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前作より二十一年の歳月を経て書かれた第4作目。
訴えかけるものが尋常でありません。
変わりゆく環境を憂いてでしょうか。
そしてまた二十数年経ちました現在。
借り暮らしやたちが今も生き続けていることを望みます。
我々インゲンがしゃんとせななりませんのやな…。
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文庫本のあとがき(訳者のことば)によれば、この最終話「小人たちの新しい家」はその前の「空をとぶ小人たち」から21年という年月を経たのちに再び書かれた物語なのだそうです。 発表されたのが1982年。 その時には既に「大人」と呼ばれる年代に入っていた KiKi は英文学を学んでいたとは言えども、この作品のことは一切知らず、気にも留めないで過ごしていたことになります。 今にして思えば当時の KiKi は花のお江戸で自由を満喫し、将来に対するさしたる不安も感じることなくコンパだなんだと浮かれていた時代です。 そんな時代にノートン女史はある種の危機感をもってこの物語を描いていたんだなぁと思うと、時代に踊らされていた(率先して踊っていたというべきか ^^;)自分が情けないような気分になりました(苦笑)。
ちょっとポッド父さんの語り口がこれまでの4冊とは変わってしまっているのが残念(これは訳者の違いからくるものなのか、英文そのものも既に21年という年月を経て変わっているのかは不明)ですけど、相変わらず含蓄のある言葉が満ち溢れています。
(全文はブログにて)
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第4冊の21年後に書かれた完結編~お宝を失ったプラター夫妻はポットのリトルフォーダムを舟から見張って小人たちを取り戻そうとするが,小人たちはその晩に脱出していた。スピラーの提案で誰も住まない牧師館へ引っ越しを始めていたのだ。ミス・メンチスは心配で巡査に相談するがまともに取り合ってはくれない。牧師館に住めそうな場所は見つからないのだが,オーヴァーマントル家で棚から落ち脚を折ったピーグリーンと出逢い,図書室の床下から窓際の作りつけのベンチの中に案内されて,開け閉めできる換気用の格子戸を発見し,新たな住処を手に入れる。プラター夫妻はリトルフォーダムに踏み込み,小人たちが住まいにしていた模型の家を捜索するが,慌てて他の模型の家も壊してしまい,慌てて逃げ帰る。生活が落ち着いたアリエッティーは教会にヘンドリアリ一家を訪ね,小さかったティミスが元気一杯で教会をお遊び場にしている姿を見て新たな不安を抱える。イースターの夜,内陣仕切の透かし彫りに同化していたティミスが欠伸をしてプラター夫妻に見つかり,逃げ隠れた募金箱が聖具室に納められ鍵を掛けられたのも目撃される。プラター氏は教会に侵入し,更に逃げたティミスが鐘突用のロープをよじ登ろうとしてそれに飛びついたプラター夫人がロープにしがみついて鐘を鳴らしたことで人間が集まり,危機を脱したが,人間に話しかけるのは控えた方が良いことを再認識する。ミス・メンチスに無事を知らせたいアリエッティーは話すと約束したスピラーを責める~83歳で書き始めた完結編だが,まだ続きを書く積もりがあったように思う。読みにくいのは,古い言葉を使って数十年前の話であると思わせたいからでもあるが,小学校高学年でも読める(元々児童文学だから)ように漢字の使用を制限しているからで,かなが多くて意味が掴みにくい。第四巻のあとがきで,前の訳者である林氏は,クロック夫妻は牧師館に落ち着き,アリエッティーとスピラーは冒険の旅に出て川岸の根の中に立派な三階建ての家を造ると予測していたが,あれは何だったのだろう。まあ,そうなる可能性は残しているのだが,原作者は牧師館での安楽な話で終えている。周囲の状況から話し始めて,小人たちに焦点を合わせていく手法は変化がなかった。危険は伴うが愉快で元気なアリエッティーとスピラーの子供達の話を書いて欲しかったなあ。自分で想像するしかないか。それも楽しみと云えば楽しみ
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これまでの4冊と造本が異なるので買わなかった一冊。
やっぱ形は揃えたいから。
図書館で借りてきました。
さて。
安住の地と思われた、模型の町からも出ることになり、次に向かったのは?
新キャラも登場。(2010.08.23読了)
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シリーズ五冊読了。
『床下の小人たち』『野に出た小人たち』『川をくだる小人たち』『空をとぶ小人たち』『小人たちの新しい家』で完結です。
安全ピンや針やボタンやすいとり紙……家の中においていたはずの、そうしたささやかな品物が、いざ探そうとするとどうしても見当たらない。それがどうしても不思議だと、ケイトはいう。
昔はイギリスのあちこちで、《ちいさい人たち》の話がかわされていた。けれどいまでは、もしいたとしても、せいぜいずっといなかのほうの、古い、静かな家くらいだろう――メイおばさんは針仕事の合間に、そう語りだす。
かつてメイおばさんの弟が、その目で小人たちを見たのだといって、繰り返し詳細に話してきかせてくれた。その古い家には、人の手のひらに乗るくらいの、小さな小人たちが隠れ住んでいて、その家の人間の食料や小物をこっそりと借りては、床下の隙間に、壁の裏側に、居心地のいい住処を作って暮らしていた……
ああ、なるほど、これは名作だ。
「アリエッティの映画版はどうでもいいけど原作は読んでおけ」と、友人から薦められて買ってみました。読んでおいてよかった。けれど、これは本当に自分が子どもだったときに読んでおきたかったなとも思います。いま読んでも面白いんだけど、大人になってしまってからではわからない面白さがある気がします。
小人たちは、魔法を使ったりもしなければ、不思議なわざをもっているわけでもない、ただ体が小さくて身軽だというだけの、ふつうの人間と同じような種族。人に見つかれば、駆除されるか見世物にされるかという危険のなかをしのんで、こっそりと夜中に『借り』に出て、借りてきたものをうまく工夫しては家具や衣服に作り変える。ときには人の目に見つかって、慌てて家を逃げ出すことも。中にははじめから人間の家には住まず、野外で狩りをして暮らすものもいる。
彼らはふつう、屋外になんて住みたくない、人間に見つかるなんてとんでもないと思っているのだけれど、アリエッティはその中でも変わり者。好奇心いっぱいで、外の世界に憧れているし、人間とも話をしてみたい。普段はしっかりしているのに、その好奇心を押さえきれず、両親をひやひやさせている。
人間に見つかって駆除されそうになり、あるいは住んでいた家が閉められることになって、あるいは強欲な商売人に見咎められて見世物にされそうになり……住処を求めてさまざまな危難を乗り越えていく一家。
ラストがちょっと、伏線が消化されきらないまま終わっちゃったというか、そこはわざと想像の余地を残したんだろうけど、それにしてももうちょっと詳しくその後を語ってほしかったなあと……。
設定というか、小人たちの暮らしにまつわる描写が、とにかく緻密で克明で、べつに異世界ものではないのだけれど、ハイ・ファンタジーと共通する種類の面白さがあるように思います。想像する楽しさ、をあらためて教えてくれた作品でした。
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ジブリの映画になった「借りぐらしのアリエッティ」原作の続編。順に読み進め中なので積み中。電子書籍版を購入。
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この1冊だけが猪熊葉子先生の翻訳。個人的な思いを言うと全部、猪熊先生の訳だったら良かったのになぁ・・・去年ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」を観たけど、原作と離れたところがあるとはいえ、あれはあれで良かったね。アリエッテイのお部屋を再現しているという種田陽平展にぜひ行きたいです。(ただ今開催中)
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新しい借り暮らしに出会い、
アリエッティも少しずつ大人になっていくのかな。
いつまでも安全な場所は本当は無いのかもしれないけど、
これからもいろんな事件が起こってしまうのかもしれないけど、
皆で助け合っていくんでしょう。
アリエッティが思い描いてた未来とはなんだか、
違う方向に進んじゃうのかなあ、
と思うような終わり方だったのがちと気になるけど、
このシリーズは父親と母親が主人公だったんだろうな、
って思ってるんで、まあ、いいやって感じでもある。
人間と借り暮らしは相容れないものなんだ、
という筋がぶれる事無く最後を迎えてるし、
父親の意見は納得するけど、残念だねえ、って感じもする。
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シリーズ4巻目から20年以上が経ち、ノートンが80才の時書かれた最終作。長い!
翻訳が猪熊葉子さんになってる。ほぼよいけれど、ミセス・ドライヴァからドライバーおばさんになってる。ドライバーだと運転手を連想してしまうし、シリーズ途中で名前が変わるのは違和感あり。
文明の進化やモダニズムの嫌悪、出過ぎたまねをするなという警鐘ととれる箇所が多い。
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前にアリエッティたちを天井裏に閉じ込めたプラターさんが、再び現れて、お金もうけのために使うために、アリエッティたちを追いかけた。その上、アリエッティたちの家をこわしたり、アリエッティたちが住んでいる教会に、夜しのびこんでつかまえようとしたりした。でも、プラターさんたちが逆に教会の人たちに見つかって、つかまった。ワルのプラターさんがつかまったとき、ぼくは、踊り出したいほどハッピーな気持ちになった。ハッピーハッピー‼ プラターさんは、罰金じゃなくて、国外追放がいいなと思う。
このシリーズは、もうおしまいで、とても悲しい。小人たちが、このまま幸せに暮らせたらいいな。
絵は、白黒なんだけど、風景も小物もわかりやすいし、おしゃれで、好きだった。今っぽいキラキラした目のアリエッティじゃなくて、ほんとによかった。(小6)