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紙の本
理想的な「知の教科書」として
2007/06/03 20:29
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「知の教科書」というとどういうものが思い浮かぶだろうか。東大の教師たちが作った『知の技法』あたりが出てきそうだが、あれはダメである。知の最先端を行っていないばかりか、分からない人にも分かるように説明できていない執筆者が目立つ。学者としてはともかく教師としては三流なのである。『知の技法』をもてはやすのは、内容を理解する能力がなく東大ブランド信仰に陥っている人だけだろう。
私が理想的な「知の教科書」としてお薦めしたいのが、呉智英氏の『マンガ狂につける薬』である。マンガ本と活字本を並べて紹介するという形式で長らく雑誌に連載されており、単行本化はこれで3冊目になる。それでいて内容の豊かさはいささかも落ちていない。著者の力量が感じられる。
タイトルからして勉強になる。「下学上達篇」とあるわけだが、下学上達とは何か? 本書まえがきによると論語に出てくる言葉で、卑近なことを学び高尚なことに達するという意味だそうである。まさに本書の意義を端的に表現した言葉と言っていい。
紹介されている書物はきわめて幅が広い。活字本だけ拾ってみても、『水滸伝』やポパー『歴史主義の貧困』があるかと思えば、『性生活報告』もある。二葉亭四迷『平凡』もあれば三浦展『下流社会』もある。
一例として『下流社会』をとりあげた章をのぞいてみよう。かつて左翼的な社会観が優勢であった時代には、下層民の悲惨さを描写して救済を呼びかけると同時に、下層民自身へも自覚をうながすといった書物がそれなりに説得的だった。しかし高度の消費社会が実現した現在、日本の「下流社会」はアジア・アフリカの低開発国の人間よりはるかに物質的に恵まれているにもかかわらず、生きていこうとする意欲を根本的に欠いている。問題は経済格差ではなく、文化格差や意識格差なのだ。
つまり、唯物論的な経済格差だけを問題視する旧左翼の無効性はもちろんだが、日本では下流の人間でも低開発国の人たちより物質的に恵まれていると叱咤するだけの保守派の無効性をも明らかにしたのが『下流社会』だということであり、呉氏はそれをきわめて平易な言葉で説明してくれているのである。別の言い方をすれば、「格差なんて昔からある」と称する保守派や新自由主義者は、旧左翼と同じくらい物事が見えていない、ということである。
喫煙や飲酒について、「愚行権」という概念を提示してみせているのも面白い。これはもともと倫理学者・加藤尚武が提唱したものだが、人間は「良いこと」だけをして生きているわけではなく、ある程度は「役に立たないこと」「人から後ろ指を指されること」をしながら生きていく存在なのであり、そうした人間の矛盾したあり方に明快な言葉を付与したのが「愚行権」なのである。曖昧なものに名前を与えることこそ、知的作業の根底なのだから。
マンガについては、私自身はこのところ本は活字のものしか読まなくなっているのでとやかく言う資格はないが、必ずしも人気があるとは言えないマンガ家や、人気マンガ家なら「こんなのもあるのか」という目立たない作品に多く光を当てているようだ。マンガという世界の広大さと豊潤さを垣間見せてくれるのが貴重と言える。
一つだけ疑問点を。原田純『ねじれた家 帰りたくない家』を取り上げた章であるが、165ページの引用で著者名が「原田淳」となっているのに加えて、写真で提示された書物がアガサ・クリスティー『ねじれた家』なのは、まさか読者の知性を試すための仕掛け、じゃないですよね(笑)。
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