む
人びとの生活があることに思いいたる。
主人公の大叔父が、アラビアのロレンスについて語った言葉。
「あの蒼白い顔をした悪魔は霧の晴れぬ国から来て、
オスマン帝国に対してベドウィンを蜂起させ、
イスラム教徒のあいだに反目の種を植えつけた」。
そう、これは2000年にわたる宗教対立などではなく、第1次大戦のときの
英国のいわゆる“三枚舌外交”に端を発していたことを思い出す。
欧米が勝手につくり、変更を認めない20世紀以降の世界──。
アフリカ大陸に引かれたほぼ直線の国境線を思い浮かべれば十分だろう。
日本政府が国際社会というとき、いったいどの国を想定しているだろうか・・・。
そこには、そのまま私自身の認識も投影されているのだろう。
だからこそ、
書物や映像を通して可能な限り多くの国の文化にふれたいと考えている。
たとえば、ドキュメンタリー映画「プロミス」はうかつにして怠惰な私に、
イスラエルとパレスチナの7人の子どもたちの声を通して、
憎しみの連鎖の中に生まれつつある希望を伝えてくれる。
同じ頃、書店に並んでいた作品のリスト──。
北朝鮮の精鋭部隊が福岡ドームを占拠する村上龍著『半島を出よ』、
東京と地球の未来をかけて闘う反政府ゲリラを描いた池上永一著『シャングリ・ラ』、
お台場を徹底的に破壊して爽快な(?)福井晴敏著『Op.ローズダスト』、
日系二世の米兵が原爆投下阻止のために太平洋を渡る建倉圭介著『デッドライン』、
日本人作家によるこれらの作品はいずれもスリリングな展開で、
最後まで一気に読ませてくれる。
それでも、それは小説の世界だ(当たり前か・・・)。
『テロル』の舞台となった国でも、特異な舞台設定がなければ
こうした物語が成立しなくなる日が来ることを願ってやまない。
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主人公は堅実な努力によって地位もお金も手に入れたアラブ人医師。
突然舞い込んだ信じられない知らせ。自爆テロの実行犯として妻が死亡したという。
何が正しくて、何が正しくないのか。わからなくなる。テロリストとは西洋側が押し付けた呼称だろ。
これがパレスチナとイスラエル自治区の現実。
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結局現実と同じように結果は出ない。。御伽噺にはなりようが無いのだ。イスラエル建国60年映画ナクバもすばらしかった。平和ボケ日本人の感想です。
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[ 内容 ]
イスラエルの都市テルアビブに瀟洒な家をかまえるアラブ系の医師アーミンは、最愛の妻シヘムとともに幸福な生活をおくっていた。
だが、あの自爆テロがすべてを変えた。
19名の犠牲者。
その中にシヘムがいたのだ。
呆然とするアーミンに刑事は衝撃的な言葉を吐く。
「テロの首謀者はあなたの妻だ」妻は妊婦をよそおって爆弾を腹に抱え、自爆したという。
なぜ彼女がそんなことを…。
アーミンは真相を探るため、妻のルーツを探り、やがて想像を絶する真実に辿りつく。
イスラムの夫婦の見えざる亀裂を描き出す、哀しみに満ちた愛の世界。
テロが横行する極限下、イスラム社会の至高の愛と究極の絶望を描いた傑作。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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フィクションでありながら、現実のパレスチナとイスラエルの姿がそこにはあるような気がする作品。
著者のヤスミナ・カドラは、元アルジェリア軍人で現在はフランス在住。
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自爆テロはなぜ止まないのか?
自らの命をなげうってまで、果たすべき目的などあるのだろうか。彼らはなぜ、生きて享受できる幸福や歓びよりも、テロという、しかも自爆という名の自死と殺人の途を選ぶのだろう。
それらは私にとっての解けない謎である。多くの日本人、欧米人、もちろん米大統領にとっても理解できない謎である。
先日BS・NHK週刊ブックレビューで紹介されていたこの本を手に取ったのはその謎を解きたかったからだ。
「なぜ妻は自爆したのか?」と帯には副題が記されている。
主人公はイスラエルで成功した外科医。だが彼はユダヤ人ではなく、敬虔ではないがイスラム教徒であり、砂漠の民ベドウィン族の出身。
名誉も富も手にし順風に思える日常の中で主人公が唐突に直面した、「妻が自爆テロ犯」という衝撃。そして、「あの家内がなぜ」との問いを追求し、どんどん危険なゾーンへと主人公は入り込んでいってしまう。
なぜなんだという思いに衝き動かされ、成功してゆく過程で脱ぎ捨て、捨て置いてきた信仰や貧しい暮らし、部族社会を、あたかも時の流れを遡るかのように辿っていく。
亡命アルジェリア人である著者:ヤスミナ・カドラの表現もストーリーも見事である。読む者は、主人公と一緒に死の恐怖を味わい、目を背けたくなる現実を追体験させられる。
そして、最後には・・・
この本に心を揺り動かされた者の務めとして、詳細をここで語ることはできない。
ただ、同じ疑問を抱く多くの人はこの本を読むべきである。
「答え」は読むことの中にある、かもしれない。
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愛する妻が、ある日なんの前触れもなく、子供達の誕生会で賑わうハンバーガーショップで自爆テロをおこし、
何人もの人を道連れにして、自分の前から突然に消える。
なぜ?どうして??
誰よりもやさしく敬虔だった妻が、なぜ自分に何も言わずに、このような行動をおこしたのか。
イスラエルの首都テリアビブで、エリート外科医である夫とその妻。
アラブ系遊牧民からイスラエルに帰化した夫と、アラブ出身で幼い頃に両親を亡くし、辛い過去をもつ妻。
努力の末に手に入れた地位と富で幸せに暮らす夫婦の、見えざる亀裂。
夫は、妻の起こしたテロ行動、その理由を知りたい一心で、妻の痕跡を追うように過去を辿る。
結果的には、自分自身のルーツや今まで目を瞑ってきた、現実に直面する。
ダンナは、どちらかというとあまちゃんで、いつまでも駄々っ子のように、なんでなんでと言い続ける。
まわりの心配も耳に入らない。
単一民族の島国で、安穏と暮らす日々を送る自分には、中東の複雑な民族の歴史は理解し難い。
でも、いま現在でも戦争は起きていて、多くの人の血を流されている。
たなぞう「たまたろう」さんの紹介作品。
心を抉る内容ながら、思いがけない詩的な表現と現実を表す小説部分。
なんともいえないバランスに、知らず知らずにのめりこんでしまいました。
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アラブ系イスラエル人のアミーンは医師として富と名声を勝ち取り、最愛の妻シヘムと
幸せな生活を送っていた。
勤務先の病院の近くで自爆テロが起き、怪我人の処置やアラブ系に対する差別的な検問を
何度も受けてくたくたになって帰宅したアミーンは、また病院へと呼び戻され、妻の遺体を
確認するよう告げられた後、テロの実行犯がその妻であったと聞かされる。
ムスリムとは言え毎日の礼拝も行わない妻が、何不自由ない生活を与えてきた妻が
まさかイスラム原理主義者だとは毛の先ほども信じられないアミーンは、真実を見つけるため
エルサレムへ向かう。
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ヤスミナ・カドラを読むのは、カブールの燕達に続き2冊目。
テロルの方が、ずいぶんと読みやすい。
繊細だが硬質な文章が、崩壊していくアミーンの世界を美しく、時には醜悪に書き表している。
信仰や宗教、民族間の紛争などの社会的な思想断絶と、睦まじいと信じて疑わなかった妻の
内面を理解していなかったという個人的な断絶を、同じように扱うことで、大きな問題を
身近に引き寄せてくれる。
そして、社会的な問題の切り口もあくまで個人的な視点で描き、アミーンの一人称でストーリーが
勧められていくにも関わらず、対立する二者の信条を平等に書き表す著者の視点も感じとれる。
フィクションではあるが、非常に生々しく、それでいて緻密に作り上げられたストーリー。
翻訳も素晴らしく、とても読みやすい。
ヤスミナ・カドラの他の作品をもっと日本に紹介してもらいたい。
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「仲むつまじく暮らしていた妻が自爆テロの犯人だった」。
この設定からかなり心を掴まれるが、読み出すとさらに面白く、
一気に引き込まれてしまった。
しかもフィクションでありながら、
どうしようもない現実も突きつけられる。
また、硬派な話だが訳がとても読みやすいのも良い。
訳者の藤本優子さんが「良い本は面白いと思わせると同時に、世界の見方すら変える」といった
ことを書かれているが、まさにそう。
価値観に揺さぶりをかけてくるものすごい本。
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故郷パレスチナ自治区に帰り、自爆して死んだ妻と自分のルーツをたどっていくアミーンの苦悩が印象的だった。しかし、イスラエルの国土テルアビブとほんの少し距離を隔てただけなのに、パレスチナの荒涼とした光景はすごい。イスラエル対パレスチナの憎悪の応酬もすさまじい。こちらの本が書かれたのが2002年だから、第二次インティファーダの直後といった感じなんだろうか。
思想と人生は不可分なのだというカドラのマニュフェストのようなものをひしひし感じた。人間の本質的な孤独、というのも胸に迫ってきて、読み終わったあとしばらく放心した。泣いた。
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田舎に帰省してたはずの結婚相手が、全然関係ない場所で事故にあって死んでしまってたら…残された方の驚きはそれだけでも相当なものだが、この作品ではさらに、彼女が自爆テロの実行犯だったら?というダメ押しがつく。
自暴自棄になりながらも主人公は、彼女が生前に発していたなんらかのサインを探し求め、残された手がかりに片っ端から挑みまくる。その姿が実に痛々しいのだが、なぜか他人事とは切って捨てられないような臨場感というか真実味がある。
中東紛争もの、イスラムものとして遠ざけたり身構えたりせずに、日本の我々にも起こりうる夫婦間の物語として受け止めてみたい。著者や訳者の狙いからは外れるもしれないけれど。
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重い話だった。
実は自分の妻がテロ行為をしてしまったことより、不貞を働いたかもしれないことが気になっていた?
「夢を見すぎる人は、生きている者のことを忘れてしまう」
「今までの人生で、愛と新鮮な水とわずかばかりのものと希望さえあれば生きていけるとわかっているが、恥辱を受けた場合は決して無傷でいられない」
「自尊心を踏みつけにされると、それがきっかけとなってとんでもない惨事が引き起こされる。尊厳をもてるだけけの力の裏付けがなく、自分は無力だと自覚させられたときはなおさらだ。憎しみを知る手雨の最高の学び舎はまさにここだ」
何がヘシムを駆り立てたのか。民族が受けてしまった恥辱とは関係のない世界に自分がいることに気づいてしまったからか。
一度受けた恥辱はもうぬぐうことができないのか。
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シンプルな本だった。底が浅いとか単純とかではなく、一貫して無駄がないという意味で。
外科医の主人公は順風満帆な人生を送っている。美しく優しい妻に安定した地位、やりがいのある仕事… だけれど幸せなはずのその妻が体にダイナマイトを巻き付け、子供や家族連れでごった返すハンバーガーショップで自爆する。
何かの間違いだ、と主人公は思う。何不自由ない生活を送っていた妻が、そんなことをする理由がない。だからイスラム過激派の聖地に踏み込んで真相を知ろうとする。
結果的には「理由」は存在した。自爆テロをする「理由」は、たぶん諸説あるんだろうけど、この本で書かれていたのは、憎みすぎて、虐げられすぎて、もう何かのために死ぬことにしか存在意義を見出せないという心理だった。
正直、この考えを提示された当初は実感が沸かないで、「へえ、そうなんだ、でも日本に住んでるしよくわからないなあ~」程度に思ってた。でも読んでるうちにちょっとその心理がわかってしまいそうになって怖かった。
なんでかっていうと、やっぱり宗教の価値観って、人を誘い込むのが上手いんだな。
イスラム過激派の人たちは、主人公たちの生活を「黄金の檻」と表現する。金銭に恵まれ、豪華な屋敷で安全に眠る、そんな生活は黄金で囲まれた、一見自由に思えるがそれに囚われて抜け出せない囚人の生活だと。
これ、ちょっと理解できちゃう。でもそれが怖い。だってこんなの、現在の価値観をひっくり返してしまう考え方だし、今までの生活がまやかしだった! ってなったら、それを教えてくれた人や集団が正しいと思って傾倒しちゃいそう。
それを糸口として、アラブ系の親族への愛着、それを簡単に蹂躙する軍や政府、そういったエピソードを重ねられて、圧倒的に大きなものに対する、反抗心や絶望、憎しみが、少しだけ理解できるようになる。
読み終わって、自爆テロの心理は少しだけ分かる。(分かるというのはおこがましいのかもしれないけど。)でもそれを正しいと思ったらやっぱりおかしい。主人公の妻はやっぱりバカだよ。尊厳ある死に方で死ぬ理由はあるかも知れないけど、それに他人を巻き込む理由はなかったんじゃないの。
だから自爆テロの「理由」は詭弁だ、と思う。けど、それは私が自分の現在の価値観を守りたいための自己弁護かも、とか同時に考える。それに、何もかも破壊してやりたいと思うほどの憎しみは、戦争をしない日本で生きてる自分にはわからないものだし…
はっきりとした線で区切られていたテロに対する理解と不理解が、読んでいる途中で混ざっちゃう。内容はシンプルで一途なのに影響力のある本だった。
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社会・宗教問題、戦闘・テロ・危ない・自分を犠牲に人の命を奪う・信じられない、イスラエルとパレスチナのイメージはそんなものである。ニュースで目にしたり、世界史で知識として学んだかぎり。もっと深く、違う角度から考えてみなければとこの本を読んで気づく。イスラームとしてユダヤとしてあるいはその狭間で生きる人々の声を、どちら側からも聞き取って物語にしたよう。