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『利己的な遺伝子』で有名なドーキンスさんの少し気負った感じのするタイトルの新刊です。
途中までは共感しながらも、「もうそんなことはわかってますよ、ドーキンスさん」と感じるのですが、進めるうちに「ああこれは宗教家の回心ではなく、無神論者に対して連帯を呼び掛ける本なんだな」と感じられるようになります。特にアメリカのいわゆる知識人に対して書かれているのですね。あのドーキンスが、かなり退屈で冗漫な『祖先の物語』のような本をどうして上梓したのかという理由が少し分かるような気がする本です。
最後の10章は著者が最も言いたいことのようにも思うのですが、和訳の問題なのか少し空回りしているようにも思いますが、どうなのでしょう。それにしてもやっぱり長いすよ、ドーキンスさん。
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もう何年か前にアメリカに留学をしているときに、たぶんその学生のレポート作成のためのだったと思うのですが、日本人の宗教観について短いインタビューを受けたことがありました。そのときには、ものすごく当然のようにほとんどの日本人は本当に神様がいるなんて思ってなくて、この国(=アメリカ)の基準で言えば特定の宗教は持ってない、なんて答えましたのですが、少し不注意だったのかもしれません。
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こういう話でときに思い出すのは若かりし頃に読んだウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の次の一節です。
「世界がいかにあるか、ということは、より高次の存在にとっては、全くどうでもよいことだ。神は世界の中には顕れない ... 世界がいかにあるかが神秘なのではない。世界があるという、その事実が神秘なのだ」
ドーキンスはあの書物を乗り越えて「語りえぬもの」についても語ろうとしているのでしょうか。そうなのかもしれません。ただし、宗教の有害性について明白にして指弾することがここでの第一の目的であることは間違いないところなのですが。
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リチャード・ドーキンス著「神は妄想である」を読了。個人的には読む前から神は存在しないと確信しているので、問題はない。ドーキンスは理路整然と「神はほぼ確実にいない」という論証を行なう。(絶対にいないことの証明は極めて難しい。いるとしたらこんなことになるから、あり得ない、と言うところまではいける。しかし。いえ、いるんですと見せられたら何も言えない。その可能性は限りなくゼロに近いが、ゼロではない。そういうレベル。)その後、宗教が冒して来た様々な愚行について冷静に指摘し、信仰の不毛さを訴える。そして冷静に思えばニューヨークで起きた事件にしてもその後の展開にしても、東京で起きたサリン事件にしても、信仰というものがなければ起きなかったことに気がつく。
しかし、何かの宗教に入信している人にとってはとんでもない本なんだろうなと思う。そういう人はこの本を「トンデモ本」のひとつとして無視するのだろう。できれば無視する前に読んでほしい。この議論にきっちりまともな返答ができるものならしてほしい(絶対にできない)。
この本をドーキンスは喜んで書いたとは思えない。様々な信仰に起源するテロの横行を聞きながら、だから宗教ではだめなんだよと悲しみにくれつつ、この本は書かれたんだと思う。だから文章が熱いのだ。本書の帯(あのドーキンスがなぜここまでむきになるのか?)は間違っている。ドーキンスはむきになってはいない。悲しんでいるのだ。
あ、この文章を書いている私は完全な無神論者です。神様なんて必要ないもの。(こう宣言してほしいとドーキンスが本書で言うので、わざわざ書いておきます。しかし日本では基本的に無意味な宣言だと思う。)
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ダ・ヴィンチで紹介されていた本。ほぼ衝動買い。
途中まで読んだが、彼はほぼダーウィンマンセーなだけと判明。
私は無心論者でしかもアンチダーウィンだぞ。
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「宗教があってもなくても、善いことをする善人はいるし、悪いことをする悪人もいる。しかし、善人が悪事をなすには宗教が必要である」 ワインバーグ(物理学者)
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相変わらず分厚い でも、今回は残念
非常に引用が多い 文献よりNETの引用が多いのではないか?
無神論者を敢えて標榜する必要はそれほどないと思う。ヒステリックに表現しすぎ
もっと科学的に神の無存在を証明すべきで
宗教の妄想が産む大衆の騒動の危険を危惧するところを強調すべきではないのか。
そして、主な神の視点はキリスト教とイスラームに限定しているところが、狭義な作品だと感じました。
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アメリカ社会において、神は妄想だということはセンセーショナルな事だったのだろう。悪い宗教体質に対して、異を唱えるのは当然のこと。ではなく、社会悪を及ぼしている以外の、良い影響を与えている心の宗教活動に対して、神はいないという反対意見を聞きたかった。
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これは如何考えても読む人を選ぶだろう本(本の厚さも含めて)
取りあえず、キリスト教徒やイスラム教徒等唯一神を掲げる人にとっては、
悪書であり、なるべくなら読まないほうが良いと思われる。
(知らなくても良い事は世間に溢れている)
個人的に神が居るかどうかと言うよりも、
宗教(≠神)とは悪であると言いたがっている様に感じた。
要するに神の有無に限らず、宗教という便利な道具を、
あらゆる不道徳行為(と言より、一般人が胸糞悪く感じる事)
の言い訳に使うなと言いたいのではないだろうか。
前半は進化論等に置ける神の存在の否定だが、
後半に行くに連れて、宗教と言う存在と
それに因る人間の否定に移り変わっている。
個人的には非常に面白かったが、
時折、感情的過ぎる表現があり、
神の不在の科学的な立証はしていないと感じた。
(最も神が居たとしても居ないとしても永遠に立証は出来ないのだが)
「聖書は自分の子供に道徳を形成するために与える類の本ではない」と言う言葉と、
「神の賛同と褒美を得る事、或いは非難や罰を避けるためだけに
善良で在ろうとするのか」と言う言葉には同意できる。
特に後者は信者の本音は如何であれ、
そうであって欲しくないと言う希望が強い。
ともあれ、限りなく☆5つに近い☆4つで着地。
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そこまで否定したくなる気持ちも分からなくはないが…。
有神論者なわけではないけれど宗教自体は好きなので
なんとなく、気分が悪くなってしまいました。
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☆4.5! えんらい面白かった〜。なんつーユーモアあふれる文章だ。たまらん。『悪魔に仕える牧師』も読みたい。
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聖書のお話が文字通り事実起こったことだという考えを荒唐無稽というのは難しくないだろうが、神がいるかいないかはいずれも証明困難だから、ドーキンスのこの本での話は結局「神がいる」方に賭けることの有害性が中心になっている。ドーキンスは、異なる宗教を信じる者同士でも多元性を認めて仲良くやっていけよというのではなく、問題は多元性を認められない原理主義的宗教ではなくて宗教そのものなのだ、と考えている点が、寛容な宗教は結局欺瞞ではないかと私が感じている問題意識に合致して共感(とりあえず考え方の構造への共感であって結論への共感ではない。)。何れにしても、これは人格神否定の本であって、日本的な「人を超えた何か大きなもの」が存在すると信じることと無神論との違いについては特に掘り下げられていないので、ここまで言葉を尽くして否定しなければならないドーキンスの努力を頭では理解しても感覚的には掴めないのが正直なところ。
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500を超えるページ数でひたすら科学的視点、分析に基づいて論理的に神と宗教の存在がいかにダーウィン進化論的に不合理であるかを考察している。
初めのうちにはリチャードドーキンズ(ちなみにこの人はかの有名な「利己的な遺伝子」を書いた)の論理展開がきわめて複雑で斜め読みを許してくれないくらい緻密なので辟易とするが、中盤あたりから神の存在・及び宗教が道徳を形成する矛盾とその存在を否定しようとする論理展開が、膨大な著者の知識背景と事実に基づいた科学的議論に則っているだけではなく切れ味鋭く白熱してくる。最後の最後になり、初めて事実と論理という枠組みからはずれ修辞によって科学の素晴らしさはブルカ(イスラム教の女性が着る黒い服)の視野を広げることである、という比喩を使い科学の面白さを語るときに読んでいて本当に好奇心が刺激され、高揚感を覚えた。
量子論にたとえられるシュレディンガーの猫(箱を開ける前は死んでもいないし、生きてもいなく、すべては確率)、多次元的宇宙論、生物ごとにとっての「色」を認識するソフトウェアの違い、などの話は本当に唸るくらい刺激的。
科学は真理を解明することであるという、著者の信念が伝わって来て自分も理系の院生なので少しはその気持ちに共感を覚えたり、いまさら科学って素晴らしいななんて、懐古してみたり笑。
科学は趣味として、読み物として接する分には最高に面白いのですが、いざ自分が時間かけてやるとなると進歩が遅すぎて性分に合わないなと感じるわけです。
内容は間違いなく☆5つなのですが、4つにしておきます。
それは著者の主張する内容と対象とする人物があまりにもかけ離れていること。神を信じ科学を否定する人間にこのような論理展開をしても論理そのものをわかっていないので彼らにはなにも伝わらないでしょう。つまり、この本を読んで納得する人は論理展開と科学的背景をかじっている人であるということ。
よくよく読みこむと、著者の論理の展開の美しさがわかります。でも、斜め読みじゃ意味不明なのでじっくり、生物の教科書を読むような気持で取り組まないと、何を言っているか意味不明になる。
著者の公開討論は一回は聞いてみたい。
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2009/9/15図書館で借りる
2009/9/22読まずに返却
借りたが読む気にならない。分厚すぎる・・・(笑)。時間の無駄だと感じた。他に読むべき本がある。
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正直なところ内容はわかるが、宗教が身近に浸透していない私にはよく理解できないところ。しかも著者の考えでは、多くの日本人が信じるところの仏教や神道(神社)は宗教というよりも倫理観や道徳ということみたいです。
もっと宗教、歴史について見識を深めたいと思う一冊でした。中東で起こる戦争など、それらの知識がないと深く理解できない事柄も多いですし。。。
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全体的に宗教への嫌悪感が溢れている。それが冷静な議論を妨げている感じがする。
無神論、進化論が当然の前提として、宗教を非科学的、邪悪と決め付けている。
しかし彼の宗教理解は幼稚であり、昔から言い古された批判も多い。
また彼がやり玉に上げる「宗教」自体、広範囲なカテゴリであり、あいまいである。
したがって彼が指摘する問題が宗教界の一部分であり、かつ宗教の本質からずれている。
だから、彼の指摘は私には届かない。私の信仰は、彼の批判の対象になりえないものが多い。
また彼は歴史の中で宗教が果たしてきた役割、良い面については全く触れない。これは公正さを欠く。
彼の問題点は
1、すべてを論理的に科学的に証明しようとしているが、それがすべてではない。
2、宗教、信仰への偏見、憎悪に動かされており、公正さを欠く。
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第1章 すこぶる宗教的な不信心者
第2章 神がいるという仮説
第3章 神の存在を支持する論証
第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由
第5章 宗教の起源
第6章 道徳の根源
第7章 「よい」聖書と移り変わる「道徳に関する時代精神」
第8章 宗教のどこが悪いのか?なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?
第9章 子供の虐待と、宗教からの逃走
第10章 大いに必要とされる断絶?