紙の本
あるべき医療を求めて。
2007/08/20 23:03
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:求羅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
心臓病では日本一とされる病院で手術を受けた12歳の少女が命を落とした。その死因は隠蔽され、カルテは改ざんされた。本書は、少女の死の背景に広がる医療界の闇に迫ったドキュメントである。
綿密な取材に裏打ちされた筆者の粘り強く冷静な筆致は、そのまま愛娘を亡くした両親の歩みと重なる。
自身も歯科医という医療従事者である少女の父親が、医師と患者両方の立場で揺れ動く様子は、胸に迫るものがある。勤務医の過酷な労働状況、教授を頂点とした大学病院の体質等、医療の不確実性も大学病院の限界も分かっているからこそ、単純に被害者の立場に甘んずることができない葛藤が綴られていく。
医師個人の責任に矮小化されてしまう刑事訴訟の限界や、患者と医師の対立の構図に挫けそうになりながらも、夫妻は被害者連絡会の設置、裁判外紛争解決(ADR)といった、医師と患者の歩み寄りによる対話の道に希望の光を見出していく。そこには、事故の犯人探しに終始するのでなく、あるべき医療の形を築いていこうとする前向きな姿勢がある。
本書を読んで感じたのは、「何があったのか、本当のことを知りたい」という被害者の方の切実な思いだ。真実を受け入れることなくして、被害者は前へ進むことができない。
そもそも、医師は故意に患者の命を奪う訳ではない。それでも医師とて万能ではない。問題は、ミスが起きた時、どのように対処するか。事実を隠さず伝え、事故の原因を明らかにし、再発防止に努める。そんな当たり前のことが求められているのだ。
本書は、現在の医療界の現状やさまざまな立場の当事者の心情を伝えた力作だが、少々不満も残る。「悲劇を繰り返さない」という強いメッセージは伝わってくるものの、本書は事故が起きた後の対処法・解決策にばかり目を向けているように感じられるのだ。
確かに、医療事故の原因には、システム面の問題があるだろう。だが、被害者たちの不満の根っこには、医師に対する不信感があるのを忘れてはいけない。患者やその家族は、医師や看護士たちの心ない言葉や横柄な態度で深く傷つけられている。彼らの傲慢さがミスを招いたとはいえないか。もっと患者と向き合って親身に接していたならば、ここまで被害者の怒りが噴出することはなかったのではないか。
医療は絶対ではないとの認識の上で、目の前の患者を救うという強い意識を持つことが、「悲劇を繰り返さない」ことに繋がるのだと思う。
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そのとき医者に対して強く出ることができない我々と、医者との良い接点はなにだろうか?そこには人と人との信じあつ心のつながりしかない。
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東京女子医大で行われた医療ミス。
真実が明らかにされにくい病院という現場で、実際に何が行われたのかを糾弾し、医療ミスを少しでも減らそうとする渾身のドキュメント。
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ドキュメンタリー。心臓病で日本一と呼ばれる東京女子医大病院で12歳の少女が死亡。死因の隠蔽、カルテの改竄、やがて二人の医師が逮捕される。裁判の過程で両親は勝訴すればそれでいいのか?という思いにとらわれるようになる。そして辿りついたのがADR(裁判外紛争解決)だった、という内容。医療過誤、医療裁判、ADRなど気になる時事が書かれている。
読みたい!忘れないように登録。
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2004年に出版された「東京女子医大病院事件」を読んで、最後がすっきりしなかったので、その後に出版された「明香ちゃんの心臓」も読んでみようと思いました。
医療従事者と医療事故被害者遺族という2つの立場の間に挟まれながらの懸命な平柳氏の活動や、病院にいる様々な医師の考え方の違いが、わかりやすく描かれていて読みやすかったです。
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明香ちゃんの心臓 東京女子医大病院事件
著者:鈴木敦秋(のぶあき)
発行:2010年9月15日
講談社文庫
*単行本は2007年4月(講談社)
2001年、東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所(心研)で、医療過誤により12歳の女子が死亡する事件が起きた。中学入学目前の3月、緊急に手術する必要はないが今のタイミングだろうということで、手術が行われた。病名は心房中隔欠損症。胎児の頃には誰でもある右心房と左心房の穴は、生まれて数日、遅くとも1歳までに閉じるが、それが残ってしまっていた。新鮮な血液が左心房から右心房に逆流してしまうことがある。明香ちゃんの場合それはなかったが、手術前の検査で、これとは別に肺動脈に狭窄があることも判明した。
手術そのものは、心臓外科医療の最高峰である心研ではそれほど難しくなく、むしろ「簡単」だと説明されていた。それなのに、手術直後から重体が続き、3日後には帰らぬ人となってしまった。
この本は、昨年、仕事で著者と関わる可能性が出て来たため、参考資料として渡されていたもの。読まないままだったが、午前中から読み始め、面白かったので夜には読み切ってしまった。著者は読売新聞の記者で、文章が端的で回りくどくなく、かつ、平易で読みやすい。350ページ以上あるが、全然疲れなかったし、飽きなかった。
☆ ☆ ☆
今回の手術では、人工心肺装置を使う必要があった。静脈から血液を抜き、血液に酸素を入れて動脈に戻す。と同時に、術野(手術するために開いている部分)に溢れる血液を、脱血カニューレというビニールの管を入れることで人工心肺装置に送る。こうして輸血をしない手術が実現できる。脱血は落差を利用し、装置を低い位置に置いて行うが、吸引装置を使う方法もある。今回は落差利用だったが、うまく行かなかったので、装置を操作していた医師が吸引で補助する方法に切り替えた。吸引する装置は壁についていてそこにつなげるが、血液が入り込むと故障するためフィルターをつけていた。そのフィルターが水滴で目詰まりして吸引力が弱く、パワーを上げたがそれでもだめ、結局、上半身に鬱血が出て脳障害を起こしたということらしい。
フィルターが目詰まりすることは、操作していた佐藤医師も、手術責任医師の瀬古医師も、助手の医師も、もちろん看護師も、だれも予想していなかった(というか知らなかった)。技士がセッテイングしたものだが、フィルターは毎回交換しなければならないところ、1週間に1度しかしていなかったことが分かっている。
結局、手術責任医師(瀬古医師)と装置担当医師(佐藤医師)が逮捕、起訴された。責任医師はそういうミスを隠そうとICU記録を改竄した罪、装置担当は過失致死。前者は有罪、後者は無罪となった。
明香ちゃんの父親は歯科医師で、岩手医大を出た後、歯科医師として開業する前に大学病院の口腔外科の医局に入った。手術も多く経験し、麻酔も行っていた。だから、大学病院の〝白い巨塔〟面も知っているし、トラブルが起きた場合の対処法も知っているため、娘の術後の医師たちの言動を見れば、なにか失敗をして誤魔化��ていることがすぐに分かった。
1950年代半ばに出来た、循環器医療のトップランナーである心研は、何事につけても高飛車で、病院の事務員も生意気、看護師や医師も叱りつけるような物言いをする。嫌なら来るなという態度だったようだ。結局、この事故も、神の手を持つと言われた今井康晴主任教授が絶対的な存在で誰もが服従し、今回の手術を担当した瀬尾医師もその一人であり、彼も失敗すれば今井教授に代わって責任を取らされることをよく分かっていたため、他の医師や看護師などを常に怒鳴りつけ、自分の思い通りにすすめていかざるを得なかった。そのあたりに根本的なこの病院の〝病巣〟があったようだ。
絶対君主の今井教授を医師たちは「今井神(しん)」と呼んだ。対等に口をきける医師は一人もおらず、反論しないことが暗黙の了解だった。
明香ちゃんの父親は、医師個人の責任で終わらせてはいけない、どうしてこうなったか病院全体の責任をはっきりさせなければいけないと訴え、立ち向かっていった。そんな中、定年退職で今井教授などが抜けた後に副院長となった東間副院長が、自ら委員長となって死亡原因調査委員会をつくった。どうせ隠蔽するような調査内容だろうと期待していなかったが、実際はそうではなかった。医大生のころ、自主的に水俣に通って水俣病に苦しむ人たちと接して正義感を持っていた人だった。明香ちゃんの父親は彼と力を合わせて改革へとつながるようにしようと希望を持った。
事件発覚前の心研の威張り腐った対応については、例えば、こんな感じだったようだ。
・入院の日、事務担当者による手続きが済むと、6階から担当の者が来るまでどこにも行かずここで待っていてくださいと言われた。看護師が来たのは2時間後、正午を回っていた。
「患者が多いからこんなに威張れるんだな」と父親。
・手術前日のムンテラ(病状などの説明)室。担当の瀬尾医師は相手を叱りつけるような口調、しかも耳を澄まさなければ聞き取れない小声。延々と続く説明のなか、「心臓の中には何が入っているか?」と突然詰問してきた。父親が戸惑いながら「私達への質問ですか?」と問い直した途端、怒鳴り声が返ってきた。「当たり前だ!私は全てのケースでこの質問をしている。だいいち、手術の前日に説明の時間を設定する父親など見たこともない。みんな手術の一週間前には話を聞きにやってくるものなんだ。私だってバイト先から帰ってきたばかりで疲れている。私に何か不満があるなら、あなたが自分で(手術を)すればいいでしょう!いい加減にしろ!」と持っていたボールペンをテーブル上に投げ出し、拾おうともしなかった。
・ICUで重体が続く中、見舞いに来てくれた父親の伯母に、父親は病室の整理を頼んだ。伯母は看護師に明香の荷物はどこに持っていけばいいでしょうか、と聞くと、平然と「ああ、それは霊安室に」と言われた。さっきまで看護師は、口では「まだ治療は続いていますからね」とうまいことを言っていたのに。
◎蛇足だが、この事件で明香ちゃんの両親と示談交渉をした病院側の弁護士、そして、死亡原因調査委員会にオブザーバーとして立ち会っていたのは、僕と同じ高校の同期生。医師でもあり弁護士でもある。ただ、オブザーバー立ち会いは、実際には同じ弁護士事務所の若手に行かせていたようだ。
*****
循環器小児外科に入院、教授回診で「神の手」と呼ばれる今井康晴主任教授を先頭にした〝大名行列〟が来た。今井教授が部屋を出ても最後尾が中に入りきれないほどの物々しさだった。
父親は自分も大学病院の手術の現場で「患者の命が危ういような時は、なるべく多くの医師が立ち会え」「こんなに多くの医師たちが全力を尽くしたのだという姿を家族に見せろ」「絶対に一人で対応するな」「家族たちから『もういいです』と言われるまで心臓マッサージを続けよ」と先輩たちから教えられてきた。
ICUで重体が続く明香ちゃん、取り繕う瀬尾医師。ついに父親は激情を押さえられず「お前!何をやらかしたんだ!本当のことを言え!」と言う。医師はうつむいたままだった。
6年生83人が小学校時代の思い出を詠んだ俳句。みんなが学校の行事や授業風景を詠む中で、明香ちゃんだけが異質だった。
<春が来て みんなの笑顔に さようなら>
人工心肺を操作していた佐藤医師は、脱血カニューレの位置に問題があるのではと考えたが、そんなこと言っても興奮状態の瀬尾医師から怒鳴られるだけだと思い、自力で脱血量を増やし、安全に人工心肺装置を回せる状況を作ろうと頭を切り替えた。
佐藤医師は瀬尾医師に「(陰圧)吸引(補助)脱血に切り替えます」と声をかけ、「オオ、アア」とあいまいながら返事を受けた記憶がある。
瀬尾医師「フィルターが詰まって脱血不良になりました」
今井教授「家族にはどう説明しているんだ」
瀬尾医師「人工心肺装置の離脱が困難で、心不全の状態にあると説明しました」
今井教授「それでいい」
瀬尾医師は、脱血不良が起きたこと自体を家族に説明してはいけないという意味だと受けとめた。
(ICU看護記録改竄について)瀬尾医師は葛藤した。
(改竄はいけないがしなければ)術中にトラブルがあった時は、手術の責任者である講師が何もなかったように措置を講じなければならないという心研の不文律を破ることになる。訴訟を起こされれば、自分も左遷される。
瀬尾医師は、今井教授から、「カルテの書きかえは大人数でやるからいけないんだ。お前一人でやるべきだったんだ」と言われた。しかし、公判で今井教授は発言を否定した。
明香ちゃんの父親は考えた。
瀬尾は一言で言えば古いタイプの職人。本来は教授が負うべき責任まで自分で背負っている。俺たちの前であれだけ威張り、周囲のスタッフに対しても同じように居丈高に振る舞っていたという。だが、どんなに歪んだ形であれ「責任」という言葉の意味を知っている。脂が乗りきった一時期、職業に一心不乱に打ち込んだ者だけが共有できる「責任」と「うぬぼれ」が表裏一体になった、あの感覚を持つ男だ。
札幌医大の和田寿郎教授が行った日本初の心臓移植。患者の宮崎氏の心臓は手術直後から行方不明になり、半年後にホルマリン漬けになって返却された時、四つの弁は切り取られ、肝腎の大動脈弁は別人のものにすりかえられたとさえ指摘された。
第一外科主任として迎えられた和田寿��は、まず自分の教授室の狭さに激怒。扉にある「教授室」とだけかかれたプレートにも酷く立腹し、大変な剣幕でまくしたてた。教授室は所長室の一部を割いて5割増しに、プレートは「第一外科学講座主任教授室」に。
(心研で)医師たちは和田教授に軽症患者のリストや予後の悪い患者のデータしか見せなくなった。「天下の心研でこれぐらいですか。札幌医大と変わらんね」と言わせておいて、難手術は和田教授の出張中に優秀な外科医に頼んだ。
明香ちゃんの両親は示談書に2点を盛り込むことだけ望んだ。
①深刻な医療事故があった場合は、事故原因の調査を適切に行い、患者や家族に誠実に説明・報告する
②明香の事故隠しの全容を明らかにする
→結局、示談書には、全容解明に相当の時間がかかるため、事故隠しの全容は明記しないことになった。示談額6000万円
2002年4月22日、東京女子医大病院は、厚労省の社会保障審議会医療分科会に上申書を提出。改竄は当事者(瀬尾医師)のレベルであり、病院に一切の責任がないことを強調する内容だった。父親が断腸の思いで交わした示談の際の覚え書きは、東京女子医大病院にとって破り捨てて当然の代物だった。裏切りだ、絶対に許せない。
父親は、社会保険事務所の監査を受けた知人から話を聞いていた。5日間にわたって事務所に呼び出され、持参した出納簿や全ての領収書など診療報酬の請求に関わる一切合切が厳しくチェックされる。対象期間は当初の二ヶ月が、二年、五年と延びていき、スタッフばかりか、実際に請求通りの治療が行われていたかを確認するため、患者の調査までもが行われた。知人は疲れ果てて不正請求の指摘を認めたが、五年間の「保険医」資格取り消しを科せられた。
東京女子医大病院被害者連絡会を結成した。同じような人たちは芋づる式にみつかり、初会合の時には16組になっていた。そのうち14組は明香ちゃんの手術より前に心研で治療を受けていた。
明香ちゃんの医療事故で医師2人が逮捕された衝撃は大きく、1日約4500人はいた外来患者数が3700~3800人程度に落ち込んでいた。それ以上に、患者や家族が職員にする質問の内容が深刻だった。
「うちの子は大丈夫なんでしょうね。分かるように説明してください」
「この病院に来るのはいやなんですが、他に行き場所もないんですよ。少しは病院の体質が変わったんですか」
東間病院長は、患者参加型の調査をやっていこうと構想を持っていた。米国のADRという考え方。
2006年、特定機能病院の再承認を求めていたが、それが遠のいていた。かつては満床で、入院まで何ヶ月も待たなければいけなかった旧心研6階の病棟は、50床のうち30床がやっと埋まっているだけだった。
関係者を自殺に追いやる背景には、事故の原因を複合的に考えず、個人の責任に帰して単純化させようとする日本人の国民性があるかもしれない。ミスを起こした者にレッテルを貼り、懲罰的なバッシングを浴びせる社会は、逆に隠蔽体質を助長し、情報公開を遅らせる。